偶然であれと願った日
バンッ
「すいませんでしたッ!」
勢いよく喫茶処のテーブルに手をついて、目の前の爆弾魔さんは頭を下げた。
「…へ?」
え、何でこの人は僕に向かって頭を下げてるの?と状況が全く飲み込めていないため、頭にたくさんの疑問符(ハテナ)を浮かべる。
「その、試験とは云え、随分と失礼な事を…」
「ああ!いえ、良いんですよ!」
先程の如何にも爆弾魔みたいな剣幕は何処へやら、凄く申し訳なさそうに謝罪してくる彼はきっと良い人だ。
いや、絶対良い人だよ。
爆弾魔役をしていたときとのギャップに少し驚いたけど。
演技力ありすぎるよね、この人…。
「何を謝ることがある。あれも仕事だ、谷崎。」
僕達のやり取りを見ていた国木田さんがそう云う。
全く彼の云うとおりだ。
そうですよ、と云って僕は頷いた。
「国木田君も
国木田さんの横でニヤニヤしながらそう云った太宰さん。
手のひらを顔の前に持っていったかと思えば、
「『独歩吟客』!」
「ばっ ……、違う!あれは事前の手筈通りにやっただけで!」
先程の国木田さんの真似を太宰さんが声真似付きですれば、声を荒らげた国木田さんが何やら反論する。
何だか平和でいいなぁ…。
今日は本当にいい日だ。
住むところも仕事も見つかった。いい人達にも会えた。家財道具も買ったし、今なんて喫茶処でゆったりとお茶を飲んでいる。
そう云えば、誰かとゆっくりお茶しながら喋る日が来るなんて想像もしていなかったなぁ。
孤児院を追い出されたときには、きっと自分は何処かで野垂れ死んでしまうんだろうな、とかそういう事ばかり思っていた。
というか、太宰さん達に会わなければ野垂れ死んでいただろう。
若しくはあの虎になって暴れた後、捕まえられて殺される、とか…。
改めてそれを考えてみれば、背中にゾッと寒気が走る。
そしてそれと同時に"良かった"という想いが胸に溢れた。
死ななくて良かった。
殺されなくて良かった。
誰かを怪我させたり殺したりしなくて良かった。
太宰さん達に会えて良かった。
それから、それから……。
そんな沢山の"良かった"を考え、一人笑みを浮かべた。
「ともかくだ、小僧。貴様も今日から探偵社が一隅。ゆえに周りに迷惑を振りまき、社の看板を汚す真似はするな」
「…は、はい!」
「俺も他の皆もその事を徹底している。なぁ、太宰?」
お茶を飲みつつそう云った国木田さんは、太宰さんの方へ視線を移した。
「あの美人の給仕さんに「死にたいから頸締めて」って頼んだら、応えてくれるかなあ」
「黙れ!迷惑噴霧器!」
太宰さんは、うっとりと給仕さんを見ながら何やら物騒なことを云っている。
それに素早くツッコミを入れる国木田さん。
大体お前はいつも、と説教を始めてしまった。
「ええと…」
そんな2人を呆れたように横目で見ながら、爆弾魔さんは続ける。
「改めて自己紹介すると…、ボクは谷崎。探偵社で
「妹のナオミですわ!兄様のコトなら、なんでも知ってますの」
と、自己紹介をする爆弾魔さん、基、谷崎さん。その腕にしがみついた妹のナオミさん。
「き……、兄妹ですか?本当に?」
き、兄妹というにはそ、その…何というか、その恋仲みたいにしか見えないが…。ほ、本当に兄妹?と目の前でじゃれ合っている二人を見て思う。
何となく気まずくて、冷や汗がダラダラ出てきた。
「あら、お疑い?もちろんどこまでも血の繋がった実の兄妹でしてよ…?」
「……」
「このアタリの躯つきなんて、ホントにそっくりで……ねえ、兄様?」
「……、いや、でも…」
更にじゃれ合い始めた二人に何か云おうとするが、何やら入りずらい二人の世界のようなものが始まり目をそらした。
ポン
そんな僕の肩に国木田さんの手が乗る。
彼の方を見れば、何やら諦めたような目で僕に語っていた。
(こいつらに関して深く追求するな!)
(あ……、はい)
それに一つ深く頷く。
目の前の湯呑みを掴み、一口茶を飲む。
そして、話を変えようと全く違うことを質問してみた。
「そう云えば、皆さんは探偵社に入る前は何を?」
「……」
「……」
「……?」
あれ?質問が悪かったか?
シーンとなってしまった空間に、やってしまったかと冷や汗をまた浮かべる。
美人給仕さんに熱視線を注いでいた太宰さんも、じゃれ合っていた谷崎さんとナオミさんも固まってしまった。
「何してたと思う?」
「へ?」
数秒を置いて太宰さんが笑いながらそう云った。
意味有り気に笑う彼はその表情のまま言葉を続けた。
「なにね、定番なのだよ。新入りは先輩の前職を
あー、成程。そう云うことか。
「はぁ…じゃあ…、谷崎さんと妹さんは…学生?」
「お、中ッた。凄い!」
「どうしてお分かりに?」
というナオミさんの問に応える。
「ナオミさんは制服から何となく。谷崎さんも歳が近そうなので勘で…」
と云えば、それを聞いてた太宰さんが、
「やるねぇ。じゃあ国木田君は?」
「止せ!俺の前職など如何でも…」
と何やら焦り出した国木田さん。
真面目そうだし、頭も良さそうだ…。
「お役人さん、とか?」
「惜しい!彼は元学校教諭だよ。数学の先生」
「へええ!」
「昔の話だ。思い出したくもない」
心底うんざりだという雰囲気を醸し出しながら国木田さんは呟く。
彼が数学を教えている姿が容易に頭に浮かんで、何だか納得した。
数学と云えば、自分の前世での苦手科目の一つだった気がする。
それを思い出し、懐かしいななんて考えていると、
「じゃ私は?」
「太宰さんは…」
頬杖をついてニコニコと此方に向けて笑顔を浮かべる太宰さんを観察する。
うーむ、想像がつかないな…。
と考えていると彼は余裕そうに、フフッと笑った。
「無駄だ小僧。武装探偵社七不思議の一つなのだ。こいつの前職は…」
武装探偵社七不思議…。
他の七不思議も気になるなぁ。とぼんやり考えていれば、谷崎さんが口を開いた。
「最初に中てた人に賞金が有るンでしたっけ?」
え?賞金…!
い、いくらだろう…。
「そうなんだよね…。誰も中てられなくて、懸賞金が膨れあがってる。」
「俺は
「…はは」
太宰さんと会ってまだ日は経ってないが、国木田さんの言葉に同意しそうになった。
「あ、ちなみに懸賞金っていかほど?」
「参加するかい?賞典は今…70万だ」
…なな、じゅう……まん?
70万!!
ガタッ
太宰さんの言葉に思わず立ち上がる。
「中てたら貰える?本当に?」
「自殺主義者に二言は無いよ」
自殺主義者は関係あるか分からないけど…。
「勤め人」
「違う」
「研究職」
「違う」
「工場労働者」
「違う」
「作家」
「違う」
「役者」
「違うけど、役者は照れるね」
他に何かあるだろうか?と頭を捻らせる。
「だから本当は浪人か無宿人の類だろう?」
と呆れたように国木田さんが云えば、
「違うよ。この件では私は嘘など吐かない」
そう云った太宰さんを見る。
少し悲しそうででも虚ろなその目を見てふとある単語が頭に浮かんだ。
「あ!……ま…」
「……へぇ、何だい?敦くん。…ま?」
「あ、えっと。ま、マ…漫才師とか?」
喉元まで出かけた言葉を飲み込みそう云う。何故だか太宰さんの目が一瞬鋭くなり、怖かった。
それと、頭の中に警告音のようなものが鳴り響いたような気がした。
「ま、漫才師か!フフフッ、敦くんは私が漫才している姿が想像できるのかい?」
可笑しそうに笑い出した太宰さん。
いやでも…、国木田さんとは漫才みたいなことしてるでしょ。と云いたくなったが敢えて言わず、何となくですよと返した。
「うふふ。降参かな?じゃ此処の払いは宜しく。ご馳走様〜」
「あっ!」
卑怯なっと云おうとすれば、ピピピピと軽快な電子音が鳴り響く。
「うン?はい?」
それは谷崎さんの携帯端末からの音らしくピッと釦(ぼたん)を押して彼は携帯に出る。
「え…依頼ですか?」
「…っ」
数秒後、谷崎さんから紡がれた単語を聞いて、ズキンと頭が痛んだ。
何だか、嫌な予感がするな…。
でも今はそれよりも…、とそろりと太宰さんを見た。
依頼人は女性かい?美人かい?と呑気に質問している太宰さんを見てため息をついた。
(何故僕は先程、)
(マフィアなどと云おうとしたのだろう…)