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桜が、桜の花びらが空に舞った。
さあっと透き通るような風を受けて、桃色が果てしなく遠い空の中を泳いでそしてひらり散っていく。
「……___?」
___その人はその大きな手で私の小さな手を壊れものを扱うように優しく、でも決して離さないように確かに握ってくれている。
何かをずっと語り掛けながらその人は何処か覚束無い幼い私の小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩いていた。
それはきっと忘れてしまった、いつかの思い出
◇◆◇
いつの間にか季節はもうすっかり春だ。桜の花びらがひらひらと舞っては、春の陽の光にキラキラと照らされながら落ちていく。風が花々の初々しい甘い匂いを連れて通り過ぎていった。
もうすぐ満開になりそうな1本の桜の木へと近づくと、その人は木の下に設置されたベンチにたった今落ちてきた桜を取った。そして私の前に屈むとそれを私の髪に挿す。
「わあ...」と嬉しそうに声を上げた幼い私に、「うん、かわいい。似合ってる」と満足そうに言ったその人の顔は逆光で眩しくてあまり見ることは出来なかった。
けれどとても優しい笑顔でニコリと笑っている気がした。
_真白
また手を繋いでしばらく歩いた後、突然その人が私の名前を呼ぶ。ん?と首を傾げれば、繋いでない方の手で私の髪をポンポンと撫でた。そして繋いでいた手を離して屈むと、幼い私の体を抱き上げながら立ち上がる。
すると周りの景色が変わった。いや、変わったような気がしただけだ。
その人は背が高いからきっとそのように思ったのだろう。
幼い私は突然のことに一瞬目を真ん丸にして驚いたが、自分がいつも見ている景色とは違う景色に嬉しそうにキャッキャッと声を上げて笑った。
フッ、とその人がまた微笑んだ気がした。
私を抱き上げたまま、またゆっくりゆっくりと春の中を歩き出す。
私はその人にギュッと抱きつきながらひらりと舞う桜の花びらを目で一生懸命に追いかけている。
手を伸ばせば取れそうだ。きっとそう思ったのだろう。
ひらひらとすぐ近くに落ちてきた1枚の花びらに向かって手を伸ばした。
あ、とれる!
そう思って笑みを浮かべたが、その花びらは私の手をまるですり抜けるように躱すとまたひらひらと落ちていく。
あー、落ちちゃった…。とちょっとがっかりしてその人の肩に顔を埋めてあーだのうーだの声をもらした。すると頭を撫でられたので、少し落ち込んでいた気持ちはどこかへ行き、顔を上げてその人と顔を合わせてニコニコと笑った。
_真白
その人は立ち止まると道の端にあったベンチへと腰掛ける。そしてその人は私の名前をまた呼ぶ。
_なーに?
顔を上げる。
相変わらずその人の顔は見えなかった。
その人は私に向かって何かを言う。
その時だけ周りの音もその人の声もまるで切り取られたかのように聞こえなくなった。
動く口を一生懸命見つめるが全く分からない。その人が話終えればまた音が帰ってきた。
もう一回言って、ねえ……。
と言おうとするが何故か声が出なかった。
_帰るか
そう言いいながら立ち上がると、また私を抱き上げてさっきまで歩いてきた方へと歩き出す。私の背中を優しく撫でながら。
何だか段々と眠くなってきた。
景色が少しずつ暗闇に飲まれていく。
まだ寝たくないと目を擦るが無駄な抵抗なようだ。
私の意思に逆らってゆっくりと瞼が閉じていった。
◇◆◇
「はぁ、夢か」
目を開ければ見慣れた天井。
今まで見ていたあの夢は、きっと今では思い出すことの出来ない父との記憶だろう。覚えてはいないのであまり確信は持てないが……。
ふとすぐ近くに置いてある目覚まし時計に目を向ける。
05:45
どうやらいつもよりも早く目が覚めてしまったようだ、とまだ私を起こすという役割を終えていない目覚まし時計を見ながら思う。何だかすっかり目も冴えてしまったので二度寝は無理だろう。
起きて朝ごはんを作ろう、と考えながら起き上がった。
(あーあ、今日が始まってしまった)
(憂鬱だな)
序章
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