ドフラミンゴはゴミにまみれた場所を走っていた。縺れる足を無理やり動かして、弟と己を繋ぐ腕だけは力強く。先をゆく父親の背中は見失わないよう、ただ必死に生きるためだけに走っていた。
怒号が聞こえる。
父が止まった。先を見れば怒れる住民、後ろからも走る足音がきこえてくる。
捕まった。
殴られた。
蹴られた。
何もかもを燃やされた。
残ったのはボロボロの自分たちだけで、どうしようもない無力感にドフラミンゴは一人歩く。足が向かうのは彼女の元。しかし、既に体力を失った体は途中で倒れた。そうして、誰かの影がドフラミンゴを覆う。
力を持った。父親の首を持っていけば天竜人に戻れると誰かが言った。父を殺した。弟もそれが原因で居なくなった。それでも天竜人に戻れればなんとかなると思った。
ただ、この地獄から抜け出したかった。
話が違う!天竜人に、あの場所に返してくれ!そうじゃなきゃ……何故……
父を殺した????????
***
色はここしばらく姿を表さないドフラミンゴを不思議に思いながら、それでもいつも通りに過ごしていた。何かあったのかもしれないとも思ったが、ドフラミンゴの居場所など聞いたことがない。だからこそ普段通りに過ごすしかなかった。
そんなこんなで数日が経った頃、ボロボロになったドフラミンゴが工房へと姿を現した。礼装は、と聞けば無言で粉々になった欠片が手渡される。
「そうか……」
礼装が壊れているということは、ドフラミンゴを隠すものは無い。つまり、ここの住民たちによって暴力を受けたのだろうことは容易に想像できた。
ドフラミンゴをそっとソファの上に座らせて治癒魔術を施していく。霊媒治療の方が直ぐに治るが、この傷だらけの体では傷を開く痛みは耐えられないだろう。師匠であれば、そんなものは関係なしに指を突っ込むだろうが、流石にそんなことは出来なかった。
されるがままにそれを受けるドフラミンゴは未だに喋ろうとはしない。いつもはサングラスに透ける瞳で何を考えているのか分かるのだが、俯いている今何も分からなかった。色も喋ろうとはせず、次の場所を治癒するために正面へと回る。ふと、ドフラミンゴが動くのが見えて、次の瞬間には彼の胸に抱き込まれていた。
「俺は、王になる」
身動ぎする暇もなく告げられた言葉にただ言葉を失った。
色は他よりも王とは何かを知っているつもりである。それは、人類最古の王が身近にいたからだった。
王とは孤独なものだ。ただ一人、国の全てを背負う人間だからこそ、その考えは誰に理解されることも無く、理解されては行けない。かの王が平等な友人を得たのはそれが守るべき国民でも家族でも、そして弱者でもなかったからだ。唯一、彼と対抗できたものであったからこそ、ただ一人の友人と認めた。
そんなものに、ドフラミンゴがなる?そんなことできるわけが無い。
色の知る限り、ドフラミンゴは孤独に耐えられるような人間では無い。そうであれば、ここまで色を頼ったりはしなかっただろう。今も虎視眈々と命を狙っていたはずだ。
そんな気持ちを胸にしまい込みながら「いきなりなんだ?」と疑問をぶつける。少しの間を持って、父を殺したのだと告げられた。は、と息を飲んだ。そんな色に気がつくことはなく、ドフラミンゴは言葉を続ける。
「天竜人には戻れなかったが、あるやつが俺は王になる才能があると教えてくれた」
どうやらドフラミンゴに力を与えたものがいたらしい。そいつが父親を殺すように唆し、そして王になれと祭り上げているのだ。王が何かも知らないで、いや、知っていたとしてもタチが悪い。
「俺は海に出て、海賊になる。一緒に来てくれ、シキ」
色は静かにその目を見つめる。
元々海には出たかった。だからこそこの誘い自体には乗っかってもいいのだ。それに、彼に力を渡したそいつの言うように今後、大物になることは間違いない。デメリットがあるとすれば、神秘の秘匿が難しくなることだ。正直、魔術師の東色からすれば乗っても乗らなくても、どちらでもメリットデメリットがあった。ならばあとは感情論のみ。自分がどうしたいか。
「父親を殺したことに関しては私は特にコメントはしない。そもそも私も親を殺した身だからね。ただ、一つ聞きたいんだが、」
父親を殺してどう思った?
それでスッキリしたと答えられたのなら孤独に耐えられるようになったのだと認めよう。
それで悲しかったと答えたのなら、どうしようもなかったのだと同情しよう。
それで楽しかったと答えたのなら、人間をやめたことを祝福しよう。
じっと見つめれば、ドフラミンゴは動揺し、そして静かに呟く。
「わ、からない」
「……そうか」
なら、ドフラミンゴは変わっていない。
「私は一緒には行かないよ。貴方は王にはなれない」
「は」
まるで絶望したような顔になる彼の手を静かにとる。
王とは、孤独である。誰にも理解されることはなく、全てを背負うものである。ドフラミンゴがそんなものになれるはずがない。誰よりも寂しがり屋で臆病な彼が耐えられるはずないのだ。それなのに、王になろうとするのなら彼は歪んでしまうだろう。そんな彼に対して自分まで下につけば誰が彼と対等になれる。
王と対等になれるのは第三者のみだ。国民でも、家族でもない第三者だけなのだ。だからこそ色はドフラミンゴと共に行くという選択肢を消した。
宝石の一つを手に取って、指輪に変えたあと魔術をかけて、ドフラミンゴの左手の人差し指へとはめた。
「貴方は私の助手だ。それはどこまで行っても、何年たとうと変わらない。王になるという意味がわかった時、その時は私の名前を呼ぶといい」
「じゃあね、ドフィ」
そうやって呼んだ後に頭を撫でてやって、ドフラミンゴの瞳から光が消えた。
ドフラミンゴが気がついた時、そこは見慣れたゴミ山だった。走って彼女の工房へと向かうが、どういっても何故かゴミ山へと戻ってくる。そしてやっと認めたくは無いが、自分は追い出されたのだと理解した。シキの工房には結界が張ってあると聞いたことがある。その結界はシキが許可した人間でなければ、そもそも辿り着くことも出来ない。無意識下でその場所を避けるのだという。つまり、自分は認められなくなったのだ。もうあの工房に入ることもあそこでいつも待っている彼女にも会うことは出来ない。
「俺を捨てるのか?」
父親は自分の手で殺した。殺してしまった。
そのせいで弟も居なくなって、本当に自分に残っていたのはシキだけだったのだ。それなのに、それなのに……!
ふと指に付けられた指輪が目に入った。
こんなもの、と外して投げ捨てようとするが、途中で力を失った腕は静かにそれを指へと戻す。いや、分かってる。分かってはいるのだ。シキはドフラミンゴの為を思って突き放したのだと。どうでもいい人間であれば、わざわざこんなものを渡してきたりしない。彼女はそういう人間だ。だからこそ、このどうしようもない激情の行方が分からなくなる。
ただ一人重い足取りでアジトへの道を進んだ。途中で走馬灯のように思い出が頭の中を巡る。
初めの頃はずっと利用してやると思ってた。それでも干渉をしてこない彼女の隣が居心地が良くなって、多分自分の気持ちに気がつく前から彼女のことは信頼してたのだろう。あぁ、あと彼女はタチの悪いことに無自覚にスキンシップが多かった。座っていれば肌が触れるすぐ隣に座ってきたり、本を読んでいれば後ろから抱きしめるように覗いてきたり……。本当に人にスキンシップが多いとか言えない人間なのだ。最初の頃はそうでもなかったのに、あれは一緒に寝た時から変わってきたような気がする。最初の頃は無表情ばかりだった顔も今では怒ったり、笑ったり表情豊かに見せてくれるようになった。自分は在り来りかもしれないが、特にほだらかに笑った顔が好きだった。
あぁ、そういえば結局彼女自身のことについて聞けていない。さっきは反応できなかったが、自分と同じように親を殺したと言っていた。きっとあれがあの時触れることが許されなかったものなのだろう。
……もし、彼女の言う通りに王とは何か、それを理解出来ればもう一度認めてくれるのだろうか。認めてもらいたい。自分にはもう何も残っていないのだから。
***
ドフラミンゴを工房から出してから数週間が経った。どうなったのかと不思議に思っていたロシナンテはどうやら無事に海軍に保護されたようだし、すでにこの島の心残りは何もない。留まっていた理由である資金も知識もそこそこ手に入れることが出来たため、そろそろ出ても構わないだろう。船は既にそこらの漁師から盗んだ小船を隠してある。あとは出航するのみだ。
色はがらんどうになった工房を見渡す。約2年か、と少し物寂しい気持ちになった。ふと今までの記憶が蘇ってくる。
あのソファで座ってドフラミンゴは本を読んでいたし……そう、まだ背が小さくて本棚の上部は取れなかったから本棚の前には台を用意したんだったか。たまに横になってるといつの間にか一緒に寝てたりして、服を掴まれてるから上手く身動きが出来なくなる。でも、彼は子供体温だからか暖かくてそれはそれで心が落ち着いた。あとは教えるとどんどん身につけていくからそれが楽しかったっけ……。
……結局最後は1人になるのが、東色という人間なのだろう。そこに血が無いだけ今までよりはマシかもしれないが。
荷物を詰めたバッグを肩に背負い、工房へと火をつける。段々と激しさを増す火は段々と屋敷へと移り始めた。異変に気付き始めた使用人たちが集まってきて、主人を含めた全ての人間が集まった時、忘却の魔術をかけた。東色という人間に関すること、その全てを火とともに焼却する。その行為に感慨はなかった。使い捨ての道具に感情を持つものはいないのと同じだ。
屋敷を後にして海岸へと向かう。小船を引っ張り出して沖へと押し出してそのまま帆を張って波に乗ると、色はそのまま海に出た。目指す場所は特には無い。ただ船を泳がせて着いた場所の龍脈を確かめる、そんな作業を続けるだけ。それが何年かかろうと悲願の為ならば進んでやろう。それが東色の存在意義であり、魔術師というものの悲願であるのだから。
そんな風に色は目を瞑る。簡易的に結界を張っているここはどこよりも安全圏である。おそらく、海王類に見つかることもないだろう。それにカームベルトに入り込んでもいいように魔力式で移動しているのでそこそこのスピードが出る。
風が頬を撫でてゆく。ただ一つ、唯一屋敷から持ってきた電伝虫だけがその光景を見ていた。