木兎光太郎の場合
もう限界だった。
『もう別れよ』
「ワカレル?」
目の前の男は私が何を言いたいのか理解していないらしい。なんとなくそうなる気はしていたからそこは気にしていない。しっかりと言いたいことを説明すれば分かってくれるはずだ。
『私と光太郎が、もう付き合うのをやめようって。友達に戻ろうってこと』
「え?」
『じゃあね、今までありがとう』
返事を待たずにその場を去る。未練なんて、…あるに決まってる。ただ、私の意志は固かった。このままだらだら付き合っていてもお互いに幸せになんてなれない。モヤモヤした心を抱えたまま、私は家路につく。
別れようと思ったのは、何も一つだけの出来事が原因じゃない。すべて些細なことが積み重なって、とうとう爆発してしまったのは。
私とバレーどっちが大事なの?なんて聞く気持ちはサラサラなかった。光太郎がバレーを大事にしているのを十分理解していたし、応援したいとも思っていた。ただ、彼の場合は少し度が過ぎていたように思う。
バレーを理由にデートをすっぽかされたことは両手で数えられるほど以上だ。バレーを理由に遅刻したことも何度もある。最初のうちは仕方がないと割り切っていたけど、だんだん不満が募ってきた。それでも生き生きした光太郎を見て私も何度も元気をもらってきたが、ついに限界を迎えてしまった。
その日眠れない夜が明けて、当たり前のように朝がやってきた。どことなく覇気のない自分に少し笑ってしまった。だるい体を押して学校に着くと、元気な生徒たちが続々と教室にやってくる。光太郎とクラス違ってほんとよかった…。朝から顔を合わせなくて済んだ。
そう考えてるのも束の間、昼休みに訪問してきたのは光太郎を良く知る人物だった。
「あの、苗字さん」
『赤葦くん?』
遠慮がちに話しかけてきた赤葦君が言いたいことは何となく分かる気がする。
「木兎さんに何か言いました?ずっとあなたの名前呼んでるんですけど、理由を聞いても教えてくれなくて」
『あー、別れようっていいました』
ここでウソをついてもなんの得にもならない。正直に告げると、眉を八の字にする赤葦君。
「…それ絶対禁句ですよ」
彼も光太郎のことですごく苦労していると聞いている。
「俺がとやかく言う資格ないかもしれませんけど、木兎さんのこと嫌いになったわけじゃないなら、そのことをちゃんと伝えてあげてください」
確かに理由も告げずに別れようだなんて自分勝手だったかもしれない。赤葦君にお礼を言ってから、光太郎の教室に向かう。するとあからさまにしょぼんとしている木兎がいた。私は彼を呼び出し、人気のない場所へ誘う。さすがにこれは誰かに聞かれていいような内容の話ではない。
「なんで別れるなんて言うんだよ…。俺、何かしたか?」
『光太郎さ、いままで何回か私とのデートの約束すっぽかしてるし、バレーが好きなのはそれでいいんだけど、ちょっといい加減になってないかなって思って』
自分なりにかみ砕いで説明すると、目を見開いたまま固まる光太郎。どうやら心当たりがあるようだ。
『バレーが好きな光太郎の邪魔したくないから、だからいっそバレーだけ集中したほうが光太郎のためになると思……』
「デートすっぽかしたのは謝る!!!でも、別れたくない!バレーも名前もどっちも好きだ!!」
信じられないほどの力で抱きしめてくる光太郎に、身じろぎ一つできなかった。
『こ、こうたろ…苦しい』
「でも、離したら行っちゃうだろ!!」
『行かないよ…だから、もうちょっと緩めて』
「……別れたくない。別れない、…別れない」
言葉を反復する様子におもわず笑ってしまいそうになった。
『私は、バレー頑張る光太郎が好きだよ。だから、私を優先してほしいなんて言うつもりはないけど、…時間に余裕があったら私とも向き合って欲しい』
「絶対そうする。バレーと名前のことだけ考える」
『…ふふ、勉強も頑張って』
「それは分かんねぇ!!」
どこまでも正直な人だ。きっとこの先、同じようなことがあったとしても、私は何度だって許してしまうんだろう。惚れた弱みってやつだ。