プロローグ

 ――生まれた時から今まで両親からの愛というものを感じたことはなかった。

燃える屋敷の中、近くに落ちる包丁を手に取って目の前のそれに向ける。
低い唸り声をあげるそれは目は抉り落ち、皮膚は焼け焦げ、動くのがやっとという有様だった。
手が震えるのは、恐怖からなのか目の前のそれによって負わされた怪我の痛みによるものなのか。アドレナリンが出ているらしい自分にはどちらかは感じることは出来ない。

――父親も、母親も魔術師としての最高傑作を作るためにただ無機質に私という作品に知識を与えるだけだったからだ。

奥に倒れる母親が炎に包まれるのを見て、自分も早くここから脱出しなくては、と焦燥に駆られる。ルーンを使い、館に火をつけたのは良いがそれに自分も巻き込まれるなんて死んでもごめんだった。
包丁と自身に強化魔術をかけて、慈悲もなく無機質に、ただ勢いよくそれの脳天に向けて投げる。

――だから、私はその通りになった。

脳天に包丁が刺さったそれは耳を劈く程の悲鳴をあげて倒れた。そして、待っていたかのように炎がそれを包み込む。
それを見届けて、シキは外へと走る。血がどんどんと溢れ出るのも気にせずに走って走って、ただひたすらに走った。これほど自分の家が豪邸であることを憎んだことは無い。
やっとたどり着いた玄関の扉に手をかけ、最後にちらりと後ろを振り返る。特に思い出は無い。だから、最後のお別れだけを告げた。

「じゃあね、お母様、お父様」

扉を開け、倒れ込むように私は意識を失った。


***


 死。それは魔術世界においても高い神秘である。人は死んだらどうなるのか、どこへ行くのか。それは死んだものにしか分からないことだからだ。

死人に口なし。

この言葉が最もよくあてはまるだろう。

「先生!!患者が目を覚ましました!!」
「本当か!?君、大丈夫かい!?」
「自分の名前は?自分のことは分かる?」

人が、周りを囲んでいる。
赤。
赤い線が見えた。

「何やってるのあなた!」

手が捕まえられる。

「やめ、て。手を...手を離して.....見たくない!!!!」

直感で理解した。
これは死だ。死を見たから、死に触れたから、死が見えるようになったのだ。

「先生!錯乱状態になっているようです!!自分の目を潰そうと...!」
「鎮静剤だ、鎮静剤を投与するんだ!!」

医者らしき男がそう叫んだ。そして意識はどんどんと遠ざかってゆき、やがて黒く染った。

生きているものにとって、死の恐怖が常に身近にあるというものは耐えられることではない。いや、生きているからこそ耐えられないと言ったところだろうか。

ずっとそれを見つめる。
塞ぐための手は縛られ、自分という存在は徐々に消えてゆく。
どの程度時間が経ったかは分からない。一年かもしれないし、十年かもしれない。
そんな虚ろな意識の中でふと声が聞こえた。声と言っていいのか分からないほどそれは言葉を成していないが、確かに自分に何かを問いかけている。
これが答えになるかも分からない。ただしっかりと久しぶりに声を出した。

「私は生きたい」

パチッと何かが変わる。

そしてその瞬間世界から消えた。


***


 痛む頭を手で押さえつけながら起き上がる。
...手で?そもそも病院では手を押えられていたため一人で起き上がることすら出来なかったはずだ。一体、何が起きているのか分からない。が、こういう時は冷静に自己解析に務めるべきである。焦ったとしても良い結果は生まれない。こんなときでもよく働く頭に自分自身驚く。

試しに恐る恐る目を開けるが、あれほど自身を苦しませてきた赤はぼやけていた。気になるにはなるが、ハッキリと見えるよりはだいぶマシなように思える。
魔術回路を起動。
二年のブランクがあるとは思えないほど調子がいい。魔術刻印も上手く働いているようだった。

いや、おかしい。

頭も、魔術回路も働きすぎだ。今までの摩耗が全て無に帰した感覚である。そんなことよりももっとおかしいのが周りの環境。自己解析の為に触れてこなかったが、ここはどうみたって病院ではない。石の床に高い天井、目の前の大きな階段。入ったことはないが、まるで写真で見た城の内部の様だった。とりあえず内部の探索をしようと立ち上がる。
目の前の階段を登り、上へと上がる。その途中に自身の意識を持って動く絵画やいきなり現れる扉など、魔法みたいだと思った。いや、まさか。

魔法使いなんてものはこの世に数人しかいないとされているのだ。幾ら魔術式が見えないとはいえ、魔法が使われているわけが無い。きっとこの空間全体が魔術空間なのだろう。それならば納得はいく。

階段を登りきった時、立派なガーゴイルが目の前に現れた。明らかに怪しいそれに手を触れて、構造を確認する。確かに奥に空間が続いていた。しかし、開ける術が分からない。かかっている術自体を殺すことは出来るが、ここがなにか分からない今、変に行動することは自分の首を絞めることになる可能性もある。
しょうがない。諦めて来た道を引き返そうとすれば、後ろから扉の開く音が聞こえ立派な白ひげを蓄えた老人が姿を現した。

「生徒は皆帰っとるはずじゃから誰が、とは思ったが...」

そう言うと老人はにっこりと笑って「こんにちは、お嬢さん」と部屋の中へと入るよう勧める。初めてあった人間でもあるし、情報の入手の為に断る理由もなし、シキも挨拶を返してそれに従った。部屋の中に備えつれられたソファに座るといつ入れたのか、目の前に出された紅茶に口をつける。もちろん毒物が入っていないことは確認済みだ。
さて、と話を切り出した老人を見遣り、紅茶をテーブルへと戻した。

「お嬢さんはここの生徒ではないようじゃが、どこから来たのかね?」
「生徒?」

彼の質問は最もであるが、その前に生徒という言葉が気になった。それを尋ねるとまずそこからか、とここの説明が施される。

まず、ここは魔法使いの卵が集まるホグワーツという学校だということ。
そして今は丁度新学期前で生徒たちは誰もここにいないということ。
最後にここは一般人には見つけることは出来ず、侵入者も入れないようにしているということ。

それを踏まえた上で自分はどこから来たのか。

簡潔で分かりやすい話だったが、だからこそ引っかかる。

「魔法使い?魔術師ではなく?」
「魔術師か...昔はおったようじゃが......。確かに我々は魔法使いじゃよ」

魔法使いはこの世に四人しかいない。こんな大規模な学校が作れるほどの人数はいないはずだ、少なくとも私の世界には。
嫌な想像が頭をよぎるが、何故そんなことになったのか説明がつかない。少なくとも私の得意分野とは関係がないし、そもそもずっと病院にいたのだから何もできるはずがない。しかし、試しにその魔法とやらを見せてもらったが、確かに魔術では難しい技術だった。
天井を仰いで認めざるを得ないことを知る。

「確認は終わりかね?」
「まぁ、何となく自分がどうなってるのか理解した。原因は、分からないが……」

人一人を平行世界に飛ばせるものと言えばほとんど限られてくる。かのシュバインオーグによる第2魔法か――。

……いや、どちらもバカバカしい。

自分は別世界に来た。それだけが現実であり、結果なのだ。

とりあえず、魔法のことや魔眼の話は避け元いた世界の話をすれば、老人は驚いたように目を見開いた。

「では、君は別世界の人間であり、そちらの世界には魔法使いは居らず、代わりに魔術師がいると?」
「あぁ。私も平行世界に来てしまったなんて考えたくないけどそうとしか考えられない」

だって見た事ないだろう?と魔術で火を起こせば「確かに」と老人は頷く。シキに彼の魔法が理解できなかったように、理論を知らない彼が魔術を理解することは不可能なのだ。それに魔法を使うには杖がいるという。魔術は宝石などは使うものの杖なんてものはあまり使わない。そんなものは必要が無いからだ。
魔術を見せられた老人は少し考え込んだ後に、顔を上げる。

「して、君はどうするのじゃ」
「さぁ?家もないし、戸籍も無いだろうけど暮らしていくのにはたいして困らないさ」

適当に住み込みの場所で働いて資金を貯めてから、株で投資かなんかを始めれば数億なんてあっという間に溜まる。しかし、そんな人間を放っておくなど目の前の老人は出来ないらしい。行く場所がないのならここで生徒として過ごさないか、と誘ってきた。

「ありがたいけど、別に生きていくすべなんていくらでもあるし結構」

それとも、ここにとどまって欲しい理由でもあるのかな?

行く場所はないし、正直拠点は欲しいからその誘いはありがたい。しかし、目の前の老人はただの善意でという訳では無さそうだった。それが分かったのが今までの人生で養われた勘、なのが少し嫌だが。きっと未知の力を持つシキを恐れ、監視するためにここに置くつもりなのだ。それは結構。自分だって目の前に別世界から来ました、魔法が使えますなんて人間がいたら手元に置いて研究に使うに決まっている。
しかし、何故わざわざそれを老人に言ったのか。確かに気が付かないふりをしてその誘いに乗るのは簡単だ。けれどシキは魔術師であり、プライドがあり、誇りがあるのだ。おいそれと誘いに乗るような人間と思われるのは心底心外である。

そう言う意味を込めて老人を見つめる。

「そうじゃな、君の言う通り。君は脅威じゃ、私はそれを恐れておる。それを踏まえた上で生徒として過ごさないかね?」

紅茶を口へと運ぶ。鼻を擽る香りに口で転がせばほのかに感じられる茶葉の甘みにこの茶葉がそこそこの上物であることがわかる。
さて、本音を話してくれた訳だが、最終決定するにはまだ足りない。

「有難く、と言いたいところだけどそうだな...」

こうして取引は承諾され、新たにホグワーツの生徒として通うことになった。


***


「そういえば生徒って年齢幾つなんだい?」
「ん?11歳じゃが...」
「え?私立派な24歳なんだが」
「おや、そうじゃったのか。ほっほっほ」
「笑い事じゃないけど...まぁいいや、認識を誤認させるぐらいは出来るからね」