バタンと大きな音が響いたあと、ドタドタと走る重い足音が聞こえる。それを止める何人かの声。部屋の扉が開いたかと思えば、ドフラミンゴを背中に抱きかかえたロシナンテが飛び込んできた。肩から見えるドフラミンゴは苦しそうな息を吐きながら、真っ青な顔をしている。
「兄上が!!」
ロシナンテから受け取ったその体は青い顔に反して、まるで炎のように熱を発していた。どうやら昨日の夜からこうらしい。父親と共に看病したはいいものの、住んでいる環境のせいか一向に良くなる兆しが見えないそうだ。そこで世話になっている色の屋敷で看病してもらおうと思ったのだとか。そこで父親が色の元に来ないあたり彼女の性格をロシナンテが理解したということなのだろう。
ドフラミンゴの体をベッドへと寝かせて色は水を取るように使用人に命じて魔術の準備を始める。ロシナンテはそのベッドの傍に心配そうに膝をついていた。兄上、兄上とか細く聞こえる声にあぁ、とひとつの事に思い至る。
もしかしたら、母親のことがトラウマなのかもしれない。彼らの母親は病によって倒れたと言っていた。つまりは母親がベッドでどんどんと弱っていく様を見ていたはず。それがドフラミンゴと重なったのだろう。
色はぽんとロシナンテのそのボサボサの頭に手を置いた。何の気なしに行った行為だ。自分自身何故こんなことをしたかは分からなかった。それでもロシナンテに見つめられて言葉が自然と出てくる。
「私が彼を助けられないわけないだろう?」
ドフラミンゴの胸へと手を当てる。解析をして異常を探るが特に問題は見えない。何か重大な病というわけではなさそうだった。ならば環境によるストレスか、風邪か。どちらにせよ、それならば魔術の出る幕はないなと目を閉じる。病を全て魔術で治してしまえば、免疫も付きずらくなってしまう。だからこそ、彼自身の力で勝ってもらうしかない。
ロシナンテに食事はどうだったかを聞けば「熱出した昨日から食べてない」らしかった。ならまずは足りない体力を補う必要があるか、とカチャカチャとフラスコを鳴らす。棚から必要な素材を取りだして錬成、体力増強の呪いをかけて急須へと移す。それをロシナンテに渡して飲ませるように言ってから、使用人たちが持ってきた水を受け取ってタオルに染み込ませてから額へと置いた。
ふぅと息を吐く。これ以上やるべきことは無い、やることはやった。あとはドフラミンゴの免疫次第ではあるが、ロシナンテはずっと心配そうにその手を握る。
その光景を眺めながら色は静かに部屋から出る。キッチンで軽くサンドウィッチを用意させて、暖かい紅茶とともに戻る。そして未だに心配そうにドフラミンゴを見つめるロシナンテにん、とサンドウィッチを渡した。目を見開くロシナンテ。
「いいの?だって今兄上は……」
「いらないんならいい「い、いる!!」」
急いでサンドウィッチを食べ始めたロシナンテを横目に色もそれにかぶりつく。シャキリと音を立てるレタスは新鮮そのものだった。
全てのサンドウィッチを胃へと流し込んだ後に食後のティータイムでロシナンテは気まずそうにこちらをチラチラと見る。どうやらまだなぜサンドウィッチをくれたのか不安を抱えているらしい。
はぁ、と一つため息を吐けばそれだけでビクリと反応した。
「確かにドフラミンゴがいなければ君に施しはしないが、ここに彼を連れてきたのは君だからね。そのぐらいはするさ」
それに……
「それに、見知らぬ仲じゃないだろ」
例え魔術師が人でなしだとしても見知らぬ仲の人間を放っておくような真似はしないだろう。それが自分に不利益になることでないのならそれぐらいの価値観は持ち合わせている。ロシナンテは何度かここに来ているし、工房には入れていないにせよ、それなりに関わっている。まァそれがドフラミンゴの計画のうちだったのだろうが、それが色に何か不利があるわけでもなかった。
それを聞くと安心したのかホッと息を吐いて「ありがとう」と笑うロシナンテ。するとドフラミンゴから呻き声が上がって、どうやら目が覚めたらしかった。顔色は以前変わらずだが、意識が戻ったのはいい傾向である。ロシナンテが「兄上!」と駆け寄るのを横目に水を出してやれば自分で何とか起き上がって飲んだ。
「体調は?」
「あ、あー...…気持ち悪い、ぐるぐるする」
「何か食べれそうかい?」
「少しならな……」
それなら良かったと使用人を呼びつければ、どうやら作ってくれていたらしく粥をすぐに運んでくる。それをロシナンテへと渡して色は椅子へと座った。
ドフラミンゴはロシナンテから受け取った粥を口に含みながら、ちらりとシキに目をやる。椅子に座ったと思えば、机から本をとって読み始めた彼女はただ静かにその文面を目で追っている。
それを見てドフラミンゴは静かに息を吐いた。そんな彼にオロオロとするロシナンテになんでもないと告げる。
まさか、熱を出すとは思わなかった。それにロシナンテが自分をここに連れてくるとも。
まぁそれほど自分の容態が良くなかったのかと思えば、確かにしょうがないことではあるが。
シキの助手になって一年以上経った。
その中でドフラミンゴはなるべく弱みを見せないように暮らしてきたのである。それはまぁ互いに殺し殺されという関係性だから、ということもあるが、それ以前に下界での生活上弱みを見せればすぐに下民の餌食になるというのが分かっていたからだった。あいつらはいつだって自分たちの命を狙っている。今はシキのお陰で表立った行動はしていないだけで、シキの元から帰った時にロシナンテも父親もボロボロの怪我まみれだったこともよくあった。だからこそ、下民たちというのは信用すべきものではない、というのが染み付いていたのだ。シキがそういう人間では無い、と頭では理解していても、染み付いたものと言うのはそう簡単に拭いされるものでは無い。
見つめすぎたのか、シキはちらりとこちらへと視線を投げかけた。ドフラミンゴの持っている皿を見て何も入ってないのを見ると近くへと寄って皿を取る。
「ロシナンテ、ドフラミンゴが目覚めたんだ。君はそろそろ風呂にでも入ってきたらどうだい?」
ロシナンテは改めて自分の体を見た。確かにその体は泥だらけでお世辞にも綺麗とは言えない。ロシナンテはすぐに謝ると、使用人を伴って風呂へと送られた。閉まる扉を眺めると、シキはその口元に笑みを浮かべながらドフラミンゴへと向かい合った。わざわざ二人きりの環境を作ってくれたらしい。また新たに水を1杯、自分へと渡すと静かに喋り始めた。
「どうやら大丈夫みたいでよかった」
心底安心したように言う彼女は水を渡した手をドフラミンゴの頭へと置く。シキらしからぬ行動に驚いていれば、その様子に気付いたようで「心外だな」とむっとしたように言った。
「私が君を見捨てるとでも思ってたのかい?」
「まぁ、多少は......」
シキは人を見捨てることの出来る人間である。それを分かっていたからこそ、そんなふうに返した訳だが……。
するとさらに顔を歪めた彼女は「酷いな」とどこか不貞腐れたように言った。それを見ると出会った当初は真顔だけだったのにな、と少し思う。きっと本来は表情豊かな人間なのだろう。それが分かるのは彼女が心を許した人間のみで、その中に自分が入っていると考えると少し嬉しく感じた。
「私にとって君は大事な助手のドンキホーテ・ドフラミンゴなんだ。見捨てるわけないだろう」
……胸がどくりと波打った。
「そ、れはお前にとって俺は必要ってことか……?」
「?当たり前だろう」
何かが頬を伝った。
今まで、色んな下民に死ねと罵られてきた。同類だったはずの天竜人にはもう連絡してくるなと言われた。
そんな中ドフラミンゴの居場所は、必要としてくれる人は家族しかもう残ってなくて。でも元凶である父親には頼れず、唯一頼りだった母親は死んで、兄だから弟のロシナンテに頼る訳にもいかなかった。
あぁ。
ドフラミンゴは自分が弱みを見せなかったのではなくて、見せられる場所がなかったのだと気がついた。
怖かった。怖かった。怖かった。こわかった。
そうだ。今まで自分は怖かったのだ。どうしようもない悪意に晒されて、あんなふうに吊るされて、燃やされて、矢で射抜かれる。今でもそれは夢に見るし、その度にその夜は寝れなくなる。
ドフラミンゴの涙は止まらなかった。初めてシキが自分を大切に思ってくれていると知って。今まで彼女はただ自分を利用しているだけで、いつか不要になったら捨てると思ってたから。
「本当に俺はお前にとって見捨てられない必要な人間なのか……?!」
「急に泣き始めるじゃないか……。あぁそうだよ」
ただどうしようもなく人肌が欲しくて、ドフラミンゴは自分を撫でていた彼女の腕をただ抱きしめていた。
「えっと……どういう状況な、の?」
「いや、それは私にも分からない」
色は静かに眠ってしまったドフラミンゴを見る。確かに彼をもうこのぐらいで見捨てることはしない。ロシナンテも含め、不利益にならないのならできる限りは助けてやろうとは思う。そのぐらい彼の存在は有用ではあるし、これからも伸び代は期待できた。魔術師の助手にはなれずともいつか大物になって、色にいい地位をもたらしてくれるはずだ。しかし、ただそれだけ。魔術師として彼も、そして私もただの道具に過ぎない。必要となれば、殺す。殺さなくてはいけない。東色という人間のワガママを通すのは許されないのだ。
「あぁ、大事だとも」
いつだって誰かの恨む声が聞こえる。
***
ドフラミンゴが熱を出した一件から彼とその弟、ロシナンテの態度が軟化した。ドフラミンゴは2、3日に1回だった頻度が毎日になったし、ロシナンテもそこそこの頻度で家に来るようになった。そのことについて使用人はいい顔をしていないし、ここの家主もだんだん邪険になってきたが、まぁそれは魔術で何とかなる。1番の問題はこれだ。
色はちらりと自分の膝へと目を向けた。
横になりながら黙々と本を読むドフラミンゴ。その体勢自体はきちんと勉強しているのだから別にいいのだが、問題はその頭が色の膝を枕にしていることだ。はぁと1つため息を吐く。
「貴方、最近スキンシップ多くないか?」
「あ?別にいいだろ減るもんでも邪魔してる訳でもないし」
「それにシキに言われる筋合いはねぇ」という言葉で締めくくった彼の言葉に子首を傾げながらも、しょうがないので作業を再開する。ふと、今まで思っていた疑問が浮かび上がった。
「そういえばドフラミンゴは将来何になるんだい?」
「将来?」
ドフラミンゴのその問いに色は首を頷かせる。
いつまでもこのままという訳には行かないだろう。ドフラミンゴは他に家族もいるし、色もいつかは海に出てこの世界について調査する腹積もりであった。ついてくるにせよ、ずっと色が養うというのも困るので外に出てもらう必要はある。
そう言えば、ドフラミンゴは下を向いて黙り込んでしまった。恐らく考えたこともなかったのだろう。まぁ確かに先のことを考えるというのは難しいことではある。それでもそれはいつかは突きあたる壁ではあるし、余裕のある今のうちだからこそ、考えておく必要があるのだ。
「俺は……」
「まぁ今すぐに決めろというわけじゃない。ゆっくり考えるといい」
そうやって言ったあと、ドフラミンゴの頭を撫でつける。サングラスの奥の瞳がそれを享受するかのように細められた。すると「なぁ」と声をかけられて、その続きを黙って促す。
「ドフィって呼んでくれ」
「ドフィ?」
「あぁ。シキには愛称で呼んでもらいたい」
「そうか……うん、まァいいとも」
その名を呼べば、ドフラミンゴは嬉しそうに顔を緩めた。
別れなんてものはいつだって突然で、選択はいつだって間近で迫られる。この時に決めておけばもう少し何とかなったのかななんて、そんなものは後の祭りでしかない。失ったものは取り返しがつかないし、過ぎた時間は元には戻らない。いくら知識をみにつけたところでどうしようも無いことはある。そんなことはとうの昔に理解していたはずなのに、結局は過ぎてから後悔するのだ。