01 はじまり・前



 真っ暗な会場を、期待と興奮の入り混じったざわめきが満たしている。
 これから始まる華やかなひとときを前に、破裂寸前まで高まった観客の熱量が全身に心地よい緊張感を与えてくれる。

──パッ

 ステージがライトアップされ、舞台の下手しもてに立つ彼の目の前が真っ白になった。軽快なイントロが大音量で流れはじめる。その瞬間、会場の興奮はピークに達した。

「大気──ッ!」

 耳をつんざくような黄色い声が聞こえてきて、思わず口端が上向いてきた。
 そのまま手に持ったマイクをゆっくり口元へ運ぶと、大きく息を吸う。


〈夢の中で何度も そっとくちづけ交わした
 透きとおるつぶらな瞳にすいこまれていく〉


 何度も温めた詩を音楽にのせながら、そっと目を閉じて暗い世界に意識を向けた。


──聞こえていますか、この歌が。
 とどいていますか、私の声が──


 まぶたの裏に彼女の姿を浮かべながら、大気光は歌った。


 * * *


 時をさかのぼること、およそ半年。東京の繁華街に大気はいた。
 行く当てもなく歩いているだけなのだが、大気のスラッとした長身と整った顔立ちはそれだけで注目を集めてしまうようだ。先ほどから女性のヒソヒソとささやく声があちらこちらから聞こえてくる。

(……困りましたね)

 大気は弱ったように息をついた。
 ある日突然、ギャラクシア率いる軍団に母星のキンモク星が襲撃された。混乱の中、大気の仕える主君であり星のプリンセスである火球は、命からがら星を飛び出し地球へ逃げ延びた。大気はそれを追ってここまで来たのだが、右も左もわからない場所なうえ、肝心の火球の行方も道中で見失ってしまった。
 街は数えきれないほどの人であふれかえっている。銀河の辺境に浮かぶこの星に、まさかこれほどの人が暮らしているとは。この中からたった一人の女性を探し出すなど、考えただけで気が遠くなりそうだ。

 果てしない捜索の旅にめまいを覚え、大気はもう一度息をつくとビルの壁に背をもたれた。ここは待ち合わせスポットなのか、あちらにもこちらにも人待ち顔で立ち尽くす人が見える。頭上の巨大モニターからは、ひっきりなしに音楽が流れていた。

(ずいぶんとにぎやかな星ですね)

 星というよりは、この場所がにぎやかなだけだろうか。少なくとも大気が居を構えた場所は、これほど騒がしくなかった。
 なんとか最低限の生活基盤だけは確保したが、ここからいったいどうすればいいのか。
 相変わらず遠巻きに向けられる好奇の視線がわずらわしい。せめて話しかけてくれれば、こちらもいろいろと聞けるというのに。

 ときおり口から漏れ出る溜息が、だんだん重たくなってきた。
 ここにいてもらちが明かなそうだと大気が移動しようとした時、

「いたいた! おまたせ、兄さんっ!」

 わざとらしく明るく響いた声と同時に、大気の右腕がグイッと引かれた。

「……は?」

 思わずすっとんきょうな声を出した大気は、つかまれた右腕を見た。そこには若い女性がいて、両手で大気の腕をひっしとにぎりしめていた。
 ──なんだ? 誰だ? というか、さっき「兄さん」と言わなかったか?
 あやしすぎるその女性から逃げようと大気が腕をとこうとした時、女性が横目でチラリと見上げてきた。

「ごめん、ちょっとの間でいいから話合わせて」

 どことなく焦った様子でひそめられた声に、つい大気も神妙な顔つきになる。
 いったいなんなんだ、と眉をひそめていると、前を見た女性が「来た」と小さく言った。

 女性の視線を追って大気が前に目を向けると、派手な男がやってくるのが見えた。男はウエーブのかかった金色の長髪を風に揺らしながら正面まで来ると、腰に手をあて、

「ねえってば、ちょっとくらいボクの話を聞いてくれたっていいじゃないの?」

 テノールの美声で、オネエ言葉をしゃべった。

「だからっ。お断りしますってさっきから言ってますよね、私」

 即座に隣の女性が固い口調で切り返す。
 大気はそれを横目で見ると、正面の男を頭からつま先まで眺めた。

 ──波打つ金の長髪に、黒のサングラス。光沢を放つダークグレーのスーツには太めのストライプ模様が見える。白の革靴はつま先がやけにとがっていて、手や耳にはシルバーのアクセサリーがギラギラと光っていた。どう見てもカタギには見えない。
 大気のぶしつけな視線に気づき、男がジロリとこちらを見た。

「誰よ、あんた?」
「いえ、私は──」
「兄です」

 おいおいちょっと待ってくれ。
 口を挟みたくなったが、右腕をにぎりしめる力が強まり「話を合わせろ」という女性からの無言の圧が伝わってくる。
 ──しかたがない、乗りかかった船だ。
 大気は息をつくと目の前の男を鋭く睨みつけた。

「失礼ですが、妹になにか用ですか?」

 すると男が明らかにひるんだ。右腕をにぎりしめる女性の手がわずかにゆるみ、安心した気配に変わる。
 男は歯噛みしながら大気をしばらく睨みつけると、やがて悔しそうに舌打ちをしてから背を向けた。

「今日のところは引き下がるわ。また来るから、それまでに考えておいてちょうだいね」
「何度来たって、お断りですよっ!」

 立ち去る男の背中に向けて、女性が言い放つ。やがてその背中が見えなくなると、女性はようやく大気の腕を離し大きく息をついた。

「ふぅ! やぁっと帰ってくれた。──ごめんねお兄さん、突然巻き込んじゃって」
「……いえ」

 今度の「お兄さん」は、兄という意味ではなさそうだ。本気で自分を兄と勘違いしている変な人だったらどうしようかと思ったが、その心配はなさそうだ。
 いまだに眉をひそめる大気に、女性は「あやしい者ではない」と言いたげに両手を掲げると控えめに笑いかけてきた。

「あの、もし嫌じゃなければ、迷惑かけちゃったおわびになにかご馳走させてもらえませんか? ──といっても、私お昼まだだからファミレスになっちゃうけど」
「……はあ」

 なんだかおかしな人に捕まってしまった。それでもここで途方に暮れて立ち尽くし、遠巻きに見てくる女性たちの好奇の目にさらされ続けるよりマシだろう。
 消去法で、大気はしぶしぶこの女性についていくことにした。




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