目隠し行進曲

小さい時からいつだって名前の視界には"それら"がぼやぼやと映っていた。"それら"は彼女が成長するにつれて段々とハッキリとしたものになっていく。

しかし、彼女は"それら"のことを全く気にしていなかった。部屋の隅にあるホコリや塵とかそういったものと殆ど同一視してしまっているくらいには本当に興味もなかったのだ。

"それら"は彼女に近づくことはないようだ。目が合っても奇声を零したり、ブツブツ何かを言ったりしながら一定距離を保っている。時々、不意に近づいてくるものもいるにはいるが、"それら"は何故か消し飛んでしまうのだ。跡形もなく、それこそ本当に塵のように。そうなることが何となく分かっているのか、基本的に"それら"が彼女を脅かすことはなく避けていってしまう。触らぬ神に祟りなし、きっとお互いにきっとそう思っているのだろう。

周りの人間には"それら"が見えていないことは早いうちに理解していた。だから、そのことを誰にも言ったことはなかった。まあ、この適当に着色されている世界だ。私が"赤"だと認識している"その色"は、隣の人が見ている世界ではその人にとって"青"かもしれないのだ。だから、私にだけそれが見えていて、周りに見えていないことだってきっとあるだろう。逆に周りには見えているのに、私にだけ見えていない何かだってあるかもしれない。

そう考えてしまえば、やはり"それ"に対しての興味は更にないし、奇妙な姿で駆けずり回っていようと気にもならなかった。


◇◆◇


「あ、兄さん」

仕事とちょっとした用事の帰り、いつも使う道とは違う道を歩いていると、街中で兄の姿を見つけた。遠目からでもやはり自分の兄は分かりやすい。そんな兄は随分と年下の男の子と歩道の隅で何やら話をしている。一度会ったことのある猪野さんではない。もしかしなくてもその男の子は学生に見える。

「仕事関係の人、には見えないけどなあ」

兄、七海建人は名前よりも4つ年上である。今、兄が何の仕事をしているのかイマイチ分からない。それなりに交流はあるが、仕事の話は前の仕事のこと以外聞くことはなかった。たまにそれとなく聞くが、いつもはぐらかされる。まあちゃんと職にはついてるようだし、気にしなくてもいいのかもしれない。

はて、教師なんてしていたか、と目の前の2人を見る。いや、いくら今の職は知らないからといって、兄が教員免許なんて取ってないことはよく知っているので、あの男の子はただ知り合いなだけかもしれない。


兄は、自分が小学生の時に、寮がある何やら名前からしてもいかにも宗教的な学校に入学した。何やら色々あったらしいが、あまり家に兄が帰省することはなかったし、彼はそのまま卒業して一般企業に就職してしまったので、当時はあまりお互いのことについて話をすることはなかった。

そんな兄が最初に就職した職場はそれはもうブラックだったらしい。彼が学校を卒業してから、よく交流するようになったため、話を聞いていたが聞く度にゾッとするのと同時に、健康を心配したものだ。

あれ、でも今の職も出張多いし、時々夜中も仕事してるみたいだからブラックなのでは、と思ったが「同じクソでもより適正のあるクソにした」らしい。ちょっと兄が何言ってるか分からなかった。


まあ、そういう経緯もあってか彼は幾ら給料が出るからといって自分と同じ学校には入るなと名前を何回も諭したし、大学生の時の就活の際にはこういう所はブラックだ。クソだ。と丁寧に教えてくれた。お陰様で福利厚生バッチリ、給料割と良い、人間関係は控えめに言って最高、残業はあるっちゃあるが、ブラックに比べれば、それほどないという自分的にはいい会社に就職できた。

「うーん、声かけなくてもいっか。……それにしても何で学生と……?」

兄と二人で会うのは気まずくないが、兄が自分の知らない知り合いといる時に会うのはちょっと気まずい。向こうだって気まずいかもしれないし。そんなことを考えながら、兄と鉢合わせしないようにUターンしようとした。

「うわっ」
「わ、……すいません!!」

急にUターンしたのがいけなかったらしい。後ろから来た人にぶつかった。次の瞬間には、謝りながら勢いよく頭を下げる。すぐに「大丈夫だから顔を上げて」と言う声が降ってきた。言われたように顔を上げた。そこに立っていたのは、ずっと見ていれば首が痛くなりそうなほど随分身長の高い男の人だった。白い髪にサングラス、なんかちょっとヤバそうな人なんじゃ、と"ヤ"とか"マ"とかそういうので始まる職業を頭に浮かべながら思ったが、眼を付けられたりはしなかった。

「怪我、とかないですかね?」
「軽くぶつかっただけだし、大丈夫だよ」
「本当に、ごめんなさい」

サングラスの隙間から覗く瞳やら、スタイルのいい体やらを見るに相当なイケメンに見える気がする。スーッと冷や汗が頬を伝っていった。

サングラスつけてて、高身長で、すらっとしててイケメン。
有名人とかは街中でサングラスなどを掛けて変装して歩いていることがある。

頭の中をぐるっと回ったそれらの思考が、更に名前に焦りを与える。モデルさんとか俳優さんとかだったら、という懸念がポンと頭から降ってきたと同時に慌てて怪我がないかを確認する。すると男の人は、ヘラっと笑って「大丈夫」だと繰り返した。


「あ、五条先生!やっと来たじゃん!」
「おー、悪いねー」

後ろから元気な声が聞こえてきた。その声に目の前の男の人が反応する。名前に向いていた視線が、後ろへと動いて行ったのを感じる。あ、立ち去るタイミングを逃してしまった。そっと離れても失礼にはならないだろうか。挟んで会話をされると居心地があまり良くない。早急に立ち去りたいな、なんてぼんやり考えた。

「何してるんです?」
「その人、五条先生の知り合い?」
「いや、ちょっとぶつかっちゃっただけだよ。知り合いではないよ、今はね」
「ふーん」

後ろから聞き慣れた声がする、気がする。しかし、それを考える前に目の前の男の人の言った「今はね」ってどういうことなのだろうと思った。言葉の綾ってやつか?それとも単なる聞き間違い?とも思ったが、たしかに彼はそう言ったのだ。

「えっと、私もう行きますね」

そう言って頭をもう一度下げる。後ろからものすごい視線を感じた。これは、もしかしなくても、もしかするかもしれない。だってさっきまですぐそこにいたわけだし。そんなことを思いながら、そっと振り返った。やはり、すぐそこには兄と、兄と一緒にいたあの男の子が立っている。視線がかち合った兄の口が引き攣るのを名前は見逃さなかった。その目が、「何でここにいるんだ」だの「何でこの人にぶつかっちゃったんだ」って言ってる気がした。

「えっと、あはは、じゃ」

もはや乾いた笑いしかでなかった。後ろの2人に軽く頭を下げてからサッと視線を目の前の男の人に戻して、同じように頭を下げる。そして、何事も無かったかのように立ち去ろうとしたが、男の子の言葉が名前足を止めた。

「なあな、この人何かナナミンに似てんな」
「……」
「……え」

ぽつり、呟くような声音なのにそれはしっかりとこちらまで届いた。

ナナミン、……ナナミン!?

名前はつい後ろを振り返った。そしてそのまま兄を見る。なんとも言えない顔で、名前を見つめ返した兄は小さくため息をついた。

「ナナミン?」
「そう、この人がナナミン!」

何だか兄に似合わない可愛らしいあだ名が耳を爆速で過ぎていく。聞き間違いではないらしい。つい初対面の男の子に聞き返してしまった。ほら、と指されたのはやはり兄だ。

「…フッ」

そんなやり取りを見て、名前の目の前の男が小さく笑う。それを聞いて、「あっ」と小さく声が漏れた。兄以外初対面の人と普通に話しちゃってんじゃん、と我に返る。男の子も目の前の男も気にはしていないようだが、名前的にはちょっと気まずい。それに立ち去るタイミングは完全に分からなくなってしまった。

「そりゃ、そっくりだよ。ねえ、七海」
「え?どういうこと?」

あれ、この人私のこと知ってるの?ぽかんと目の前の全身真っ黒白髪長身イケメンサングラス男を見やった。てか、この人、要素多いな。名前は心の中でそうつらつら考える。

「…コレは私の妹です」
「えっ!?マジで!?」

この兄、私のことをコレって言いやがった。礼儀正しそうに見えて、兄は若干私の扱いが雑である。まあ他人にはきっとしないから、家族故ってやつだ。あとは少し照れやら気まずさがあるのだろう。

他人面して立ち去ろうとしていた女が、真逆の七海の妹だということを知った男の子は、驚きの声を上げて名前と兄である建人の顔を交互に見やる。「うわ、やっぱ似てんなぁ」と彼は小さく呟いた。

「俺!ナナミンに世話になってます。虎杖悠仁っス!」
「僕は五条悟。ナナミンの仕事の先輩だよ」
「えっとナナミンの妹の七海名前です」
「………」

ナナミン、ナナミン、ナナミン。急に始まった自己紹介の流れに合わせ、その悪ノリに乗ってしまった。兄はいつになく怖い顔をしている。怖い。とやかく言われる前にさっさと離れよう。そう思っていれば、目の前に、手が差し出される。

「よろしくっス」
「う、うん」

虎杖はそう言って名前の目を見る。それに頷いて自分も手を出そうとする。無邪気なその目を何となしにパッと見た時だった。虎杖の目の奥の奥の奥、随分と深いところに"何か"がいる。"それ"の閉じられていた目がすっと開いて、"それ"はこちらと目を合わせた。そしてニヤリと笑ったのだ。『俺が見えたな』と何かが言った気がした。

___あ、ヤバい。

ぶわり、冷や汗が吹き出す。悪寒が体を駆け巡る。触れてはダメだ。これは異常だ。他の"ヤツら"とは何かが違う。取り込むどころか引っ張られる。消すどころか消されてしまう。それがほんの一瞬のうちに理解できてしまった。

虎杖の手を掴む直前で止まった名前に、虎杖は首を傾げた。

「名前さん?」

兄がいる手前、名前のことはそう呼ぶことにしたらしい彼の言葉ではっと息を吐いた。

「ご、ごめ…」
「ん?」

不思議そうな顔をした虎杖に謝ろうとした時だった。着信を知らせる音が鳴る。皆がよく使うデフォルトの着信音とは違う独特の音は名前のスマホのものだ。自分にかかってきたらわかるようにとプライベートと仕事用の二種類を設定していた。今回は仕事用のものだ。それのおかげもあって、名前は虎杖から2歩離れた。3人分の怪訝な視線が突き刺さるが、余裕のない彼女にしてみればそれどころじゃない。

「ごめん、仕事戻らないといけないかも!じゃあね、兄さん!あと、虎杖君に五条さんも兄をよろしくお願いします!」

そう早口で言うと、そのまま早足でその場を後にした。

『__賢明な判断だ』

"だれか"がそう呟いた気がした。


◇◆◇



「ねー、七海」
「なんです?」
「あの子って呪霊は……」
「恐らくですが見えてないはずです。そんな話は聞いた事ないですね。まあ、その話をしたことがないのでなんとも言えませんが」

走っていく背中を見ながら、五条は七海へと問い掛ける。それに七海は返しながら、幼少時代を思い返す。妹が自分のように何かが見えている素振りは見たことがないし、怯えている様子も見たことがない。

「ふーん。じゃあ危機察知能力高めなのかな。明らかに宿儺に怯えてたように見えたけど。まあ、特級だし、身内に視える人間がいるから多少感じたのかもね。……ああ、それか、悠仁みたいにグイッて距離詰めて来るタイプが苦手なだけってこともあるかな」
「あー、名前は結構人見知りですからね。有り得るかもしれない」
「え、俺、ナナミンの妹さんに既に苦手判定くらってるんすか?」

ドンマイ、と肩に手を置かれた虎杖はガクッと肩を落とした。あんな美人に苦手に思われてるかもしれない、と思うと男子高校生的には割と心にくるものである。

「さてと。そんなことより、"あれ"をつきとめないとねぇ」
「ホントに消えたんスか?1級?だっけ?」
「消えたらしいよ。まあ、祓われたが正しいかな。それを誰がしたのかは分からないけどね」

それを行った"誰か"を突き止めること、そして場合によっては良い人材なのでこっち側に引き摺ってくること、それが五条に言い渡された任務のひとつである。しかも、相手が分からないから無期限。上の命令に従うのは癪だが、誰がしたのかは純粋に知りたいので、今回は言われた通りに五条が動くことにしたのだ。


「近くに他に呪術師もましてや一般人もいなかったらしいよ。遠隔攻撃できるタイプか、元からそいつを張ってたのかは知らないけどね」
「へー」

よく分かっていないのか、虎杖は首を傾げながらも相槌をうつ。その様子を2人の後ろから見ていた七海は、人の溢れる街へ視線を移し眺めた。今日はいつにも増してこの辺りの呪霊が少ない気がするのだ。人が集まると本当に雑魚ではあるが呪霊も集まる。祓う程ではないにしても、"視えるもの"の視界の中では、チラチラ動くのでつい見てしまうことはある。

「さて、行こうか」
「どこか宛はあんの?」
「残念ながらないよ」

だから言ってるだろ、誰がしたのかは分からないって。それを突き止めるついでに何件か依頼をハシゴするからねー、と五条は言いながら歩き出した。それに続いて虎杖と七海も歩き出す。段々と夜の匂いに包まれていく街中を縫うように進んだ。

「そういえば、五条さんは何で妹のこと知ってるんです?」
「何回か写真見たことあるからね」

妹がいるとは言ったことはあるが、五条に会わせたことはないはずだ。名前の反応からも顔見知りだとは思えなかった。そう思って問うと、五条は「ああ」と言ってそう返したのだ。

「入学式とか卒業式とかそういう時にいつも七海宛に名前ちゃんの写真が送られて来てたじゃん。それで知ってたんだ」
「……五条さん、何勝手に」
「いいじゃん、別に」

確かに実家から妹の写真が送られてくることは何回かあった。まさかそれを彼に見られていたとは思わず、七海は顔を歪める。

「名前ちゃん、美人だよね。ね、悠仁」
「おう!タッパもあったし、キレーだった!」
「……」
「待って、そんな怖い顔しないでよー」
「ほんとだ、ナナミンの顔こっわ!」

やーい、シスコン!とニヤニヤしながら言う2人に若干の殺意と呆れを混ぜたような感情が浮き上がってくる。2人の声を無視して、七海は今日の任務について頭に思い浮かべた。

(その出会いから)
(またゆっくりと狂い始める)


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