2人だけで繰り返した
突然だが、私は隣の席の辻くんに片思いをしている。それも1年生の時からだ。しかし、自分のこの気持ちに気づいた時、私は同時にほとんど諦めた。だって、彼、辻くんは女の子が苦手なのだ。今でこそクラスのみんなは割と慣れては来ているが、1年生の時はそのルックスとか雰囲気とかから女子に囲まれることがあったそうだ。1年生の時は隣のクラスだったので話を聞いただけだが。


辻くんは、女の子に話しかけられると、顔や耳がすぐに真っ赤になるし、「あ、」だの「う…」だのという音しか発されず、困りきって逃走する。彼のそんな姿は結構な回数見たので、彼の女の子苦手っぷりは相当である。


私はというと、「一目惚れしたその人=女の子が苦手で噂の辻くん」という認識が最初はなかったし、何なら自分が一目惚れしてしまったことにすら割と長い期間気づいていなかった。

生憎、保育園の時とかに幼なじみや、イケメンの先生に結婚をせがんだこともなければ、約束すらしたことない。小学生の時もませてはいなかったので、ちょっと大人気取りのクラスメイトのように男子と付き合ったことはない。中学生でも好きな人はおろか気になる人すらいなかった。

保育園から中学生までの印象的な思い出は、学校のイベントごとの他には、一つ下の従兄弟やその更に下の兄弟姉妹たちと遊んだことくらいだ。特にひとりっ子だったこともあり、彼ら彼女らと遊んだり面倒を見たりすることの方が楽しかった。


高校入学してすぐくらいに従兄弟に、「彼氏は?」と聞かれ、「生まれてこの方、好きな人はおろか気になる人すらできたことない」とつい言ってしまったところ物凄い顔をされた。君、そんな顔できたの、と思わず思った。「もし結婚できそうになかったら貰ってくれ」と言えば、どういう感情か分からない表情の彼は、「従兄弟のよしみだ。仕方ない」と呟いた。めっちゃ真顔だった。「いや、そこは否定してくれ」と言えば、彼は頷いただけで何も言わなかった。多分向こうも冗談に乗ってくれたのだろうが、相変わらず動かない表情筋のせいで何も読めない。まあ彼は近所でも学校でもスーパーイケメンとして人気者なので、女の子には困らないだろう。何だかんだいって、結婚しようと思えば彼ならできそうである。


そんな訳で私は辻君に一目惚れするまで、人を好きになったことがないわけで自分が片思いしていること気づいていなかった。何かあの人のことよく見るなあ、目で追っちゃうなあとか、ちょっと喋れた。嬉しい。なんてひっそり心の中で思っていただけだった。

そんなある日、高校で仲良くなったクラスメイトと少女漫画原作の映画を見に行くことになった。その内容が「一目惚れをした女の子が〜」という友達から言わせてみればありきたりの内容の話だった。それを見て私はビビっときた。そして家に帰ってすぐスマホを開き、「一目惚れとは」などそれらしいワードを検索しまくった。自分の辻くんへの感情にようやく気づいたのはその時だった。


そして次の日。学校に登校した私は見てしまった。一目惚れしてしまった彼、__辻くんが女の子相手にしどろもどろになっている姿を。「あれ、隣のクラスの辻くんじゃん。女の子苦手らしいけど、ありゃ相当だねえ」なんて苦笑いをしているクラスメイトの声がやけに私の耳に大きく届いた。そしてそれと同時に、つい昨日気づいたこの感情を押し殺すことにした。正直きっぱり諦めようと思ったが、このなんとも言えない感情は簡単には消失してくれない。寧ろ段々大きく膨れ上がっていく気がする。じゃあ"辻くんのことを好きになるのをやめる"ことを諦めることにしよう。高校生活の間だけはせめてひっそりと思わせてくれ。そう勝手に心の中で彼に語りかける。


寧ろ初恋が辻くんって、めっちゃ素敵じゃん。


私は、そういう風に捉えることにし、高校時代の良い思い出にすることにした。従兄弟に「初恋は実らないって本当だねえ」と思わず零せば、体温計で熱を測られた。ついこの間の会話のことを覚えていたらしい。私が平熱であると確認した彼は、「大丈夫、何かあったら貰う」とやっぱり呟いた。いや、あれは冗談だから、君はちゃんと君の好きな人と恋愛してくれ。と多分イケメン過ぎて告白されまくっていたり、めっちゃアタックを受けていたりする彼に呟く。おそらく受験生であることに加え、ボーダーやら、兄弟の面倒やら何やらで疲れてしまっているのだろう。私は勝手にそう判断した。従兄弟は苦労人であり、そして多忙な男であったから。


そういえば、先程述べた通り、私は辻くんと何回か普通に喋ったことがある。まだ「一目惚れの彼=噂の辻くん」と認識する前の話だ。

たしか初めて彼に会ったあの日は、環境美化委員のクラスメイトに代わって校庭の花壇のお花に水をあげていた。お花は嫌いじゃないし、その日は特に用事もなかったので引き受けたのだ。水をあげたあとは、ジョウロを傍らに置いて、しゃがみ込んで暫く水滴を纏ったお花を見つめていた。陽の光に照らされキラキラ光る花が目に焼き付いた。そして思う。「なんて美しいんだろう」なんて。日常のそんな一コマに満足していれば、上から声が降ってきたのだ。

「……きれい」

そんな言葉が降ってきたのだ。私は思わず顔を上げた。急に上を見た眩しさと、逆光とで彼の顔は見えなかった。ようやく彼の顔が見えたのは、彼が私の隣に私と同じようにしゃがんだ時だった。私は思わず息を飲んだ。つい見蕩れてしまっていた。何かの衝動が身体を突き抜けた。多分それが一目惚れした時だったのだろう。私を見つめるその目から目が離せない。数秒置いて、ようやく息をし、口を開いた。

「ですよね!やっぱりお花っていいですよね!」
「……え、あ、えっと、うん」

私と同じようにこの花の美しさに気づいてくれたのだろう。私はこの幸せの一コマに更に降り注いだ彼という存在に気を良くしていた。しかし、何やら彼は困っていた。視線がキョロキョロと泳いでいたり、口が開いたり閉じたり、そして何故か「しまった!」とでもいうように顔を赤くしたり、かと思えば青くしたり。どうしたのだろう?と不思議に思って首を傾げた。

ようやくまた目の合った彼は「そうだね」と蚊の鳴くような声で呟いた。今思えば、彼は女の子が苦手だ。だからそんな様子だったのだろう。そういえば関わろうと言う努力はしているらしいが、どうしても無理らしいという話も後ほどクラスメイトから聞いたなあ。

まあ、その時は辻くんが女の子が苦手と知らなかったので私は普通に世間話を続けてしまっていた。彼は逃げることなく私の言葉にぽつりぽつりと返答してくれていた。途中無言になっても全然気まずさはなく、のんびりと花弁から水滴が落ちていく様をしばらく見ていた。

___そんな私を彼がじっと見つめていたことなど、花に見蕩れていた私は気づかなかった。



それから数週間後、次に辻くんと遭遇したのは学校の図書館だ。多分、夏休みの前だったと思う。夏休みの宿題に読書感想文が出るという話を現代文担当の教員から予告された。進学校ということもあり、真面目な人も多いため早めに借りておけというアドバイスを素直に受け、私は図書館を訪れたのだ。

読書感想文の本を何にするか特に決めてはいなかった。自分の好きな作者にするのもアリだし、今まで手を出さなかった本も捨て難い。いくつか借りるだけ借りてみよう、と本の背表紙のタイトルを目で追っていた。

あ、これ、読みたかったやつ。

とある本棚の前で立ち止まる。決して新刊ではなかったし、人気過ぎて借りれない訳でもなかったが、気になっていてもこの本を読んだことがなかった。これを機に読もうと手を伸ばす。背の高い本棚の1番上にあるそれは、女子の身長の平均もない私には届かなかった。150cmにギリギリ届かず成長期の終わってしまった自分を恨みながらため息をついていると、後ろから手が伸びてきた。そして、私が取ろうとしていた本を簡単に取ってしまう。

「……こ、これ」
「あ、ありがとうございます」

思わず振り返れば、花壇のところで会った彼が本を私に差し出していた。図書館なので大きな声は出せないため、本を受け取りながら小さな声でお礼を言う。頭を下げた時に見えた上履きから同級生だということをその時初めて知った。大人びた雰囲気とかそういうのから先輩だと勝手に思っていたのだ。

「……え、あ……えっと、他には大丈夫?」
「えっと、……じゃああの本も良いですか?」
「う、うん」

彼に言われて本棚と向き合う。高いところにあって私に取れなさそうな本で気になるものがないか確認する。2つ先の本棚に気になるものを見つけ、本のタイトルを言って指をさせば頷いた彼が取ってくれた。それに対してまた「ありがとうございます」とお礼を言えば、彼は数回コクコクと首を縦に降った。

それから少しだけ会話をしながら、図書館に設置されている自習席まで来た。図書館に何ヶ所かあるうちのこの自習席は勉強だけでなく本を読むことが出来る。他は、本を閲覧する専用スペースや自習専用スペースなど用途に合わせて分けられていた。

彼はどうやらここで勉強をしていたらしい。理由を聞けば、彼はボーダーに所属しているらしく、非番の今日は欠席で受けれなかったところを勉強しているのだとか。

「なるほど、ボーダーかあ」
「……うん」
「クラス違うけど、もし分からないところあったら聞くよ?」
「ほ、本当に?」
「うん、えっとここ座ってもいいかな?」
「う、うん」

この自習席に来るまでの間に「敬語はいらない」と言われたため、敬語を外して会話をする。

「ここ、分からなくて…」
「あー、ちょっとややこしいよね」

どうやらボーダーの都合で、たまたまこの教科を連続して欠席しているうちに単元が移っていたらしく、躓いていたらしい。気分転換に図書館内を歩いていたら、必死に本に手を伸ばす私を見たのだとか。何だか物凄く恥ずかしいところを見られてしまったらしい。彼の躓いていたところは夏休み前のテストでは範囲じゃなかったが、長期休暇の課題や新学期からの授業、そしてテストでは確実に出てくる内容だし、応用問題もガンガン出てくると思われる所だ。取り敢えず困惑しながらもノートを写すだけ写しはしたらしい。

「えっとね……ここは、…」
「……」

なんて丁度スクールバッグに入っていたノートと彼の教科書やノートとを照らし合わせながら解説していく。この教科の担当教員が同じで良かったと思いながら説明すれば、彼はメモを取ったりしながら聞いてくれていた。ある程度彼も理解できたところで、練習問題を解いてもらう。そんな彼の隣で私は読書を始めた。

やはり沈黙は全然苦じゃなかった。

それから時間が経って、お互いに図書館を出て下駄箱の所で「ばいばい」なんて言って別れる。図書館からそこまでの道のりで、またぽつりぽつりと会話をしたが、今考えても辻くんが女の子を苦手だという印象はあまりなかった。キョロキョロ目が泳いでいたり、言葉に詰まったり、吃ったり、上擦ったり、そんな様子は見られたが、あまり話すのが得意じゃないのだろうと気にしていなかったこともあるのだろうか。

そんな私は何回か彼と遭遇してその度に少しだけ会話をした訳だが、彼が女の子を苦手だと知ってしまった現在、今思えば凄い苦行を強いてしまっていたのではないか。

そんな考えとともに申し訳なさや罪悪感を感じてしまった。

私、もしかして嫌がっている素振りに気づかず、会話を続行したりしてしまっていたのでは?なんて今更事実確認もできぬまま只管に焦った。しかし、彼は隣のクラス。遭遇することなど滅多にない。たとえ体育が合同でも男女は別だ。基本的に他のクラスに用があって訪れることもない。私的には、遠目で時々視界にいてくれるだけで物凄く幸せを感じるので、近づく必要はない。そう結論づけた結果、それからの高校1年生の生活で彼と関わることはなかった。


しかし、まさか2年生になって同じクラスになるだなんて。

しかも、席替えで隣の席になるだなんて。


そんな衝撃が私を貫いた。視界に入るだけで幸せ、そんな私にとってこの事態は色んな意味でやばい。完全に少女漫画の展開だ。最近友人が「このイケメンを見ろ!」と貸してくれた少女漫画の展開にそっくりだった。

新学年になって2週間。担任に「最初で最後の席替えをするから」と言う言葉に何人かが声を上げた。しかし、「席替えは面倒」という担任に勝つことなどできず、2年生で最初で最後の席替えを行うことになった。後ろがいいな、窓側がいいな、自分のロッカーに近いところがいいな、なんてみんな囁きながらくじを引いた。

私の席は、窓側から2番目の1番後ろだった。めっちゃいい席じゃん、と嬉しくなりながら席を移動して周りを確認した。私の右は男子、前は女子、左は辻くん、後ろはいないから……って、辻くん!?前も右も去年同じクラスの人じゃないなあ、なんて、思いながら、左を見れば辻くんと目が合った。辻くんは、窓側なので左隣がおらず、右は女子である私、前は男子。しかし、この席だと授業中のペアは私じゃないか。私は顔を青くしながら、「先生、目が悪いので席交換したいです」と進言しようと前を向く。しかし、それは一歩遅く「じゃ、この席で行くから。日直、号令」という担任の発言により、ホームルームが終わってしまった。


「よ、よろしくね」
「え、えっと、……うん」

お互いに目を泳がせながらペコペコと頭を下げる。久しぶりの会話なのに、何故か初めて話すような気分になった。


(ど、どうしよう。苗字さんと隣…)
(う、嬉しいけど心の準備が…)
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