僕らが捕まった
__その日、辻新之助は一目惚れというものを経験した。


その日は変わったことなんて特に何もないような普通の日だった。そんな日に掃除当番、しかもゴミ出しの担当になった。

ゴミ出しをするためには、1度靴に履き替え中庭などを通ってから校舎裏の指定の場所まで持っていかなくてはならないのだ。


ある程度掃除が終わったため、タイミングを見計らって教室を出た。そして中庭を通って校舎裏へ。他の学年やクラスも同じタイミングでゴミ出しをするため、時には女子の姿がある。

「……」

辻はそちらにあまり近づかないようにして指定の場所にゴミ袋を置くと、先程とは違う道で教室まで戻ることにした。

殆ど同じタイミングでゴミ出しをしていた女子生徒の数人が、中庭を通る方のルートに行くのを察知したからだ。

「…ふぅ」

少々遠回りになったとしても気にはしない。辻のようにわざわざ遠回りをして歩く生徒の姿など他にはいなかった。それにほっと息をつきながら歩みを進める。


視界の端には色とりどりの花が見えた。校庭の所の花壇に植えられたそれらは、しゃんとしていて綺麗であり、そして逞しい。

何の花かは正直全く分からないが、よく学校の花壇に咲いているやつだ。そんなことを考えながら、少しだけ視線を上げる。すると、すぐそこに女子生徒がいることに気づいて、辻は固まった。

花に気を取られていて、女子生徒がすぐ目の前で花に水やりをしていることに気づかなかったのだ。幸い彼女はこちらに気づいていないらしい。静かに立ち去ればまだ間に合うだろうか。彼女の様子をそっと窺い、距離を取ろうとした時だった。


花に水をやり終えてジョウロを置いた彼女は、花壇のすぐ側にしゃがみこむと、花を見つめて静かに微笑んだ。


「……きれい」


辻は口をついて出た自分の言葉に驚いた。そして無意識に彼女に1歩近づいてしまっていることにも驚いていた。

ついさっきまで彼女を避けてそっと通ろうとしていたはずなのに。しかし、それができなかった。だって。だって、


___彼女のキラキラと輝いたその瞳に心を奪われてしまったのだから。


たった一瞬のできごとだ。花に向けたその微笑みがやけに目に焼き付いていて、心臓の音がやけにすぐそこに聞こえて。

いつもならもうとっくに逃げ腰になって、いやもうこの状況なら一目散に逃走しているはずなのに。

なのにどうして1歩近づいてしまっているのだろうか。


「……」

不思議そうにこちらを見上げた彼女と目が合う。キラキラとしたその瞳と目が合って、辻は息を飲んだ。太陽光のせいかもしれない。

けれど、……それにしても、その瞳はキラキラと綺麗に輝いている。気が付けば、辻は彼女の隣に同じようにしゃがみ込んでいた。


「……」

そして初めて焦る。あれ、自分は一体は何をしているのだ、と。

自分でも予想外の行動をしてしまったことに辻は固まった。瞬きを数度してからこちらをじっと見つめるその瞳に捕らわれて目が離せない。頭の中は嵐のように荒れ、混乱していた。


「ですよね!やっぱりお花っていいですよね!」
「……え、あ、えっと、うん」

それは先程辻が口にした「きれい」という言葉に対しての返しだろう。突然彼女が口を開いたことに驚きながらも辻は何か紡がなくてはと焦る。

辻は確かに花も綺麗だと少しは思ったが、それだけじゃない。しかし、それを口にしてしまえるほどの度胸なんて生憎と持ち合わせていなかった。慌てて首を縦に振る。また彼女が笑っていた。

次は花ではなく、自分に向かって微笑んでいた。それに数秒呆気にとられてしまっていた。


次にはっと意識が舞い戻った時、辻はこの場から離れるタイミングを失ってしまったことに焦った。

彼女から目を離しキョロキョロと目を泳がせる。心臓がうるさすぎる。耳やら顔に集まる熱を誤魔化したいが、何を言えばいいのかどう行動すればいいのか困り、口をぱくぱくと開閉するだけに終わってしまった。

そう云えば、彼女の言葉に対して「うん」としか言っていない。ちょっと素っ気なかったかもしれない。

別に普通の会話ならこんなものであるはずなのに、この時の混乱した辻の脳内ではそのようなことですら深く考え込んでしまっていた。数十秒空いてしまったが、蚊の鳴くような声で「そうだね」と先程の言葉に続けるように呟いた。

きょとんとした彼女は、それに頷いてからまた花に目線を移した。


その横顔を辻はじっと見つめていると、彼女が口を開いた。内容は普通の世間話だった。

時々、簡単な質問だとかそういったものはあったが、それに対してどうにか相槌を打つこともできたし、時間が経てばそれなりに落ち着くことができた。

「それでですね」
「はい」

先程の焦りやら慌てぶりは何処へやら、ぽつぽつとお互いに発せられる言葉と、緩く吹く風と、そして水滴を落としていく花。それらが辻の心にゆとりを持たせ、そして穏やかな安心感ももたらした。

女の子と一緒にいる時に、こんな風になることなどなかったので、この居心地の良さに心の中で驚いた。


ふふ、と微笑みながらそのキラキラと輝く花たちを見つめる瞳がもう一度こちらを見ないかな。そんなことをぼんやりと考えながら、辻は彼女をぼんやりと見つめていた。


◇◆


それから数回、辻は彼女と邂逅した。


図書室で、ボーダーの任務をしているうちにいつの間にか新しく変わっていた単元に手こずり躓いてしまったので、気分転換をしていたとき。

自販機に飲み物を買いに行った時の帰り道。

たまたま下校する時間が被った日の下駄箱の前。


彼女はちゃんと辻のことを覚えていて、会うとそれなりに会話をしてくれる。緊張で声が上擦ったり、吃ったりしても彼女はあまり気にしていないらしい。にこにこと笑みを浮かべて、キラキラと瞳を輝かせる彼女。


そんな彼女を見ながら辻は考える。

彼女は隣のクラスで、苗字名前という名前。その綺麗な顔や、ちょっと抜けていて、そして何より優しいところが、学年の男女の中でも有名で、近づこうとした男子を目敏く見つけては彼女の周りの女子たちが牽制しまくっているらしい。

自分と話す時は女子からそのような攻撃を受けたことがなかったので、辻はその噂を実際にその光景を見るまで本当だとは思っていなかった。

まあ辻は女の子が苦手だということも割と有名な話なのでそれに周りが気を遣っていること、そして名前の周りに女子がたまたま居ない時に話していることが、辻がまだそんな体験をしていない理由でもある。


胸中にひっそりとあるその思いを燻らせるが、接点という接点もあまりなく時間だけが過ぎていく。


ようやく彼女と再び関わったのは2年生になってすぐのことだった。まだまだ春も濃い4月のことだった。

担任の言葉により始まった席替えで、辻は窓際の1番後ろという割と誰もが羨むようなポジションを手に入れた。席に座るなり辻は周りを見まわす。そして固まった。

自分の隣の席に座ったのは、今年から同じクラスになった苗字名前だったのだ。

急なことに辻の頭の中は大混乱だ。ぐちゃぐちゃの思考のせいで、担任のホームルームの話など頭に何も残らなかった。


「よ、よろしくね」
「え、えっと、……うん」


まるで初対面みたいな挨拶。ペコペコと頭を下げてそれから、と言葉を紡ぎたかったが何も出てきやしない。そんなことをしている間には、ボーダーに行く時間が迫っていた。

今日のところはもうボーダーに行こう。

明日も明後日も彼女は隣にいるのだ。その間にどうにかまた何か言葉を紡ぐことができると良いな。なんて考えながら、荷物を纏める。

席を離れる時、「じゃあね、また明日」そう言った彼女の言葉に、振られた手に、こちらを見る瞳に辻は息を飲んだ。「っばい、ばい」と吃りはしたが、どうにか返して足早に学校を出た。


(…?辻ちゃん、なんか機嫌良いね?)
(エッ、気のせいです)
ALICE+