残酷な神様を看取ってくれ

あの子のことを俺はずっと覚えている。

世界はいつの間にか沢山沢山変わって、ついこの前起きたような気さえする世界をまたに掛けた戦争は人の感覚では随分と前のようだ。昔の常識なんて通用しないことも多くなって、ふとそれを思い出しては新たなそれに適応するために頭を軽く振る。そして、ぼんやりとした意識を引き摺って、ポケットに入っているそれを引っ張り出した。

これがあの子とのたった一つの___


◇◆◇



あの子と初めて会ったのは確か15、いや16世紀位だったか?さすがに随分と時が経ってしまったため、もうどれくらい前なのかはよく覚えていない。あの時は俺よりもあの子の方が背が高くって、よく抱っこしてもらったなあ。けれどあの子はとある事件に巻き込まれてその命を散らしてしまった。人の運命は俺がどんなに頑張っても変えられるわけない。そんなことはもちろん分かっている。酷く悲しく思いながらも、こんな経験はよくある事だと自分に言い聞かせ、またいつものように変わらず、少しだけ色が変わった世界で生きた。何故かどれだけ経っても彼女のことは忘れられなかった。人ひとりのために泣く訳にもいかなかった。けれどどうしても泣きたかった。だから人目を盗んでよく泣いていた。

どうか来世では彼女が幸せになりますように。



次に会ったのは丁度第二次世界大戦が始まる前だった。最初見た時、自分は幻を見ているのだと思った。彼女は俺の事を覚えていなかった。まあきっとそれが当たり前なのだ。そう言い聞かせれば幾分か気が楽になる。昔のように抱っこなんてして貰えるような体格でもない。頭だって撫でて貰えない。けれど彼女とまた会えただけで良かった。自然と昔のようにまた仲良くなった。
けれど戦争が始まる。戦争がはじまる前、彼女はひっそりと俺に逢いに来て滅多なことでは消えない俺にどうか死なないでと、人がするように言って彼女の母の形見だという銀のクロスを首にかけてくれた。しかし、俺は物をよく失くしてしまうから、と大切に大切にしまっておいた。戦争の最中、彼女は死んでしまった。衛生の悪化や食糧難も深刻になったために治安も悪くなり、運悪く殺されてしまったのだとか。それを知ったのは戦争が終わって数年経った時のことだった。敗戦し、色々とゴタゴタとなった国の中は荒れる。それに伴い俺の体の外も内もボロボロだった。そしてそれに追い打ちをかけるように聞いたそれは更に俺の心を抉っていく。次は泣かなかった。代わりにまた願った。

どうか来世では彼女が幸せになりますように。



そして、現代。文明が発展し世界中の人が行き交うことの出来るようになった世界は、少しだけぼんやりと何処か詰まらない、…ような気がする。こんなことは同じ国である兄ちゃんにですら言っていない。絶対怒られるから。もちろん、何時だって彼女のことを探してしまう俺の事も言ってはいない。人ひとりに執着するなんて馬鹿らしいと笑われて呆れられてしまうだろうから。

「…う、……うぅ___っ」

ある昼下がり、ドイツの訓練をサボって、女の子をナンパしてみたり、ぼんやりと人の溢れかえる大通りを歩いてみたりしていると女の子の泣き声が聴こえてきた。そちらへ向かえば数人の男女の大人が小さい女の子を前におろおろと慌てふためいている。


『お嬢ちゃん?迷子?お母さんは?』
「……お母さん、どこ?…うわああん」
『…あれま、この子。なんて言ってるのかしら?どうしましょう?』


黒髪のその女の子はまだ7つか8つ位だろう。これだけ人通りも多ければはぐれてしまうのも仕方ないか、と思いながらそちらに近づく。

『チャオチャオ!どうしたの〜?この子、迷子?』
『おお!祖国様!そのようなんですが、どうも言葉が通じなくて…』
『そうみたいだね。俺が探しておくよ!ありがとう』
『祖国様なら大丈夫ですね!では』

流石に言葉が通じないのではどうすることも出来ないのであっさり引いてくれた彼らは賢明だ。それにこんな小さい子を大きな大人が囲むものでもない。地面に片膝をついて、小さなその女の子の顔をのぞき込む。相変わらず泣き止まないその子は顔に手をやりどうにか涙を止めようと目を擦り出す。

「ヴェー、そんなに擦ったら可愛らしいお顔が勿体ないよ〜」
「…うう、お兄ちゃん日本語喋れる、の?」

俺の言葉に泣き止んでこちらを見た彼女は、どうやら日本人らしい。しかし、その髪は日本人の多くのそれと同じ色の黒髪だが、顔は日本人と言うには少し違う気がする。きっとハーフなのだろう。そう思いながら彼女をもう一度見る。その顔には見覚えがあった。ああ、あの子だ。そう、そう確信した。

「ほら、泣き止んでね〜!」

もちもちの頬っぺに軽くチュッとキスすれば、彼女は驚いて目を見張る。そう云えば日本にスキンシップすると怒られるんだよなあ。文化の違い、だから仕方ないけどこれはもしかしたら彼女を逆に困惑させてしまうのでは?そう思い、恐る恐る顔を見るが意外と大丈夫なようだ。昔彼女がしてくれたように彼女の髪をなでつけ、あやす。立場が逆転しちゃったなあ。なんて思いながら色々と話しかけていれば、安心したのかすこしだけ微笑んでくれるようになった。とびっきり可愛い。その表情に思わずそう思った。グッスと鼻を鳴らしたあと、涙を引っ込ませた彼女にそっとポケットのそれを首にかける。

「??これ、私のじゃないよ?」
「……ずっと俺が持っていようかと思ったけど、返すね。待ってて欲しい」
「……お兄ちゃん?」

不思議そうに首を傾げる彼女に思わず苦笑してしまった。自分自身、滅多にしないそれに驚いた。視界の端で誰かがこちらに走ってくるのに気づく。顔から判断するにきっとイタリア人の女性だ。酷く美人な女性だった。

「珀空〜!こんな所にいたのね!」
「お母さん!」

その女性は流暢な日本語で彼女の名を呼び、抱きつく。その光景を見てほっと息を吐いた。そっかあ。ハーフだと思っていたけど日本と俺ん家のハーフかあ。なんて考えながらそっと、人混みの中に紛れるために歩き出した。

「あのね!お兄ちゃんがね!……って、あれ?お兄ちゃん?」

その後ろでは小さな女の子が彼を探すためにキョロキョロとあたりを見回していた。その右手はしっかりと首にかけられたそれの先にある銀のクロスを握っている。


「そんなこともあったかなあ?覚えてない」
「ヴェー、ひどーい。」
「うそうそ、覚えてるよ?」

なんて笑いながら首にかけてあるそれのクロスを弄る。夕日のよく見える丘で、2人でベンチに座ってゆったりとした時間を過ごす。ふと、彼女を見る。彼女は彼女の母の面影を強く残しながらとても綺麗になった。ただ少しだけ痩せすぎているようにも見える。

「私ね、日本に帰るの」
「……そ、そっかあ」
「驚かないの?」

あれ?と言いながらこちらを見た彼女はそう言った。それは驚いている。でもそろそろそう言うと思ってた。そう答えれば、えー?バレてたの?と笑っている。その横顔から視線を外し、俺は膝の上に置いたスケッチブックを開いてページを捲る。そこにはいつも女の子がいる。まだまだ国として未熟な時に会ったあの子、あの銀のクロスをくれたあの子、そして隣にいる君。彼女も俺の手元をいつものように覗き込んだ。どの絵を見ても彼女は相変わらず何も言わなかった。

「これ、返そうと思う」
「………」

銀のクロスを外すと、彼女はそれを俺の首に掛けた。過ぎ去りしあの日を思い出した。何も答えることが出来なかった。

「あのね。本当に本当にありがとう。私、イタリアに来れて良かったと思ってる」
「…うん」
「私、この国大好きなの」
「……うん」

だから、帰りたくない。

そう小さく小さく彼女は言った。が、直ぐにそれをかき消すように笑った。俺は酷く酷く悲しくなった。今までこんなこと沢山あったじゃないか。気の遠くなるような時間を、人より長い時間、この国を見守り続けてきたのだ。こんなことよくある。何回もそう言い聞かせる。そして、どうしてもその思いを押し留めれなくて、そっと軽いキスを彼女の口に落とした。

「……む、いつもはヘタレなのに、こういう時はカッコイイのね」
「ヴェッ、酷いなあ」

彼女は今にも泣きそうなのを耐えながら、そう言って俺の左手を握る。冷たいその体温がちょうど良かった。ぼんやりぼんやりとした意識を引き摺りながら、夜が始まるまでいつもように下らない話を続けた。

すぐに彼女は日本に帰っていった。もう彼女はイタリアには帰って来れない。それは確実だった。首元のそれを握りしめる。彼女は病気だ。ほんの数ヶ月前まではなんとも無さそうだったのに。それが見つかった時にはもう、手遅れだったのだ。どんなに技術が発展してもそれはもう治せなかった。

また彼女は俺を置いていく。

それから三日後、俺は彼女の死を聞いた。恐ろしいくらいに冷えた頭でぼんやりと彼女のことを考えながら家に帰ればそこには兄ちゃんがいた。俺の顔を不機嫌な顔で見ると何も言わず、その部屋を出ていく。きっと兄ちゃんは悟っていたのだろう。俺と彼女のことを。今までの彼女のことを含め、何も言わないけれどきっと知っていたのだろう。

俺は泣いた。

何もかもが悲しかった。1度、2度、3度、この世界は彼女を殺した。3回も俺は彼女とはなればなれになった。それが悲しかった。そして、この痛みを決して忘れないことを誓いたかった。

どうか来世では彼女が幸せになりますように。


◇◆◇


通学路を歩いていく。昨日雨が降ったためか水溜まりが出来ていた。その横をするりと通りとある公園のベンチに座る。椅子がかわいてて良かったと思いながら、こっそりポケットに入れたそれをぼんやりと眺める。

「あ、フェリ!いたいた!」
「ナマエ、チャオチャオ!」
「うん!おはよう!」

国の化身、そんな概念が存在しない世界。この世界で人として、君の隣で生きていけるのなら案外いいかもしれない。今世では彼女が本当に幸せになりますように。そして、どうかその幸せを俺が分かち合えますように、なんて、天に祈ってみる。

「ヴェ、そう云えば俺、課題するの忘れてた〜」
「ええ!?数学だよね?1時間目だよ!」
「ヴェ!?えー、諦めよー」
「まだ間に合うって!私の写していいから!」
「ヴェー!やったあ!早く行こう!」
「ちょ、はや!?」

三度目の正直、って日本にはそんな言葉があるらしい。俺の場合、三度目の正直どころか四度目の正直だった。うん、彼女と共に入れるのならもう満足だ。

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