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好きな花は向日葵。
それは3歳の時に家族でとある向日葵畑を訪れたあの日から決して変わることはなかった。太陽の動きに合わせて花の向きが変わっていくのが何だか面白くて堪らなかったのだ。幼い頃の私にはその大きな花がきらきらと何処か輝いて見えていた。
それから数ヶ月後、父が向日葵を庭に植えてくれた。それが堪らなく嬉しくて、父が買い与えてくれた向日葵を暇な時は縁側に座って眺めていた。そんな彼女を両親は「全く変な子だねぇ」なんて苦笑しながらも優しく見守っていた。

彼女に18回目の夏が来た。
春生まれの彼女は春に咲く花よりもやはり向日葵が好きだった。

そんな彼女の元に一通の手紙が届く。真っ黒な便箋に入ったそれは少し分厚かった。開けようと試みるがその便箋は中々開かない。仕方ないからハサミで切ろう、そんなことを思っている時に後ろから慌てふためくような声が聞こえた。何だと振り向けばこちらに慌てて寄ってきた父は彼女から手紙をさらっていった。「…え?」と唖然としている彼女を横目に父は小声で何やらブツブツ言いながらいとも簡単に封を開けると、その中身を引っ張り出した。それを見る間でもないという顔でこちらにそのまま手紙を渡してくる父は何故か悲しそうだった。

まるでそんな父に呼応するように突然の夕立が降り始める。庭に溢れんばかりに増えた向日葵が太陽を見失ってザアザアと音にまみれて揺れていた。虫の知らせみたいだと思った。それと同時に何だか嫌な予感がして、開けてあった戸を閉めた。

彼女の家系は古い霊能者関連の家系だった。といってもそれは戦前の話であり、もうとっくに廃業している。今はその霊能者関連の諸々をしていた頃から表でやっていた旅館経営が主である。この辺は温泉街ということもあってそれなりに賑わう。すぐ近くには世界遺産なんかもあったりするし、この旅館の至る所に咲いた向日葵が珍しいと夏は多くの人が訪れていた。


秋が訪れる頃、彼女はそっとその場所へと踏み入れることになった。そこには向日葵なんて咲いていない。どちらかと言うと赤い紅い紅葉がその切り取られた世界を彩っていた。それは本丸と呼ばれるところであり、何やら問題だらけの場所であるということを聞いた。そんなところにほんの少しだけ霊力と呼ばれるものを有しているらしい私は呼ばれた訳だが、実際何をすれば良いのかあまりよく分かってはいなかった。突然、済まないが言って欲しいと頼まれ、その言葉とは裏腹に半ば強制的にこの場所へと派遣された。少しは事情を聞かされはしたものの、分からない事の方が多くて取り敢えずこの本丸の刀達を助けるために色々すれば良いのだろう、なんて所で理解した。

「……」

なんだ、問題だらけという割にここに居る刀達はみんな優しいじゃないか。それが最初の感想だった。向こうの方からこちらの手伝いをしようと来てくれるのだ。とても有難い。そんなことを思いながら、自分に宛てがわれた部屋を歩き回る。自分の部屋とは違う雰囲気の為かどうしても落ち着かないのだ。それに大まかな指示を貰っているとはいえ、いざ現場を見ると何から手を付けて良いのかも分からない。
うーん、と唸りながら歩き回っていると足が滑って転んだ。いやいや、私何歳だよ。そんなことを思いながら、近くなった柱に手を置いて立ち上がる。

ガコッ

「え?」

変な音がした。何やら歯車のようなものが回っているような音。一体何だと音の方を見るとすぐそこに置かれていた机がずれていくことに気づく。机がずれてしまうとちょうど隠れて見えなくなったところに、小さな凹んだ部分がある。何やら宝物やへそくりでも入れてありそうなところだが、何も入っていない。
なんだ、これ。忍者屋敷とかで刀とか仕込んでたりしそうな造り。そんなこと考えながら柱を見やる。一部分が窪んでいた。なるほど、これを押したから作動したんだな。なんて思いながら、また押せば何事も無かったように机が戻っていく。本当に変な仕掛け。そう苦笑した。

__まさか、役立つ日が来るなんてその時には夢にも思わなかった。

さて、こんなことしている場合じゃない。もう夜も更けてきたしさっさと寝てしまおうか。そんなことを思いながら布団を準備し床に就いた。


「……っ」

それは唐突に訪れる。
闇の帳が降りてからどれくらいの時間が経ったかは、定かではない。分かるのは就寝してからおよそ数時間は経っているということだ。
身体にのしかかる重い重い何か。ギーッと響く不可解なそして不快な音。

なんだこれ、体が動かない。なんだこれ、とても気分が悪い。どうにか目をこじ開ける。そこには何も無かった。ただ、闇が広がっている。

___…え?

声は出なかった。
音なんて概念が存在していない訳では無いはずだ。でも、何も見えなければ声も出ない。感じるのは気持ち悪さと不可解な音。瞬き…、あれ?瞬きってどうやるんだっけ?

まるで、そう、

___私が私じゃなくなったみたいだ。


そこからは何もかもがまるで他人事のように進んでいく。何もかもが分からない訳では無い。私が、私じゃない私が何かを傷付けている。…誰かを傷付けている。
なんで、どうしてこんなことに。いやだ。そんなことがしたかった訳じゃあないんだ。

私はただ彼らを救いたくて、彼らと日々を過ごしたくて、彼らと向日葵を見たくて…__、そうさっき考えたばかりだというのに。なんで、なんで?

訳の分からない状況の中で、暗闇の中で一瞬だけ光が漏れた。パタン、畳に座り込む。己の周りには渦巻く闇。あとほんの僅かな時間が経てばまた直ぐに取り込まれてしまうだろう。それに無性に腹を立てながら、辺りを見回す。すぐ目の前には刀があった。それはとても見覚えのある刀だ。

ああ、そっか。ここに来た時に本丸を案内してくれた彼だ。と殆ど折れかけているその刀を見て涙が零れた。向日葵のような暖かな髪と空のような透き通った目を持つ彼を思い浮かべる。


「ごめんね、ごめ、ごめんなさい」


震えた声を発しながら、とあることを思い出した。そうだ、そう呟いてとある柱の一点を押す。それと同時にガコッと聞き覚えのある音が響いた。目の前に転がる刀が折れないようにそっと拾う。殆ど闇に吸い取られてしまった霊力を気休め程度ではあるが纏わせながらその刀を窪んだところに入れる。そしていつも使っていた向日葵の髪飾りを取るとそれも一緒に放り込んだ。そして、また柱を押してそれらを見えなくする。


「………」


それが彼女の精一杯だった。もう、あの闇には勝つことは出来なくて世界が暗転したのだ。


好きな花は向日葵。
太陽のない真っ暗闇ではもうどこを向いていいのか分からなかった。


◇◆◇



「大将」
「…薬研くん?どうしたの?」
「飯の準備ができたけど、もちろんこっちで食うよな?」

ん?ご飯の準備?
どういうことだろうか。

「え?まさか、ちゃんと私の分もあるの?」
「燭台切が作りすぎたから持ってけって。まあほかの連中にはこのことは広めない方が得策だからこっそり持ってくるよ」
「…そうなんだ、ありがとうね」

余った食材を分けてもらってご飯を作ろうと思っていたわけだが、その必要はないらしい。去っていく薬研くんの背中を見ながらとそんなことを考える。

ということは今日はカレーかあ。久しぶりに食べるな。最後に食べたのはいつだっけ?……うーん。

__薄暗い部屋、飛ぶ罵倒、痛む体、冷たいご飯、そして……。

そこまで考えて目を閉じる。記憶を遡るついでにあまり思い出したくないことを思い出した。無駄に記憶力が良いせいで鮮明に浮かび上がるそれを忘れることも出来ないので、他のことを思い浮かべる。

お母さんの作るカレーは最高だったな。そんなことを記憶の中から引っ張り出した。甘口のカレーをまだ食べていた頃、お母さんも確かお父さんも合わせてそれを食べていた。何だこれ甘いな、そう言いながらも一緒に食べてくれていた気がする。記憶力があるならお父さんのことも覚えていれば良いのに、私。そんなに思い出したくない記憶でもあるのだろうか。そう自分に問いかけるが相変わらず何も感じはしなかった。
まだお母さんと生活してた頃、お父さんって最低野郎だったからいないの?なんて同級生の男子に父親が居ないことをからかわれた事を妙に引きずった私が母に尋ねると、母は笑って言った。そう、あれは確か……__、

「……ん?……うっわ!?」

ガタッと突如音がして意識をはっと戻す。次の瞬間、何がが自分に体当たりをしてきた。それに驚きながらも突然のことでバランスをとることができなかった体は後ろに倒れていく。いや、これはまずい。反射的にすぐそこの柱に手を置いて衝撃を減らそうとした。しかし、手を置いた途端、柱からガゴッという音とともにギッと何かが動く音がした。

え?何?

突然の事態にびっくりして柱から手を離すと、しっかりとバランスのとれていなかった私の体はそのまま尻もちをついた。

「……うっ、いてて」
「……虎くん!」
「あ、五虎退!!その部屋は…!」

そんな声が部屋の外から聞こえてくる。尻もちをついた状態で自分の足の上を見れば五虎退くんのところの虎くんが丸まっていた。

「……また君かあ」
「わわ、大丈夫ですか……!?」
「……っ、これは」

なんでこうも懐かれているんだろう。私、本当にこの虎くんに気に入られてしまってるなあ。なんて思いながら、はぁとため息をついた。そして部屋の中に虎くんを追いかけて入ってきた五虎退くんと一期一振さんと乱くんを見る。何やら驚きの声をあげていたが、どうやら私に対してではないようだ。彼らの視線はこちらではなく私の後ろにある机の方に向いていた。つられてそちらを見る。

「えっ、何これ!?忍者屋敷みたい……」

机がずれて、その下に何やら窪みがある。普通に使っていた机だが、こんな風に動くものとは想像もしなかった。私以外もそのことを知らなかったらしくみんな呆気にとられていた。

「何か入ってる…」

乱くんの言葉よりも少し早くその窪みに入っているものに全員の視線が行く。一体それが何なのか、それを確かめようと全員でその窪みを取り囲んだ。

「……刀?と向日葵?」
「は…はかた」
「何でこんな所に…」

その中にあったのは一振りの短刀とそれに添えてある向日葵の髪飾り。刀は鞘から抜かれたままそこに置いてあり、そのすぐ傍らに鞘があった。それが何を暗示しているのかは分からない。私以外はそれが何か分かったらしく、今にも折れそうな刀に触れて震える声を零した。


(何かあったら俺に頼るとよかばい!俺が何とかするけんね!)
(ふふ、ありがとうね)
太陽がないと空を忘れちゃう
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