負けてたまるか!

兄たちはいつだって2人で競い合っていた。どちらかが突っ走って、それをどちらかが追いかけて追いついて進んでいってしまう。それをぼんやりと見ては、いつだって置いてけぼりにされたことに泣きそうになる。そうすると2人はいつだって駆け寄ってきて、一緒に歩こうとしてくれる。

そうじゃないねん。

僕は2人とほとんど喧嘩をしたことがない。2人はよく喧嘩をしている。それも殴り合いの大乱闘だ。喧嘩なんか別に好きじゃないけれど、羨ましいと思った。2人は僕のことをそんなふうに殴りも蹴りもしない。ムカついたぁ!と言いながら、髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜるだけだ。ほっぺをつついて、引っ張ってど阿呆と言うだけだ。僕は彼らと一緒の土俵には立てないのだろうか。そう疎外感を感じて愚痴るが母は考えすぎだと笑っていた。僕は、全然笑えなかった。

そうじゃないんや。

同じコート。2人の背中はいつだって頼もしい。片方は尊大な態度をとることが多いせいで、あまり好かれていない気もするがそれでも頼もしい。2人のおかげでこのチームで馴染めてるし、学校生活もあまり息詰まることなく過ごせていた。

なあ、本当にそれでええんか?

兄たちに負けたくない。いつだって置いてけぼりにしていくくせに、僕が止まっていると引き返して何だかんだ言い合いながら引っ張ってくれる2人はいつだってヒーローだ。

ああ、負けたくない。

僕やって、二人を負かしてギャフンと言わせて、それでそれで___、


◇◆◇


「母さん、僕な、東京の高校行きたいねん」
「……ええっ?アンタ、その性格で大丈夫なん!?」
「まあ、何とかなるはずや。……たぶん。たぶんな」
「多分を2回言ったなあ。…別にええけど、お兄ちゃん達と一緒やなくてええん?」
「ええよ、むしろ…いや、なんでもあらへん。東京の高校から声掛けてもらっとってな、それで行きたいねん」

突然の僕の発言に心底驚いたらしい母は、まず僕の性格を気にした。所謂、人見知り、コミュ障というやつで初対面の人とはほぼ喋れない。顔も耳も熱くなるし、声は上擦って吃る。話したい言葉はすっかり空気に食べられて、ぐるぐるかき混ぜられて相手に届くか届かないか分からない音を紡いでいく。やっと喋れるようになっても兄たちのようにすぐ挑発したり、罵ったり、騒いで巫山戯たりすることはない。そんな僕のことを母は「お兄ちゃんらがあれやからなあ…。祈はあんま手がかからんくてええわ。ええ子やな」と言う。僕は多分そこまでええ子やない。ちょっとだけ兄ちゃんたちが色んな意味でポンコツなだけやと思う。

「アンタが決めたんならええよ。ええけど、お兄ちゃん達がうるさそうやなあ。割れ物は片付けとかんと…」
「せ、せやな」

母は兄たちが大乱闘をする日が大体分かる。兄たちが喧嘩している様子を横目に、周りを見れば大抵割れやすいものは避難してある。投げたら怪我しそうなものも綺麗に隅に置いてある。大声でギャンギャン騒いでプロレス技を掛け合う2人に鉄拳を落とす母にいつも思わずゴクリと喉を鳴らして、父と部屋の隅の置物になってガタガタ震えながら見守るしことかできない。宮家の頂点はいつだって母だ。そして母の大分下に男どもがいる。母を本気で怒らせれば、宮家は多分物理的に消滅するかもしれない。いや、するな。

兄たちに話さなければならないという現実が近づいてくるせいで、思わず思考が現実逃避を始めていた。こんなことでは負けてしまう。これだけは譲れないのだ。


◇◆◇



「で、トム。話って?」

もぐもぐもぐ、頬いっぱいにご飯を詰めた兄たちを見やる。そして1回視線を外して母を見た。母はサッとテーブルの上のリモコンを隅に追いやっている。

オカン、まだやらんよ。今言ったらな、多分皿が飛んでくる。

「後ででいいって言っとるやん」
「今聞きたいんやもん、なあサム」
「せやな、ツム」

ついに治兄が箸を置いた。お茶碗も置いた。ああ、これは今話さないと違う意味で大乱闘が始まりそうだ。

「分かった。話すから取り敢えずしばらく食器にも箸にも触らんといて」
「なんやねん、その前置き」
「ほんまやな」

はいはい、とでも言うように両手をテーブルの下に引っ込めた2人を確認して口を開く。

「僕な、高校な……、東京行こうと思ってんねん」
「……」
「……」

そう言うと、治兄がズズズ…と触るなといったはずの箸を取りお味噌汁を飲みはじめた。その隣で侑兄がサラダに入っているコーンを箸で器用に掴んで重ね始めた。

「で、話って」
「お、おう。聞いたるわ。さ、話せや」
「……」

さっきの発言全部なかったことにされた!と気づいて絶句する。兄たちは真顔だ。目も据わっている。オカンが面倒くさそうに二人を見ている。

「だからな!」
「あ、サム!今日のコーン上手いで!オカン、さすがやな!」
「いつもの冷凍のやつやで」
「なあツム、今日の味噌汁の味ちゃうな。オカン、味噌変えたやろ」
「変えとらんわ」

話せや、そう言ったくせして喋ろうとしたら言葉を遮られた。目は据わったままだし、半笑いだしで恐怖を感じた。かなり感じた。

「僕!東京の!」
「ああ!サム、お前のコーンもよこせや!」
「はあ?やらんわ!アホか」

2人があまりにも聞こうとする様子がないので、つい席を立ち上がってしまった。すると2人も立ち上がって僕の声よりもさらに大きな声で声をかき消してきた。何ならその調子のままよく分からないことで、大乱闘が始まった。僕のことなど完全に無視である。さっきまで謎のコーンのくだりをしていたくせに、今は今日の練習がどうだったというので言い合いをしてお互いの耳を引っ張っている。そんな2人をガッと引っ張って慣れたように既に片付けられているリビングに放り込んでいる。母も母でこの2人のせいで、僕の高校の話をすることをすっかり忘れているらしかった。


負けへん。

「……負けてたまるか」


そう小さく呟いた。兄の半分もない量のご飯をかきこんで、流しに持っていってさっと皿を洗うとリビングに向き直った。


「僕!東京の高校行くから!兄ちゃんたちが何と言おうと絶対に変えへん!そんじゃ、おやすみ!!!」
「……え、あ、おい!トム!」
「ちょ、待てや」

多分体育祭の声出し以来だ、こんなに声を張ったのは。試合の時よりも断然大きい声に兄たちは乱闘を止めてびっくりしている。


そっちが話を聞いてくれないなら、僕やって聞かへんもん!!

心の中でそう叫んだ。無駄に負けず嫌いを拗らせている自覚はある。フイと兄たちから顔を逸らして自分の部屋に引きこもるために、いや、多分兄たちが来襲してこようとするから立てこもるために廊下に出る。後ろから兄たちが引き留めようと声をかけてくるがガン無視だ。

あっ、と声を漏らして振り返る。

「お母さん、ご飯美味しかったで。ご馳走様」
「……お、おお。お粗末さまです」

言い忘れてたその言葉をしっかり母に伝えて、次こそ自室に戻った。5分後、ガンガンガンと自室の扉を叩く音がしたが全部無視した。兄たちと部屋が別で良かったと改めて思った。まあこの狭い部屋にあの兄2人は押し込めないし、あの二人の部屋に僕が寝るとなると3段ベット(そんなものあるんか)?いや、布団しくことになるのだろうから。暫く何やら兄たちは叫んでいたが、イヤホンを付けていたせいであまり聞こえなかった。それから、ふあ、と欠伸を漏らしてベッドに潜る。眠るにはちょっと早いが、たまにはいいかとゆっくり目を閉じた。

入眠前には扉を叩く音も声もなくなり、「僕の勝ちやな」と根気負けした兄たちを頭に浮かべながら眠りについた。

まさかそれからしばらくの間、稲荷崎の魅力について死ぬ程プレゼンされるとは思わなかった。


(学食の唐揚げ定食が美味い)
(そんでな、稲荷崎はな!)
(学食の期間限定プレミアムハンバーグ定食も美味い。はあ、腹減った)
(サム!お前、メシ以外にもなんか言えや!)

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