愛が君の息を止めてしまった
愛する人を殺す、とは一体どういう気持ちなのだろう。大切な筈のその人の命を自分の手で止めてしまう行為はきっと、いや絶対にしたくはないことだと思う。
『__…と、……だね。……これでやっと__』
まあ例外を除けばの話ではあるが。
では、反対に愛する人に殺される、とは一体どういう気持ちなのだろう。相手を憎むのだろうか、悲しむのだろうか、仕方ないと笑うのだろうか。
ああ、でもそんなこと知りたくはない。思い出したくはない。できることなら__ずっと。
「また殺人事件の依頼だよ!この街の市警は全く無能だねえ」
先程の騒動で後片付けに追われる部屋の中にその人の声はよく響いた。
「僕なしじゃ犯人ひとり捕まえられない」
ニヤリと笑いながら歩いてくる乱歩さんをちらりと見る。それからまた視線を戻して散らばった書類を集めてから机の上に置き、そしてまた床に散らばる書類や本や文房具を拾っていく。
「でもまあ僕の『超推理』は探偵社、いやこの国でも最高の異能力だ。」
「……」
やっぱり探偵社の方々って色々とこう…何と云えば良いのだろう?…一癖も二癖もある人が多いなあ。前世で云う『キャラが濃い』、『癖が強い』の代表格の集まりのような気がする。まあ、この世界は漫画なのだからそう云うものなのだろう。
そんな考え事をしながら、落ちている一冊の本を取ろうとすると、乱歩さんがその本を踏んずけてしまった。
「ら、乱歩さん。その足元の本横の棚に戻さないと…」
彼を見上げながらそう云えば、ん?と不思議そうに首を傾げた。
「これは失礼。はい、どうぞ」
そう云うと足を退けてから本棚の空いている所をニコリと笑いながら、指差した。
……なんだ、この人?
掴めない人だなあ、と思いながらもまあいいかと拾おうとすれば、誰かの手が横から伸びてきてその本を拾う。顔を上げれば国木田さんの手の中にその本が収まっていた。
「頼りにしています、乱歩さん」
「そうだよ国木田!君らは探偵社を名乗っておいてその実、猿ほどの推理力もありゃしない」
「……?」
なんだろう。この探偵社のこの雰囲気。それに云いたい放題の乱歩さん。
「皆、僕の能力『超推理』のお零れに与っているようなものだよ?」
「凄いですね。『超推理』使うと"事件の真相が判っちゃう"能力なんて」
「探偵社、いえ全異能者の理想です」
「はっはっは、当然さ」
「……」
本当に何なんだ?この雰囲気…。そうか、若しかしたらこれが探偵社の普通なのかもしれない。僕が可笑しいだけなのだろう。うん、そうだ。そうでなければこんな雰囲気は醸し出さないだろう。なんて、あたふたと周りを見回しながら考える。
「おい、敦。ここはいいから乱歩さんの事件解決のお供をしろ。現場は鉄道列車で直ぐだ」
「ぼ、僕が探偵の助手ですか?そんな責任重大な…!」
遂に小僧呼びをしなくなった国木田さんはそう云いながらこちらを見る。事件って云うのは先程乱歩さんが云っていた殺人事件の件のことだろう。お供とは一体どのように立ち回れば良いのか?と考えていれば、
「真逆。二流探偵じゃあるまいし、助手なんて要らないよ」
「え?じゃあ何故?」
助手じゃあないのなら、一体どうして僕が行く必要があるのか。そう考えていれば、乱歩さんが笑顔のままこちらを見た。
「僕、列車の乗り方判んないから」
「……え?」
「……」
本当に列車の乗り方が分からないとは思わなかった。それどころかこんなに自由奔放な人だとも思わなかった。駄菓子屋を見つけて走り出そうとする乱歩さんに仕事帰りに寄りましょう、と提案するが駄々を捏ねられどうにか説得してから駅へと向かい、そして駅に着いた途端の迷子。ただし本人は迷子になったのは君だと云うのでそういうことにしている。まあ、数分で見つかったことだけが救いだ。そして、切符を買おうとすれば本当に買い方が分からないらしかったので買い方を云うが、半分聞いていない。返ってくる生返事に溜息をつきながら2枚買い、そして改札を通ろうとすれば例の如く通り方が分からないらしかったので教えてどうにか列車に乗ることが出来た。
人はあまり乗って居なかったので、余裕で座席に着くことが出来たのでほっとひと息をついて窓の外を見やる。目的の駅まではあと数駅先だ。
隣に座る乱歩さんをちらりと見る。ポケットから取り出した飴をぽいと口の中に入れていた。そして入れた途端にガリガリと噛み始める。舐めないのだろうか?と思っていれば彼はまたポケットから飴を取り出して口に入れる。次は噛むことはしなかった。
「そう云えば、君は朝顔は好きかい?」
こちらの視線に気付いたらしい乱歩さんは突然そのような事を聞いてくる。
「僕ですか?…朝顔、朝顔って花のことですよね?…うーん、好きでも嫌いでもないですね」
「…ふーん。まあ、君に聞いた訳では無いんだけどね」
「え?それはどういうことですか?」
「さあね」
んん?僕に聞いた訳じゃない?
でも確かに『君は朝顔は好きかい?』と云っていたような気がするんだけどなあ。矢張り乱歩さんって不思議な人だな…。
「じゃあ、アイビーは?」
「……あいびー?」
あ、まだこの話は続くんですね。しかも矢張り僕に尋ねてきてるじゃないですか。…本当に不思議だな。それにアイビーって何だろう。朝顔と同じで花か何かの名前なのだろうか。
「……分からないなら、もういいよ」
「え、は、はい。」
困惑していれば興味をなくしたのか、こちらから視線を外した。僕も彼から視線を外し、ぼんやりと目の前を見る。自分の前には男の子と女の子が1人ずついる。歳は10歳位だろう。女の子の方が年上のように見える。顔も似ているし、きっと姉弟だろう。なんてこれまたぼんやりとした頭で考えた。
列車が目的の駅へと辿り着く。ゆったりと立ち上がる乱歩さんを引っ張りながらそそくさと降りる。またまた改札の前で立ち止まった彼にもう一度通り方を教えてどうにか通り、そしてそのまま駅を出てすぐにある川に沿って歩いていく。国木田さんに貰った地図的には確かにこちらの筈だと乱歩さんのことを気にしながら数分歩けば、パトカーが何台か停まっているのを見掛ける。きっとあそこだとそこに近づけば警察官が何人も忙しなく動くのが見えた。
普通なら無関係の人は通れない筈のそれを顔パスで通る乱歩さんの後ろにぴったりとくっ付きながら歩く。矢張り彼は凄い人なのだろうか。
「遅いぞ、探偵社!」
腕を組みながらそう云い放ったのは中年の男性だ。
「ん?きみ誰?安井さんは?」
「俺は
「え?」
来た途端になんだその言い草は。それに何だか少しだけ怖い人だなと思いながらどうするのかと乱歩さんに視線を送る。すると彼ははぁーと呆れたようにため息を大きくついたあと、腰に手を当てて口を開いた。
「莫迦だなあ。この世の難事件は
「抹香臭い探偵社など頼るものか」
フンと鼻で笑いながらそう云った刑事の男が何故だか何処か悲しそうな表情を浮かべていることに気づいた。
「何で?」
「……殺されたのが___、俺の部下だからだ」
「……え?」
乱歩さんの問いに答えたそれが何故その人にそのような顔をさせているのかが分かった。近くにいた歳若い警察官の男が死体の上に掛けられている布を取る。そこに横たわっていたのは女の人だった。
「今朝、川を流されている所を発見されました」
「…………ご婦人か」
帽子を取って胸の前に持っていく乱歩さんの後ろからその人を覗き込む。…なんて非道い有様なのだろうか。この位の女性ならきっと交際相手…、若しかしたら結婚していて家族まで居たかもしれないのに。
「胸部を銃で3発。それ以外は不明だ。殺害現場も時刻も。弾丸すら貫通しているため発見出来ていない」
「で、犯人は?」
「判らん。職場での様子を見る限り特定の交際相手も居ないようだ」
ぽつりぽつりと語られるそれらに胸が傷んだ。川を流されていたのならきっと証拠も色々と消えているし、弾丸だってその辺に捨てられてしまえば滅多に見つかることも無い。
「それ、何も判ってないって云わない?」
「……だからこそ素人あがりの探偵になど任せられん。さっさと__」
「おーい!網に何か掛かったぞォ」
さっさと帰れ、そう云おうとした声が止まる。彼の後ろでは何やら作業が行われているらしい。
「何です、アレ?」
「証拠が流れていないか川に網を張って調べているのですが……」
川に張られていた網が段々と機械で引っ張り上げられていく。大きなものが引っかかったらしいギッ、ギッと音を立てるそれを心配に思いながらも何が引っかかったのかを必死で目で追う。それは形状からして___、
「ひっ人だァ!人が掛かってるぞォ!」
矢張りそうか。という事は、まさか。
「まさか……」
「第二の被害者!?」
慌てて引っ張り上げられたそれを確認しに行く。
「…………え?」
「やあ敦君、仕事中?お疲れ様」
そこに掛かっていたのは最近見慣れた人物である。逆さで宙吊りになっているその人は何事もなかったかのように呑気に此方にそう話しかけてくる。
「ま…まさか、また入水自殺ですか?」
「うふふ。独りで自殺なんてもう古いよ敦君」
「え?」
「前回の美人さんの件で実感したよ。矢っ張り死ぬなら心中に限る。独りこの世を去る淋しさの何と虚しいことだろう!……と云うわけで一緒に心中してくれる美女募集」
誰かこの人をもう一度川に放り出して欲しい。国木田さん達が呆れる理由がよく分かってしまった。ん?あれ?でも…、
「じゃあ今日のこれは?」
「これは単に川を流れてただけ」
「……なるほど?」
結局よく分からない。と呆れた表情のまま地上に降ろされる太宰さんを見ていた。そして彼はどうしてこんな所にいるのかと聞いてくるので、事のあらましを伝える。
「……という訳なのです」
「何と!かくの如き佳麗なるご婦人が若き命を散らすとは…!何という悲劇!悲嘆で胸が潰れそうだよ!どうせなら私と心中してくれれば良かったのに」
何と不謹慎なことを云うのか。全くこの人は。あの人知り合いです、だなんて絶対に云いたくない。
「誰なんだ、あいつは」
「同僚である僕にも謎だね」
「しかし安心し給えご麗人。稀代の名探偵が必ずや君の無念を晴らすだろう!ねえ、乱歩さん?」
何故か自分の事のように胸を張って云う太宰さんは、そう乱歩さんに投げ掛けた。それに対して乱歩さんはふうと呆れたように息をつくだけだ。
「ところが僕は未だ依頼を受けていないのだ。名探偵いないねえ、困ったねえ…」
「……」
そう云えば、そうだったな。僕らはまだ依頼を受けていない。ただこの光景を見に来た傍観者のような立ち位置にいるだけだ。どうするのかと再度乱歩さんを見たすると丁度先程の歳若い警察官の男に話し掛けている所だった。
「君、名前は?」
「え?…じ、自分は杉本巡査です。殺された山際女史の後輩、であります」
突然の乱歩さんの行動に驚きながらも敬礼しながら彼はそう答える。その彼の肩にらんはポンと片手を置いた。
「よし!杉本君!今から君が名探偵だ!60秒でこの事件を解決しなさい!」
「へえっ!?」
突然の無茶ぶりにあわあわとしながら頭を抱え、あーやらえーっとやらと一生懸命に何か言葉を紡ごうとしている。その姿はまるで自分のようだなと思いながら見ていた。
「そ…そうだ!山際先輩は政治家の汚職疑惑それにマフィアの活動を追っていました!そういえば!マフィアの報復の手口に似た殺し方があった筈です!もしかすると先輩はマフィアに…!」
「……違うよ」
どうにかこうにか言葉を継いでこの事件を解明しようとする杉本巡査に太宰さんは一言そう云った。
「え?」
「マフィアの報復の手口は身分証と同じだ。細部が身分を証明する。まず裏切り者に敷石を噛ませて後頭部を蹴りつけ顎を破壊、激痛に悶える犠牲者をひっくり返して、胸に三発。」
「……ひえぇ」
想像しただけで鳥肌がたちそうだ。マフィアって滅茶苦茶こわいじゃないか、と身震いする。
「この手口はマフィアに似てるがマフィアじゃない。つまり__、」
「犯人の…偽装工作!」
偽装工作、か。では、何としてもマフィアの仕業に見せたかったのだろうか?それにしても中途半端だな…。何だろう、この煮え切らない感覚は。
「そんな…偽装のためだけに、遺体に2発も打つなんて非道い」
「ぶーー!はい、時間切れ!駄目だねえきみ。名探偵の才能ないよ!あはは!」
「…あのなあ先刻から聞いていれば、やれ推理だやれ名探偵だなどと通俗創作の読み過ぎだ!事件の解明は即ち地道な調査、聞き込み、現場検証だろうが!」
それはごもっともだと思います。そう、心の中だけで返す。しかし、そんなことを云われようが乱歩さんは揺るぎない。
「…はあ?まだ判ってないの?名探偵は調査なんかしないの!僕の能力『超推理』は1度経始すれば犯人が誰で何時どうやって殺したか瞬時に分かるんだよ」
「巫山戯るな!貴様は神か何かか!そんな力が有るなら俺たち刑事は皆免職じゃないか!」
「まさにその通り、漸く理解が追いついたじゃないか」
そう云って笑ってみせる乱歩さんの態度は刑事の気に触ったらしい。ギリリと鋭い眼光で睨むが依然として飄々としている。
「まあまあ、乱歩さんは終始こんなかんじですから」
と、2人の間に入った太宰さんは刑事を落ち着かせるために笑いかける。その後ろで乱歩さんはというと、
「僕の座右の銘は『僕がよければすべてよし』だからな!」
そう云って笑っている。何とも傲慢な。しかし、座右の銘を聞いてこんなに納得したのは初めてだ。
「そこまで云うのなら見せてもらおうか。その能力とやらを!」
「おや、それは依頼かな?」
「失敗して大恥をかく依頼だ!」
「あっはっは!最初から素直にそう頼めばいいのに」
煽るようにそう云う刑事を逆に煽る乱歩さんは何だか凄い。そんな僕に太宰さんは小声で話しかけてきた。
「敦君。よく見てい給え。探偵社を支える能力だ」
そう言いきった太宰さんの言葉を聞きながら、先程探偵社で聞いた『事件の真相が判る異能』という言葉を思い出していた。ただし、そんなものがあるのかと半信半疑でだ。だって、列車に乗る時の様子からはそんなことが出来るだなんて決して誰も思わないだろう。
ポケットから眼鏡を取り出して掛ける乱歩さんの姿を見ていた。掛けて数秒してから、彼は満足気に笑う。
「……………な、る、ほ、ど」
「犯人が判ったのか?」
「勿論」
「くくっ、どんな
全く信じてはいない様子の刑事がそう問えば、乱歩さんはスっと腕を上げてそれを指差した。そして云うのだ。
「___犯人は君だ」
(君の息を止めるとき、)
(揺れるその瞳が酷く透き通って見えた)