01

「賢兄、東京ちょー怖いよ...」
『そんなことで一々連絡してくるなよ...』
「うん、.....ごめん。忙しいのは分かってるんだけどね」


東京にやって来て数日。

分かってた。東京はこういうところだって分かってはいたけど、実際に来てみるとやっぱり怖い。宮城の感覚でいてはいけない。それをすぐに思い知らされる。

電車は訳分からないし、人は多いし、すごい格好している人もいるし、空は狭い。なんかよくわかんない人に声掛けられたし。あと私のイントネーションもしかしてちょっと変?って思ったりもする。


『一人暮らしはまだ大丈夫だろ?』
「うん。まだ始めたばかりで感覚は掴めないけどどうにか...」

長男と弟2人とは仲は全然悪くないけれど連絡する気にはなれなくって、つい一番歳が近くて話しやすいすぐ上の兄に連絡してしまった。

何だかんだ連絡を取ってくれる兄弟一忙しいと思われる兄。連絡するのは申し訳ないけど、でも連絡あけると向こうから連絡取ってくるしお互い様だよね。そう甘えてしまう自分がいる。


『夜は軽率に出歩くなよ』
「うん」
『飲み会も男に気をつけるんだぞ』
「...うん」

「心配してくれてありがとう」そう小さく言う。ため息混じりに兄は『はいはい。どういたしまして』と返してきた。

多分、こいつ本当にこれからやって行けるのか?とか思ってそう。


専門学校をを卒業して就職で東京に来た。仕事の研修は来週から始まる。それまでに慣れようと初めての一人暮らしをしながら、東京を少しだけ散策してみたけれど修学旅行のときの観光気分とは全然違ってすでに心折れそうだ。

頼れる親は東北だし、賢兄も医学部とても忙しそうだし。友人も東京の子もいるけど、基本的に宮城だ。もちろん県外に行った子は沢山いるけれど。


『部屋は片付いたか?』
「うん。ばっちり」
『何かいるものあったら母さんたちに連絡するんだぞ』
「分かってる」

仕事先までの道のりを確認した帰り、駅の前のところのベンチに座って兄と通話しながら、狭い空の夕焼けを見上げた。

ホームシック、とまではいかないと思うが、ちょっと帰りたいなという気持ちもなくはない。兄の声を聞くとさらにそれが膨らんでいきそうだ。


『こっち落ち着いたら行くから』
「ありがと。でも無理しなくていいよ」
『バレー観に行くついでだ。つ・い・で』
「う、うん」

兄弟一心配性な兄。でも多忙な彼にこれ以上迷惑は掛けたくない。確かにバレー大好きな兄だから、バレーの観戦とかいうやつもしたいのだろう。高校の先輩がバレーしてるとか言ってた気もするし。

「ついでなら仕方ないね」
『.....』

多分、ついでとか言いながら全然ついでじゃないことも分かってる。無言になった通話。今、兄はどんな顔しているのだろう。そんなことを考えながら、スマホの画面をぼんやりと見つめた。イヤホンを片方外すと東京の喧騒がよく聞こえる。


もうすぐ4月だ。

兄が忙しくなるのはこれからでしょ?と思った。多分今度来るとは言ってるけど、忙しくて暫くは来ないと思う。医学部というものはよく分からないけれど、ずっと忙しそうだし、勉強は大変そうだ。でも賢兄にはぴったりだとも思う。

ちっちゃい頃の転んだ私の手を引いて水道で泥を流して消毒して、そして絆創膏を綺麗に貼ってくれた兄を思い出す。

そんな彼が、お医者さんになろうとしている。頭は良かった。運動もできたと思う。いや、県内でも強豪のバレー部で部活してたし運動神経は良かっただろう。

真面目で、ちょっとムキになりやすくて、意地悪なこと言うし、説教長いし、言葉も強い。でも、心配性で忙しいと言いながらずっと連絡はしてくれる。あとは、やるって決めたことを沢山沢山ひたすらに努力してできる、カッコよくて自慢の優しい兄だ。


「お勉強、がんばってね」
『お前も頑張れよ』
「うん。これからだもん。がんばるよ」
『戸締りちゃんとして、生活習慣もちゃんと整えて、仕事もそれなりに頑張って、それから時々疲れたらいっぱい休め』
「うん、お兄もね...」

じゃあな。うん、じゃあね。

そう言い合って通話が終わる。座っていたベンチから離れる。耳に残る兄の声に寂しさを覚えながらふらふらと駅前のロータリーの所を行く。


「ねえねえ、お姉さん」
「す、すいません!今急いでて...」
「えー、そんな風には見えなかったけど」

__また変なのにつかまった.....!

思わず心の中で叫ぶ。はあ、と思わずため息をついた。もう3回目だ。東京に来て数日しか経ってないのに既に3回も変な人に絡まれている。初日もなんかよく分かんないスカウトの人?とかいうやつに付け回されそうになったし。


.....東京はなんでこんなに怖いの?


過ぎ行く人はこちらを気にせず歩いていってしまう。見て見ぬふりなのか、単に視界に入っていないのかは分からない。でも避けるように人が過ぎていくのが視界の端に見えて寂しさは最高潮だ。

「ちょーっとだけでいいからさ、俺の話聞いてくんね?」
「だから私急いでるんですって」

__変なやつに声掛けられてもついて行くなよ。ロクな事は起きないぞ。逃げ足だけは速いんだから逃げても良い。

東京に来る前に兄は確かそう言っていた。あと「強気でいろ。お前、付け込まれやすい雰囲気あるから」とも言われた。なに、その雰囲気?と思ってはいたが、東京に来てなんとなく分かった。そうじゃなかったらこんな人に声掛けられないよね?絶対カモにしやすい感じのオーラ出てるんだよね、私って!

横から声を掛けてきたその人が私の前に回り込む。私は思わず右足を一歩後ろに下げた。

「逃げても良い」そう言っていた兄の言葉をゆっくりと反芻する。

「良いでしょ?さっき向こうのベンチに座ってたみたいだし、急いでないよね。実は時間あるんでしょ?」
「.....っ」

一体いつからこちらを見てたのだろう。それを考えると気持ち悪さを覚える。私は首を振った。

「待ち合わせまで時間潰してたんです」
「えー、本当に?」
「はい!」

いや、誰とも待ち合わせなんかしてないけどね。でも、この場をやり過ごすためならこれくらいの嘘はついてもいいでしょ?じゃないと向こうのペースに乗せられちゃう。

「待ち合わせってどこよ?」
「か、関係ないですよね。あの、私もう行かないと遅れちゃう...」
「えー」

いや、「えー」じゃないですって。なんでこんなにズカズカ私のパーソナルスペースに入ってくるの?あと馴れ馴れしい。私は困って周りを見回した。いや、こんなところに知り合いなんているはずないから、どうしようもないんだけどね。

「本当に待ち合わせしてる?」
「してます。...あの、もういいですか?」

逃げよう。そう考えて走ろうとしたら、その人に腕を掴まれた。ゾワッと鳥肌がたつ。待って、なんで触ってくるの。

「じゃ、連絡してみてよ?ほら今すぐ」
「...え、いや、あの」

なんでそんなに私に拘るのか分からない。中々引こうとしない男を見てから、掴まれていない方の手でスマホを取り出す。

どうしよう。賢兄まだ出てくれるかな?

兄は察しはいいから話は合わせてくれそうだけど、何て言って連絡取ろう。そんなことを考えながらスマホを見つめていると、男が「ねー、早く」と声を掛けてくる。腕を掴まれてなかったら向こうの人混みまで走るのに。そんなことを考えながらスマホの電源をつけた。

「...おい」
「は?」
「え?」

誰かが声を掛けてくる。絡んできた男と一緒になってそちらを見ると、見覚えのない男の人が立っていた。

__身長高い。190cmは絶対あるよね?

顔も結構強面でその身長や体格もあって、絡んできた男と2人してぽかんと口を開けた。

「.....な、何、お兄さん。もしかしてこのお姉さんと待ち合わせしてる人?」
「ああ」

絡んできた男は冷や汗をかきながら、震えた声でそう問いかける。男の人が頷いた。見知らぬその人とばっちり目が合う。数秒その顔を見てから、はっとした。

「ま、待たせてごめんね!.....あ、あの。もういいですよね?手を離して貰えませんか?」
「あ、ああ...!ご、ごめんね!お姉さん」

完全にビビってる。男の人は腕を解放すると、早足でこの場を去っていってしまった。その後ろ姿が見えなくなるのを待って、それから男の人に向き合う。


「そ、その助けて頂いて、ありがとうございます」
「ああ。これくらいは当然だ」
「とても助かりました。中々引いてくれなくて」

苦笑しながらそう言う。男の人がこくりと頷いた。顔はちょっと怖いけど、でもとても優しいなこの人。何だかとってもかっこよく思えてきて、思わずその人をガン見してしまった。

「…なんだ?」
「い、いえっ。身長高いですね」

いや、私!?初対面になに言ってるの!?

つい見過ぎてしまったことへの羞恥心とか、元来の人見知りとかが発動してついそんな言葉が出てきた。


「ああ、よく言われる」
「.....」

で、でしょうね。真顔のままそう言ったその人。急な私の言葉を特に気にしていない様子でほっとした。

「本当にありがとうございました」
「ああ」
「.....」
「気をつけるんだぞ」
「あ、はい!」

深々と頭を下げると男の人も会釈をしてそのまま去っていった。その大きな後ろ姿とか、さっきのこととかもう全部かっこよく思えた。


(賢兄、東京かっこいい人もいるんだね)
(はあ...!?)
(ちょ、うるさっ...)

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