02

「おにい!東京怖いっ!!」
『うるさっ、分かったからうるさい!』

今日も今日とて兄との通話はこれから始まる。仕事の研修が始まってから約1週間経った。東京に来てから兄との3回目の通話だった。

「ごめん...」
『仕事、上手くいかないのか?』
「ううん。仕事は大丈夫。上司の人は見た目は怖いけど頼りになるし、同期とも今のところは上手くいってる」
『良かったな』
「うん。でも、また研修帰りに変な人から声掛けられて怖かった」

それを言うと兄は盛大にため息をついた。ため息をつきたいのは私だ。研修からの帰り道、歩道を歩いていると突然「オレらと一緒に飲まない?」とか言ってきやがった男たちがいた。もう変な人に声を掛けられまくったからちょっと慣れてきて、適当に流そうとしたが中々引いてくれなかったのだ。

『大丈夫だったのか?』
「うん。パンプスで全力疾走した...。靴擦れで足痛い」
『.....』

だから今日もまたこの前の駅前のベンチに座っている。この前とは違ってもう夜がすぐそこまで来ていた。

ひりひり、ズキズキ。足の痛みに段々とイライラしてきた。絶対お風呂痛いやつじゃん。なんでこんな目にあうの.....。

「ピンヒール履いてたら、踏んでやったのに!」
『馬鹿、余計な刺激は絶対にするなよ』
「わ、分かってるもん」

『お前、変なところで強気だな。誰に似たんだよ』と言う声が聞こえてきた。長男は自由人だし、弟2人もマイペースと無口だ。.....ということは賢兄に似たってこと。それは口にしないが賢兄が高校に入るまで一番一緒に居たのは賢兄だから多分、いやに絶対にそう。

『今、家?』
「ううん。まだ。足痛くて休憩してた。もう帰るよ」
『はあ...、暗くなる前には帰れよ。夜はもっと変なやつが増えるぞ』
「分かってる...」

帰宅ラッシュの間に流れて一緒に帰らないとまた怖い思いをしそうだ。まだ慣れないからか夜が更けた東京は怖い。楽しいって人もいるだろうけど、まだそこまでの余裕が私にはなかった。

『そろそろ切るぞ』
「え...、家に着くまで喋ってて」
『はあ?やだ』
「なんで」
『勉強してる...』

それは教科書捲る音してたから何となく分かってた。でも今日だけはって思う。足痛いから、また変なのに絡まれたらどうしようもない。それが怖い。

「教科書読んでていいから」
『今結構グロいところだけど聞きたいの?夜眠れなくなるぞ』
「そ、それはヤダ」

前、興味があって賢兄に教科書見せてもらったことがあったけれど、医療用語とか病名とか血管とかの名前って最初に翻訳した人がすごく難しく訳しているのか訳分からないし、それに写真も結構エグい。それが頭を過った。

「分かった。頑張って帰る。......お勉強の邪魔してごめん」
『いいよ。息抜きに丁度いいし』
「うん...」

さすがお兄。長男だったら「うん、邪魔するなよ」って素直に言いやがるもん。こういう所は優しいから賢兄素敵だ。もう邪魔しないよ。本当にごめんね。

『じゃあな。気をつけて帰れ』
「うん。ありがとう。じゃあね」

ツー、ツー

通話が切れた。耳からイヤホンを外す。吹き始めた夜風は宮城に比べるとそこまでだが、ちょっと肌寒い気もする。痛みに耐えて立ち上がって歩き出す。

百均でスリッパ買って行こうかと考えたが、流石に今日のオフィスカジュアルにそれはダメだろうなと思い留まる。

駅前を抜けて、広い歩道を歩いていると腕を引っ張られた。

「.....っ!?」

__賢兄!!やっぱり通話繋いでおけばよかった!

そんなことを思いながら振り返る。心の中で強気、強気と唱えながら兄譲りの睨みで相手を見た。

「よ、この前のお姉さん」
「...うわ」
「うわ、は酷くね?」

ヤバいこいつ。またこの辺を彷徨いてたのか。

この前、駅前で声を掛けてきた男がそこにはいた。この前助けてくれたお兄さんがそばに居ないのを確認してから声を掛けてきたようだから、その顔はニヤニヤと余裕そうだ。

「この前のお兄さんいないの?」
「.....離してくれません?」
「やっぱ、めっちゃかわいいよな。モデルさんとか?」
「.....」

話を聞け。あー、せめてこの腕さえ離してくれれば逃げたのに。いや、でも足痛いから走れるかな?

__ああもう、ピンヒール履いてたら踏み抜いてやるのに!

「なあ、ちょっと遊ばない?」
「嫌です。帰らせてください」

足の痛みのせいで今の機嫌はあまり良くない。ジロジロこちらを見てくる視線から目を逸らす。

逃げないと。あとちょっとなら走れる。この手をどうにか離してもらって、それから全力疾走をもう一度しよう。それでコンビニとかカフェに入って.....。

「なんで?ちょっとくらい良いじゃん」
「.....」

めんどくさい。下心見え見えだもん。誰がついて行くか。色々と言い寄ってくる男の言葉を冷たくあしらう。すると笑っていた男の顔が段々と歪んでいく。

「調子乗んなよ」
「乗ってませんけど?」

本性出てるよ、と呆れながらそう返す。私の腕を握る力が強くなる。試しに腕を引いてみるがビクともしない。足だけじゃなくて腕も痛いとか本当に最悪だ。いっそのこと叫んでやろうかな。こういう男って女の子はいざという時に叫べないとか思ってそうだし、いらないトラブルに巻き込まれて泣き寝入りとかごめんだもの。

視線をパンプスに向けつつ、そう決心した時だった。

「おい」
「げっ」

その聞き覚えのある声にはっと斜め上を向く。ガシッと男の肩に手が乗った。その低い声だとか、見なくても分かる威圧だとかで男の肩はすでにビクッと跳ねている。男が恐る恐る振り返った。そしてすぐに顔を青くさせる。背の高いその人はこの前よりも鋭く強く男を睨みつけていた。

「こ、この間のお兄さんじゃん」
「まだこんなことしているのか」
「や、やだなあ。この前はごめんねって謝ってただけだよ。ね?ね?」

急に手のひらをぐるっと返しやがった男。同意を求めてくるが、私はその男の人を見上げて首を横に振る。男が舌打ちをした。聞こえてるんだけど?と、呆れながら腕を引っ張る。

「あの離して」
「.....ちっ」

2回目の舌打ちが聞こえた。それに更に男の人が睨みを強くするものだから男は震え上がった。そしてようやく私の腕を離した。

「次こんなことしたら...」
「分かってるって!もうしない!しません!」

男の人がずいっと1歩前に出ると、後ずさった男は体の前で慌ただしく手を振りながら首も横に振る。そんな風になるくらいならしなければいいのにと思った。

男の人が私の前に立ってくれる。萎縮しまくっている男は、回れ右をするとなりふり構わず向こうの人混みに走っていってしまった。あまりの逃げっぷりに唖然としてしまう。


ぽかんとそちらを見ていると声を掛けられた。

「大丈夫か?」
「.....え、あ、はいっ!」

顔を上げる。男の人の視線は私の腕を見つめていた。私も視線を落とした。シャツを少しだけ捲ってみる。もう暗い時間であるが、店の明かりのおかげで手形の跡がくっきりと赤く残っているのが見えて思わずため息をつく。それから男の人に向き直った。

「あの、2回もありがとうございました」
「いや、構わない」

本当に気にしていない素振りで首を横に振る男の人。2回も助けて貰ったおかげなのか、その人のその態度にあてられたのか、顔が怖い人は苦手なはずだった私が珍しくとてもこの人に好感を持っている。

__めっちゃかっこいいじゃん。素敵すぎる。

こんな感覚は昔ハマったアニメでしか感じたことない。今の私、絶対目がきらきら輝いてる。自分でもそう感じとれるくらいに私の心は浮き立っていた。

「.....あ、あの!」
「なんだ」

そう声を掛けて、そして1歩踏み出す。しかしその瞬間、ズキッと足の痛みを思い出した。足の踏ん張りが効かなくて、ふらっと前に倒れそうになるがすぐに男の人が支えてくれてどうにか転ぶことはなかった。


「す、すいません...!」
「怪我してるのか?」

襲ってくる恥ずかしさで声が上擦る。この人に醜態見せまくりで穴があったら入りたくなった。そんな私を見てそう声をかけてくる男の人。私は正直に答える。

「.....靴擦れしてて」
「そうなのか」
「は、はい...」

ちょっと会話は続けづらいけど、きっとそういう性格なんだろうということはこの数分で分かった。男の人がそっと離れる。私も足に力を入れてちゃんと立つ。

.....超絶痛い。

靴擦れって侮れないと考えながら、男の人を見上げる。またバッチリ目が合った。

「.....」
「.....」

しかし、先程言おうとしていたことが今の出来事で飛んでしまった。訪れた無言の時間。だんだんと混乱してきた私は会話を続けようと口を開いた。

「今度お礼させてください。お願いします!」
「いや、気にしなくていい」

どうにか出たその言葉に返答がすぐ返ってくる。しかもわりと予想通りの返答だ。だよね、とは思った。でもさすがに申し訳なさすぎる。今日お礼できたら良かったのだけど、足が痛すぎて無理だ。家に帰るくらいの力しか残っていない。今日無理してしまうと、明日の研修に支障が出る。

「お願いします!私の気が済まないんです!」
「.....」

そう言ってその人を見上げる。強く強く視線を送る。お兄さんもこちらをしっかりと見ている。

「.....ダメですか?」
「分かった」
「ですよね。.....え?」
「分かった」

思わず聞き返す。男の人はまたその言葉を繰り返した。私はその言葉を反芻して、それから嬉しくなって笑みを浮かべる。良かった。さすがに2回も助けて貰っておいてこれは申し訳ないし、助けて貰ったらお礼をするのは当然だ。

私はさらに言葉を続けた。

「あの、あなたのお名前は?」
「牛島若利だ」
「牛島若利さん、.....牛島さん」
「.....」

名乗られた名前を繰り返す。なんか聞いた覚えがある気もするが、名前が似てたり同じ人って割といるということを知っているので気にしない。牛島さんが私をじっと見つめてくる。私は数秒固まって、そしてはっとした。そうだ。名乗らせておいて、私は名乗っていない。

「私は、白布です。白布名前。よろしくお願いします」
「.....ああ」

何故か目をぱちぱちと瞬かせた牛島さんを見て首を傾げる。なんだろう?とは思ったが、頷いてはくれているので、まあいいか。

そのあとは連絡先を交換してもらった。まさかメッセージアプリの友達追加の方法が分からなくて困り出すとは思わなくて、私は思わず笑う。顔は正直怖いが、優しいし、なんだかんだ面白い人だと思った。

(送っていこう)
(え?いや、あの...)
(なんだ?)
(お、お願いします)


prev back top next
コメント(0)

ALICE+