この世界を逆さまにしたいのに



"出来損ない"

その言葉は何時だって僕の中にあった。
それを云われたのは、前の世界なのか今の世界なのかは良く覚えてない。
いや、どちらの世界でも云われていたような気さえする。
自分にある分だけの記憶を手繰り寄せ振り返ってみるのだが、何処にも何かをやって上手くいった試しというものが僕には無かった。
どれだけ何かをしても、いつも中途半端で終わってしまうのだ。
だから、周りの人間が酷く羨ましかった。
必死に掻き集めてもぼろぼろと取り落として、終いには見失ってしまう自分とは違う人間が眩しかった。
何か一つだけでいいから、とは思うがそれは思うだけで現実には決して現れたことはない。
どれだけそれを悔しく思っても結局変わらず、ずるずるとここまで来たわけで…。

でも、それでも僕は変わらなければならない。自分自身を変えなければならないんだ。
そう何となく思った。
だからがむしゃらに手を伸ばした。



◇◆◇



「ナオミさんっ!!」

そう走りながら叫んだ。
届け!お願いだから届いてくれ、と手を伸ばして必死になった。

「…っ…」

しかし、この手は届くことはなかった。
すぐそこで彼女は谷崎さんを庇って銃撃を受けた。赤い赤い血が飛び散った。
その光景はいつか前世で見たそれと同じだった。


「兄様……大丈…夫?」
「ナオミッ」

血を吐きながらもそう云うナオミさん。
僕はその光景に目を見開いたまま立ち竦んだ。
どうすることも出来なかった。
何故だ、何故分かっていたのに届かなかった?谷崎さんの悲痛の声が鼓膜を震わせた。ドサリと倒れる彼女の背中は酷い有り様で出血が酷い。
疾く、疾くどうにかしなければ命に関わる。この先のことはあまり思い出せない。

この後はどうすればいい?

彼女を助ける為には、どうすればいい?
力が抜けて膝から崩れ落ちた。頭が真っ白で思考が回らない。ガタガタと震える手のひらを見つめた。
そこについた赤はナオミさんから飛び散った赤でそれが迚(とて)も忌々しかった。そして自分自身に対して怒りが込み上げた。

「ど、どどどうしよう…!し、止血帯!敦くん止血帯持ッて無い?」
「…し、けつたい」

そうだ止血しなければ…!
これ以上血を流させると手遅れになってしまうじゃないか…。と考えるが止血できそうなものが瞬時に思い浮かばなかった。

「いや先ず傷口を洗って…違う。…与謝野先生に見せなきゃ…!」

酷く動揺しながら彼なりにどうすれば良いのかを必死に考えていた。
僕もよく働かない思考に鞭を打ち考える。

「…あ、たにざ、きさん!!」

僕達を静かに見ていたそして女は新しい弾を銃に込めた。それが視界に入り彼の名を呼んだ。慌てて足に力を入れて立ち上がろうとしたがガクガクと震える体は云うことを全く聞いてくれない。
女の様子を気に止めようとしない、いや気に止めることが出来ない谷崎さんが顔を上げて僕に向かって叫んだ。

「い、医務室まで運ばないと!敦くん、足を持ッて……っ」
「そこまでです。」
「谷崎さん!!」

谷崎さんの頭に銃が突きつけられた。
目を見開いて谷崎さんは固まった。
そんな彼を後ろから見下ろしながら女は続ける。

「貴方が戦闘要員でないことは調査済みです。健気な妹君のあとを追っていただきましょうか」

と。それを聞いて振り返った谷崎さん。
その目の色は先程までと明らかに違っていた。僕は息を飲んだ。

「あ?チンピラ如きが……ナオミを傷つけたね。……『細雪』」

ナオミさんを横抱きにした彼は立ち上がってそう静かに云ったのだ。『細雪』と云うのが彼の異能力なのだろう。
何処からともなくこの季節には不自然な雪が降ってきた。


「敦くん」
「……っ、は…い」

その光景をただ呆然と見ているだけだった僕は、はっと彼に名を呼ばれて意識を戻した。

「奥に避難するンだ。こいつは……ボクが"殺す"」

そう云って女をキッと睨みつけるそのギラギラとした眼光は、つい先程までの人の良さそうな瞳からは想像もつかないもので…。
返事をしようにもその迫力で声が出せず空いた口を空気が出入りした。

ドドドド!!

女が銃を構え、そして乱射する。
物凄い数の銃弾が谷崎さんへ一直線に進んでいく。

「谷崎さんっ!!」

思わず叫んだ。
もう駄目かと思った次の瞬間、銃撃を受けた谷崎さんの姿がまるで雪のように消えていく。そして今までそこに居たはずの彼の姿は何処にも見えなくなってしまった。

「ボクの『細雪』は、雪の降る空間そのものをスクリーンに変える」
「なっ!何処だ!」

何処からともなく聞こえる谷崎さんの声に、女は慌てて周りを見回す。
しかし、何処にも彼の姿など見当たらない。

「ボクの姿の上に背後の風景を上書きした。もうお前にボクは見えない」
「姿は見えずとも玉はあたる筈!」

また声が響いた。
しかし相変らず姿など何処にもない。
女は叫びながらさらに乱射する。
しかし、谷崎さんには中っていないようだ。

「大外れ」
「…っ!」

そんな声が響いたかと思えば、ガっと女の首を谷崎さんの手が掴んだ。
声に反応した女が振り返ろうとするが遅かった。


「死んで終え!」

その叫びとともに段々と手に力を込めた。女の苦しそうな声が聞こえてきた。

しかし次の瞬間、谷崎さんが固まる。


「…ゴホ…ゴホ」

咳のような音が谷崎さんの後ろの方から聞こえてきた。


「……え?」

ズルリ、と谷崎さんの体が傾いて地面へと倒れる。その背中には黒い何かが突き刺さっていた。そしてそれはいつの間にか谷崎さんの少し後ろに立っていた見知らぬ男から出ていた。
突然のことに頭が全くついていかなかった。息をするのを一瞬忘れた。

そして、ただ呆然と谷崎さんの後ろの方に立っている男を見る。
口に手を当てていた男は目を開くと谷崎さんに突き刺さったそれを抜きながら云う。

「死を惧れよ、殺しを惧よ。死を望む者、等しくしに望まるるが故に……ゴホ」

そして最後に咳を一つ。
やっと思考が追いついた時思い出したのは国木田さんの言葉。


『こいつには遭うな、遭ったら逃げろ』

『俺でもやつと戦うのは御免だ』


「な…っ」
引き攣った声が喉の奥から出た。
この顔には見覚えがある。
国木田さんに差し出された写真に写っていた人物だ。

「お初にお目にかかる。僕は芥川。そこな小娘と同じく卑しきポートマフィアの狗…」
「芥川先輩。ご自愛を…、此処は私ひとりでも…」

芥川、そう名乗った男に近づく女。
そして、焦ったようにそう云うのだ。


バシッ


「……なっ」

女のメガネが床へと落ちる。
一瞬何が起きたのかと目を見張る。
芥川が女を叩いた。何故?仲間じゃないのか?
いくつもの疑問が浮かんでは消える。

「人虎は生け捕りとの命の筈。片端から撃ち殺してどうする…役立たずめ」
「済みません」

叩かれた女は赤く腫れた頬を抑えながら芥川に謝る。

「人虎…?生け捕り…?あなたたちは…一体」

人虎とはつまりは僕のことだ。
生け捕り?僕をか…?
それはどうしてだろうか。何かをした覚えは全くない。身に覚えなどないのに、何故彼らは生け捕りにしようとしているのだろうか。
そんな事ばかりが溢れだした。

「元より僕らの目的は貴様一人なのだ…人虎。そこに転がるお仲間はいわば貴様の巻添え」
「僕のせいで…僕のせいで皆が?」

芥川の言葉がずしりと重く僕にのしかかる。
また僕のせいなのか?また、また『私』のせいなのか…!?

「然り。それが貴様のごうだ、人虎。貴様は…、"生きているだけで周囲の人間を損なうのだ"」

更に僕に追い打ちをかけるように僕に言葉を突き刺すのだ。此方を指さす芥川が『あの人達』と重なる。僕という存在を指差して笑い、私という存在を腹立たしいと云って叩く『あの人達』と。
心の奥の奥の方に冷たい氷のようなものが募っていく。

「自分でも薄々気がついているのだろう?」
「……」

その言葉でまた芥川の方を改めて見た。
その真っ黒な瞳と視線が交わる。


「『羅生門』」


彼がそう紡いだのと同時に現れたのは黒い影のようなもの。まるで生きているかのように蠢くそれはこちらへ物凄い速さで迫ってきた。

「……!」

余りに突然のことで顔の前で腕を軽く交差させて目を瞑った。ざっと風のように真横を何かが通り過ぎるのが分かる。
目を開ければ自分の立っている所の横の地面が抉れていた。

「僕の『羅生門』は悪食。あらゆるモノを喰らう。抵抗するならば次は脚だ」
「なぜ…?どうして僕が…?何故……??」

まるで譫言のように出てくる言葉。
地面に尻餅をつき震える肩を抱く。

「……く、…ん…」

絶望のために声さえ失い、ただただ呆然と芥川を視界の隅に捉えていた時、聞こえてきたのは苦しそうな声。その声を辿れば此方を見つめる谷崎が見えた。


「敦、くん…に、逃げろ…」

血を流しながら、そう言葉を紡ぐ谷崎さん。出血は酷いが意識はあるようだ。そこから流れるようにナオミさんへと視線を移す。少しだけ体が動いているのが見えてまだ息があることがわかった。

大丈夫、二人ともまだ助かる。
疾く治療しなければいけないんだ。

だから、だからここから早く逃げよう。3人で逃げよう。
僕はそう心の中で云って芥川をしっかりと視界に捉える。そして思いっきり駆け出した。


「うわああああ」
「玉砕か……詰らぬ」

芥川の言葉と共にこちらに向かってくる黒い影のようなもの。それをどうにか避けて芥川の後ろへと回り込み落ちていた銃を拾った。
そしてそれを両手で握り銃口を芥川の方へしっかりと定めて引き金を引いた。

ダダダダダ!

銃弾は真っ直ぐと芥川を射抜いた。
やったか、と彼を見やる。
しかし次の瞬間、まるで効いてないかのようにぐるりとこちらを振り向いた。

「そんな…何故?」

少しでもいいから効いてくれていれば良かった。
そうすればどうにか二人を連れて逃げられたかもしれないのに…。

「今の動きは中々良かった。しかし所詮は愚者の蛮勇。云っただろう、僕の黒獣は悪食。凡ゆるモノを喰らう。たとえそれが『空間そのもの』であっても。」
「……っ」
「銃弾が飛来し着弾するまでの空間を一部喰い削った。槍も炎も空間が途切れれば僕まで届かぬ道理。」
「な…」

つまり僕のあの行動は全く無意味だったということ。幾らどのような手を使って攻撃しようとしても方法がない。たとえそれがあったとしても僕はそれを持ち得ない。


「そして僕は"約束"を守る」


「…え?」

どうすればいいか、と思案していればそんな声が聞こえてきた。
黒い影、黒獣が此方へやって来るのが見えた。
しかし、その動きをどうにか目で捉えるのが精一杯で体は固まったままだ。

ざっとそれが横を通り過ぎた。
今何が起きたのだろうか?それを理解しようと黒獣から足元へと視線を移した。

「……え?」

目に映ったそこには何かが足りていない。
その足りていないものを理解した途端、体にまるで落雷のようなものが突き抜けたかのような衝撃が走った。
そう、あの黒獣に"片足を食いちぎられていたのだ"。

「ぎ、ぎゃああああ」

今まで経験したことがないような痛みの暴力が僕を襲う。余りの痛みに悲鳴のような声が絶えることなく口から出ていった。
段々と意識がどこかへと持っていかれる。


「……?」

次に目を覚めた時、僕はいつも見る"あの場所"に突っ立っていた。


(ねえ、世界を逆さまにしたらどうなるの?)
(どうって、突然なに?)
(いやね、世界が逆さまだったら……と思ったの)

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