優しさだけが詰まった頼りない君と


黒の時代から

◇◆◇



___手前は知っているだろうか?

俺たちの進んでいる道はあと1歩だけ進んでしまうと別れてしまうんだ。それがどんなに嫌でも、立ち止まってしまいたくなっても、振り返って暫し後悔したとしても、もう遅い。

今までお互いの顔に泥を投げつけるように、二人揃ってひん曲がったことを云い合いながら、喧嘩をふっかけながら歩いてきた訳だがそれももうなくなってしまう。
どうだ?さぞかし喜ばしいことだろうと、己にふと問うてみたとき感じたのはまるで喉に魚の小骨でも刺さったかのような不快感と虚無感だった。少し前までの自分なら鼻で笑ってしまいたくなるだろう己の変化に少なからず戸惑いを感じたのも記憶に新しい。何故そのような変化が己に生じているのかは自分でよく分かっていたわけだが…。


しかし、これは受け入れるしかない。
受け入れられないなら、受け流すしかない。


それを俺はしっかりと分かっていて、手前は何となく勘づいているのだろう。だから、最近はお互いにはほんの僅かに壁を作ってそっから相手に干渉しないように、これより先に1歩でも進まないように無意識のうちに己に働き掛けているのだ。

しかし、その思いは決していい方向には進まないだろう。


◇◆◇


「中也〜!」
「……」

ガゴッ!!

「おっと、危ない…」
「…ちっ」

その声が聞こえた途端反射的にそちらに向かって拳を振りかざした。しかし奴はそれを身軽にひらりと躱すと、ニヤニヤと笑みを浮かべながら更に近づいてくる。壁に当たった手をおろすと忌々しげにそいつを睨みながら舌打ちをひとつ。


「もう、酷いじゃないか」
「ハッ、手前ェも避けやがるなンて酷いじゃあねえか」
「こら、女の子がそんな言葉の使い方をしてはいけないよ」
「…なンで手前ェの指図なんて受けなきゃなンねェンだ?」


バキッ

もう一発殴り掛かるが相変わらずそれをいとも簡単に避けると、いつもの様に俺の嫌いな心底馬鹿にしたようなニヤニヤ顔を浮かべた。
最近、前世の記憶とやらを思い出した俺の心の中の温度差は色々と激しい。今は中原中也って名前で生きている訳だが、前世__つまり名字名前という名で生きてきた記憶もある。それの記憶は何時だって中也として生きていた自分の眉間に皺を寄せるくらいに、思わず鼻で笑ってしまうくらいに詰まらなく、それでいて滑稽であり、驚くべきものであり、そして、羨ましいものだった。


前世の己は云う。「なんたって、あの太宰治だ。文ストの。」心のなかで勝手に騒ぎ立てるそれが、中也にとっては気にくはない。自分の記憶の中では嫌な奴である太宰治の方が大きいためだ。だからか最近は無性にイライラしてしまう。

異能力を浴びせてやろうとは思うが無効化するソイツには分が悪い。得意の体術も普通にやれば勝てるのかもしれないが、コイツは色々と小細工をしやがるし、すぐ巫山戯て俺で遊び始めやがる。不本意過ぎる。


「そんな帽子なんか被ってたら可愛い顔が見えないじゃないか」
「ハッ、云ッてろ!」


揶揄(からか)うようにそう云ったソイツを鼻で笑う。誰が手前ェの為なんかに帽子を取ってやるか。帽子をとったらとったでどうせ身長が低いだの何だのとイチャモンを付けてきやがるに違いない。それが予測できてしまうので絶対にとってやるものか。


「…何で俺は手前ェと組まなきゃなンねェんだ、全く」
「えー、酷いなあ。こんなに美形と一緒に居られるんだから誇りに思い給えよ」
「…ただの包帯男じゃあねェか」


首領(ボス)の指示には従いたいが、これだけは本当に嫌だ。例え俺が暴走した時に止めれるのはコイツしか居ないとしても、コイツとは反りが合わない。あと前世を思い出したせいで、色々と気持ちがごちゃごちゃしていて気持ち悪い。何が美形だ。本当に手前ェは「顔だけは」良いな。腹が立つぜ。それに双黒と云われるのも嫌だ!身長差が結構あるからそれを比べられるのも!…ってあああ!先刻から嫌だしか云ってねえじゃねーか、俺。

一旦、こいつから離れてェ。


「……」
「あ!中也、何処に行くんだい?」
「着いてくンな」
「…えー」

どうせもう任務も他の仕事もないんだ。残りの時間をこいつと過ごす理由もない。さっさと部屋に戻って寝たい。疲れた。色々と。

後ろで何やらグダグダと云っていやがるソイツの声を無視してスタスタと歩き出す。後ろから太宰が着いてくる足音がする。が、まあコイツも部屋の方向は同じなため無視すれば良いかと歩みを進めた。


ガチャ

組織の中で自分に宛てがわれた部屋の鍵開けるとドアノブを回す。そういや組織外で借りてる方の部屋はあんまり使ってないし、帰ってなかったからそろそろ掃除をしに行こうかなんて、思いながら部屋へと入った。

「……」
「……不法侵入」
「君の数少ない友人なんだから良いだろう!」
「何もよかねェンだよ!帰りやがれ!そして友でもねえよ」


俺の部屋へと1歩入りやがったそいつに一言そう云えば、訳の分からない理由をつけて入ろうとしてくるので閉めだそうとした。手前の部屋じゃねえんだよ!?なに普通に入ろうとしているんだと咎めてはみるが、本人は何処吹く風、すまし顔を浮かべたままだ。

「……」
「……」

こいつ執拗いんだよなあ。絶対に引かないだろうし、色々と対抗しても結局は言い負かされてしまうだろう。今日はコイツに付きやってやる気力は余りない。かくなる上は___、

「チッ、茶飲ンだら帰れよ!」
「やっぱり中也は優しいね。あと、コーヒーが良いなあ」
「……図々しい野郎だな」


絶対にあっつい茶を出してやろうと思いながら、部屋へと入れる。太宰が何やら色々グダグダと理由をつけて部屋へ入ってくることは多々あった。コイツ、俺のこと大嫌いなくせして態々来やがるんだから、絶対に嫌がらせのつもりなのだろう。俺が嫌な顔を浮かべると一層笑みを深くするところとか特に。勝手にソファで寛ぎ始める太宰を尻目に湯を沸かし始めた。

ああ、そういや帽子を被ったままだったなんて云うことも思い出して、それをとるといつもの様に帽子掛けに掛けておく。


「中也は何に怯えているんだい?」
「………は?」


突然のその言葉に驚きながら太宰の方へと視線を向けた。怯えている?一体何の話だ?かち合った視線はいつもの様なおちゃらけた雰囲気を含んではおらず、むしろ真剣だ。


「何を云ッてやがる。どういう意味だ?」
「…そのまんまさ。……ううん、いいや。今のは聞き流してくれて構わない」


はあ?と云いながら首を傾げる。そんな云い方をされてしまうと余計に気になってしまう。まだお湯は沸かないので太宰の隣に座る。本当は嫌なのだが、なんせここは自分の部屋であり、太宰の野郎がドカリと我が物顔で座っているのは自分のお気に入りのソファだ。全くコイツは………、

「……なあ、太宰」
「中也はこの世界をどう思う?」
「……」
「この世界は何だか迚(とて)も、………」


『この』世界、ね。
そうだな。この世界は____、

「詰まンねえな。そして、迚も愉快だ」
「矛盾しているね…」
「そんなもンだろ?こンな世界なンて。俺らがどれだけ足掻いたところで無理なもンは無理だし、逆に上手くいくもンは上手くいくンだ」
「それはそうだね」
「詰まンねェことばッかり云ッてないで、ッてどうした?」


変な会話だな、と我ながら思いながら話を続けていれば、太宰が急に立ち上がった。その顔は何処か茫然としていて、その瞳は何を捉えているのかが分からなかった。嗚呼、コイツ。本当にここから居なくなってしまうのだろう。そう予感させる何かが一気に身体をつきぬけた。放っておけば風にでも飛ばされてしまいそうだ。いつもの俺なら勝手に飛んでけって思う。しかし、俺の中のそれはザワザワと不自然に騒ぎだした。そうか、太宰はこんな枯れた世界から、憎悪とか暗澹(あんたん)とかそんなものが溢れるこの世界から足を踏み出していってしまうのか。そして、いつかは俺たちのことを顰蹙(ひんしゅく)するのだろうか。


「すまないね。矢張り帰るよ。湯を沸かしてくれたところ申し訳ないのだけれど」
「…………」
「中也?」
「…あ、え、これは……」


思わずだ。本当に無意識だったのだ。あとから考えても何故そうしたのか分からない。ぎゅっと自分が掴んでいたのは太宰の服の裾。俺らしくない。そう心のなかで呟いた。

慌てて離そうとすれば太宰は可笑しそう笑う。そっちに気が取られて離すタイミングを見逃してしまった。


____ねえ、中也。これは"約束"だ。ってそんな顔しないでくれ給え。絶対だからね。


「もし、手前がどッかに行ッたら"あの約束"は守れねえぜ?」
「ふふ。その時はね、中也。ちゃんと迎えに来るからさ」
「は?来なくていい。今のは冗談だ。分かれよ」
「そんな冷たいこと云わないでおくれよ」
「…………」
「…中也」


きっとコイツはこのままここを抜けるのだろうなあ。もう一度そう思う。あの予感は確信へと変わっていく。コイツは知らなくて俺だけが知っていること。きっと彼はもうすぐポートマフィアを抜ける。そしてそのまま潜伏するのだろう。
事態はとっくに動き始めているのだ。コイツは少しずつここから抜け出して、陽の方へと歩いていく。例え今までの道が暗闇と憎悪とで塗り固められていたとしても、この先の道はそうとは限らないのだから。

___決別。

その言葉がゆっくりと己を刺した。太宰の喋る声が全く誰か知らない他人のような音で鼓膜を刺激する。


「迎えになンて来なくていい」
「………」
「来なくていいさ、太宰」
「なんで?」
「なんでったって、それは……」


それは流石に云えない。そんな顔をしたってどんなに俺の心に入り込もうとしたってこれだけは云えない。あの約束は殆ど約束と云うものを全うしていないのだから。先程無意識に掴んでしまった彼の服の裾をそっと離す。太宰は一瞬だけそれに目を移すと直ぐに視線を戻した。そして1つため息をつくと何かをぼやいた。


「まあいいさ」
「は?」


何がいいのだろう。さては諦めたのだろうか?それなら万々歳だ。この先、俺達は協力はしても本当の仲間になんて成り得る可能性は少ないだろう。生憎原作は途中までしか分からないし、他もうろ覚え。それに俺が女の時点でこの先がどう転ぶかなんて分からない。だから引き下がってくれるならそれでいい。

「…まあいいさ。」


もう一度、その言葉を太宰は繰り返した。俺の目をしっかりと捉えて、とびっきりの笑顔を浮かべた。


「待っててくれなくても、奪いに来るから」
「…………え?」

奪う?一体全体コイツは何を云っていやがるんだ?呆然とやつを見遣れば、またソファにどかりと座った。帰るんじゃねえのかよ。

そんなことを心の中でグチグチ考えながら、茶を湯のみがなかったのでマグカップに注いだ。そして太宰の前にコトリと置いた。先刻とは打って変わって、いつもの様に皮肉混じりに何やら話し出したのを無視した。何故だかそれに安心した。


「あっつ。しかもこれ珈琲じゃなくてお茶じゃないか!中也のケチ!」
「うぜェ、文句云わずに飲みやがれ。そして帰れ。」

態と熱く熱く作ったお茶の効果は少し時間が経っても絶大のようだ。その光景に思わず笑みを浮かべた。ほら、これに懲りたらもう帰れ。

「えー、もう少し…」
「か、え、れ!」


◇◆◇



春になって鶯の音が響いて、夏になり太陽が盛る。秋に赤が映え、冬に命が眠っていく。

それを幾度が重ねて、俺は地下室へと続く道を歩いた。あいつがそう簡単に捕まるわけがない。なのに捕らえたという連絡が来たときに思ったのは「何を企んでやがる」それだけだった。


「やあ、中也久しぶりだねえ」
「相変わらず手前ェはよお!?」
「その口調も相変わらずだねえ。女らしくない」
「ハッ云ッていやがれ」

そのヘラヘラとした顔にはいつしかの包帯はない。暫く会わないうちに少しはマシになったかと思ったが、何だか昔よりも悪化してる気がする。

「……ふふ。」
「ンだよ?青鯖野郎」
「中也はあの約束を覚えているかい?」
「………」

何の話だ、と云う顔を作りながらやつの隣の壁をぶん殴った。それでもソイツの顔は至って普通だ。詰まらない。

「覚えてるみたいだね」
「…却説、何のことやら」
「………もう少し待って欲しい。待っていて欲しいんだ」
「…俺は短気だから待ってられるか」
「うん。知っているよ。…でも、中也は優しいからさ」

ああ、本当に、

(ムカつく野郎だな…)
(…お互い様だよ)


◇◆◇◆◇◆

はい、こんな感じになりました。リクエストありがとうございます!!何を約束したかはご想像してみてください。



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