世界が終わったら起こして

僕に降り積もる白は酷く冷たかった。
僕に降り掛かったそれは醜い赤だった。

しんしんと静かに降り積もる、ポツポツと僕を汚して降り掛かる。
それが段々と酷くなって最後には僕のことをゆっくりと沈めていくのだ。
ぐるぐると渦巻く絶え間ない厭悪と焦燥、譫妄、そして明らかな殺意の中へと、絶対に逃れられないように、とでも云うようにそれはしがみついてくる。絡みついてくる。
それがどうしようもなく苦しくて、息も出来なくなって、抵抗することすら出来なくて、意気地無しの弱虫の不甲斐ない僕はただ流されるだけだ。溺れるだけだ。


僕に降り積もる白は酷く冷たかった。
僕に降り掛かったそれは美しい赤だった。


その綺麗で真っ白な微笑みの奥には一体何が合ったのだろう。その狂気をいつから持ち合わせていたのだろう。知らないうちにこの惨憺さんたんな世界に押しつぶされてしまっていたのだろうか。
そんなことを今更考えても分かるわけないが、それでも、どうしても考えてしまう。
こうすることでしかきっと彼の無聊ぶりょうを慰めることはできなかっただけかもしれない。幾らかその人のことを分かったつもりでいたのだが、それは本当に『つもり』でしかなかったということだけは痛いほどよく分かった。


「…これで幸せになれるね」
「……しあわせ…?」


嗚呼、これが彼の望んでいた終焉だった。これが彼の中の幸せだったのだ。それをその日初めて理解することができた気がした。それでも口から出るのはなんでだの、どうしてだのといったそんな言葉ばかり。それでも何となく心のどこかで何かがパズルのピースのようにかち合った。
そっか。そっかあ。
ぽたぽたと頬に涙がつたった。赤が溢れるそこの痛みはもうとっくに感じられなかったから、きっとその痛みで涙が出た訳では無いだろう。しかし、何かが悲しいというわけでもないのに涙が止まらなかった。彼はそれを少し驚いた目で見ていた。

そして彼は笑った。

最後に『私』にいつまでも降り掛かる赤は、言葉に表せないくらいそれはもうとても美しかった。


◇◆◇




爆発音が響いた。
ドオオンと突然響いたそれにぴくりと肩が跳ねる。何だか嫌な予感がした。服を着替えて、一体何が起きたのかと考えながら外へと出る。少しあたりをみまわせば煙が立ち上っているのが見えた。きっと彼処が先程の爆発音の元だろうと予測し、そのままそこへ急いで向かった。

「……まさか」

無意識に呟いたその言葉が自分の耳に届く。自分の頭の中に渦巻くそれに気のせいだと言い聞かせながら駆ければ、すぐにその場所へと辿り着いた。

「皆殺しだッてよ」
「非道い……」

そこには既に軍警達が居り、現場検証やら周りの人へ状況を聞いていたり、建物が崩れるかもしれないから少し離れてなどとと云っていた。騒然とするその場所で爆破された建物を呆然と見つめ立ち尽くす。慌ただしく駆けていた軍警の人達が、野次馬たちへ警告する声の中、とある会話が僕の耳へと届いた。

「軍警が言うにはマフィアの武闘派、その中でも凶暴な実働部隊『黒蜥蜴』って奴らの仕業だって」
「……っ」
「特殊部隊並に戦闘術を持ち、しかも恐ろしく残酷だとか……」
「…マフィアの武闘派…『黒蜥蜴』…」


…マフィア。

つまりポートマフィアってことでいい筈だ。特殊部隊なみの戦闘術を持っているだなんて、もしそんな奴らが探偵社に来てしまったら…。
いや、でも…真逆そんなこと…起こるはずは…。

「……」
「…君、大丈夫かい…?」

思い出せ、思い出せ。
何のための前世の記憶だ。肝心な時に思い出せないなんて、そんなことはもう合ってはいけない。もし、ナオミさんのようなことがあってしまってからでは遅いんだ。だから、思い出せ。『ポートマフィア』と『黒蜥蜴』という言葉がぐるぐると頭の中を回る。

「…っ」
「…君、…おい少年!本当に大丈夫か?」


次の瞬間、何かの映像が頭の中に流れ込んできた。
突然開いた探偵社の扉、そして雪崩込んでくる銃を持った男達の姿。
まさか、まさか…そんなっ!


「おい!」
「…っ!はいっ」

誰かに肩を掴まれる。ハッと意識を戻せば軍警の格好をした男がすぐ目の前にいた。

「良かった。…大丈夫か?顔色が悪いようだが…」
「…え?あ、はい。大丈夫、です。」
「そうか…、それと唇を噛み締めすぎて血が出ている。これで拭いなさい」
「…え?…あ、ありがとうございます」

慌てて口を触って確認すれば、指に赤がついた。本当だ。無意識だったためか全く気が付かなかった。軍警から手渡された手ぬぐいで拭う。そしてお礼を云えば、疾く家に帰りなさいと云われた。
僕はそれには応えず、代わりにその人に質問する。

「…ここら辺に公衆電話はありませんか?」
「公衆電話…か。お家の人に迎えにでも来てもらうのか?」
「…はい。そんな感じです」
「そうか。その顔色ならその方がいいかもな。…確か、その角を曲がって道を真っ直ぐ行くとある筈だ」
「分かりました!ありがとうございます」
「…ああ、気をつけるんだよ」


軍警の人の元から離れて云われたとおりに角を曲がり、真っ直ぐ歩いていけば公衆電話はすぐに見つかった。ポケットからとある紙を取り出すと公衆電話のボックスの中に入り、受話器を取ると少しだけ持っていた小銭を入れて、紙と見比べながら電話をかけた。この番号が本当に彼女に繋がるかは分からない。適当に記されている番号ならば諦めるしかないが、彼女の番号である可能性は無きにしも非ず…。
プルル…と云う音が少しの間響く、そして次の瞬間カチャッと電話が繋がった音がした。


「何方(どなた)ですか?」
「……」


あ、ちょっと待って…。
こういう時一言目はなんて云えば良いのだろうか。普通にすればいいのか…、いやでもこの人は一応敵なわけだし…。などとどうでもいいことで少しだけ悩んだ。
おっとこんな事してたら切られてしまう。取り敢えず何か喋らないと…。

「…あのどちら様?」
「……僕だ」
「人虎!?」

何だよ、「僕だ」って!これじゃあ前世で問題になってたオレオレ詐欺ならぬボクボク詐欺だ。それにしても、よくこの一言だけで僕の声だって気づいたな、この人。まあ、今はそんなこと考えてる場合ではないけれど…。

「先日はお仲間に助けられたようですが、次はそうはいきません。……それで、ご用件は?」
「僕は探偵社を辞めるよ」

慎重にこちらに話しかけてくる彼女にそう応える。折角見つけた仕事だけれど、人を巻き込むわけにはいかない。

「なっ…!?」
「辞めて1人で逃げるからさ、捕まえてみろ」
「成る程……、『だから探偵社には手を出すな』と?」
「………」

確かに彼女の云うとおりだが、それには応えずにガチャンッと音をたてて電話を元の位置に戻して通話を切った。そして公衆電話から出ると急ぎ足で探偵社の方へと向かった。


◇◆◇



「………」

本当にこれで大丈夫なのだろうか?これで先程脳裏に映ったことが起きないで済むのだろうか?そんなことばかり考えてしまう。あんな奴らが探偵社に乗り込んできたら、いくら皆さんが凄そうだとは云え一溜りも無いかもしれない。僕のせいで探偵社の方々に迷惑など掛けるわけにはいかない。しかし、ポートマフィアの連中に捕まって彼らの思惑通りになりたくもないしなあ。

「…はぁ、こんな感じかな」

元々荷物なんてほぼ持っていなかったし、と考えながら斜め掛けの鞄の中に必要最低限のものを入れた。無意識に漏れるため息のせいで更に幸せが逃げていく気がして、何だか気が滅入る。
部屋を出て、階段を降りて廊下を歩く。すると、誰かが歩いてくるのが見えた。国木田さんだ。両手には大量のファイルが重ねられていた。

「おお、こんなところに居ったか。お前のせいで大わらわだ。…手を貸せ、こいつを」
「……」

国木田さんに心の中で謝罪しつつ、彼の言葉に返事をしないで素通りする。

「おい?」

すると、その行動を不思議に思ったのか更に声を掛けられた。足を止めて、彼を振り返る。

「……心配いりません。これでもう探偵社は安全です」
「……はぁ?」

ただそれだけ云えば、訝しむような声が聞こえてきた。前を向き直して探偵社を出るために歩く。後から「おいコラ!手伝え!こんな時に何処行く!」なんて声が聞こえてきたが、僕はもう振り返らなかった。


『出ていけ穀潰し』

『お前の居場所など何処にもありはせん』

『僕らの居場所は元からなかったんだよ』


色んな声が僕の歩みを早める。
結局どこまで行っても僕は変われないらしいということが分かった。そうだ、今は疾く疾くここから離れよう。しかし、僕は何処へ向かえばいい?周りを見渡してみる。しかし当然のことではあるが、こちらへ進めばいいなどという道標など分かるわけでもなく、いつも通り意味もなくふらりふらりと歩くことしか出来なかった。

「……」

舗装された道を俯きながら歩く。いつまでも着いてくる自分の影を踏み潰しながら歩く。時々、建物の影に消されてしまう影。それを今は何故か滑稽に思った。そこら辺に打ち捨てられた空き瓶を見て自分みたいだな、なんて思うこともあった。


バンバンバンバンッ


その音を聞いて振り返る。今のは確かに銃声だ。

しかも、この方向は…探偵社!

そう認識したのと同時に走り出す。硝子が割れる音なども聞こえてきて、焦りが大きくなる。真逆、真逆!そんな筈は…!
音に導かれたのか人通りが多くなりつつある道を駆けた。探偵社が視界に映る。割れた窓ガラスをが目に入った。


「な、なんで…」

思わず零れたその言葉は虚しく人々の喧騒に消えていく。探偵社の方からはまだ声やら激しい物音が聞こえてくる。人の波を通り抜けて、階段を勢いよく登った。そして、探偵社の扉をバンッと音をたてて開けた。


「…っ!やっ、やめ……ろ…?」


開けた瞬間に視界に入ったのは国木田さんだった。黒いスーツを着た男を投げると床に押さえつけた彼に言葉を失う。あれ?もしかして僕が思っていたよりも危機的状況ではないのか…?と唖然としていれば、何処からともなく投げ飛ばされた男が此方の方に飛んできた。

「…ヒェッ」

それに驚いて思わず変な声を出しながらも避ける。もしも当たってしまっていたなら、押し潰されてしまい一溜りもなかっただろうと冷や汗を掻きながら思った。
そして、改めて探偵社の中を見回した。転がっているのはどれもポートマフィアの人間ばかりだ。探偵社のみんなは無傷で、この悲惨な現場にいるとは思えないくらいゆったりとした何処か平和な空気を醸し出している。楽しそうに談笑する人もいて思わず顔が引き攣った。

「おお、帰ったか」
「…は、はあ」

こちらを振り向いた国木田さんは相変わらず男を床に押さえつけたままそう云った。それにコクリと頷く。

「勝手に居なくなる奴があるか。見ての通りの散らかり様だ!片付けを手伝え!」
「…す、すみません…っ!」
「ぎゃあああっ!!」
「……」

待って、待って国木田さん。
説教はいいけどその男の人の手首ゴキッて凄い音したよ!?めっちゃ悲鳴あげてるけど…。

「国木田さーん。こいつらどうします?」
「窓から棄てとけ」
「え?いいんですか?それで…!?」

てか、そいつらってマフィアの武闘派…?で、もって特殊部隊なみの強さ、を持った連中だって…?聞いたような気がするんだけど……。

「これだから襲撃は厭なのだ。備品の始末に再購入。どうせ階下から苦情も来る。業務予定がまた狂う…」
「は、はあ…」
「しかしまあ、この程度いつものことだがな」
「…へ?いつもの、こと?」


あれ、あれれ?
もしかしたら、もしかしなくてもマフィアより探偵社のほうがぶっちぎりで物騒なのでは…?と、手帳を見て何やらブツブツ云っている国木田さんや、本当に窓の外に連中を棄てている方たちを見て思う。何だかもう頭がついていけない…。何だ、この人たち。本当に凄いや。


「国木田くーん。僕そろそろ『名探偵』の仕事に行かないと」
「名探偵?ああ、例の殺人事件の応援ですか?」
「そう。警察がね、世界最高の能力を持つこの名探偵、乱歩さんの助言が欲しいって泣きついてきてさ」
「ああ、こいつに手伝わせます?」
「……」


なんてポカンとしている僕に云う国木田さん。国木田さんが相変わらず呆然としている僕の肩に手を置いた。

「おい、呆けてないで準備しろ。仕事は山積みだ。どうせその辺の川を流れてるから、太宰でも探して連れてけ」
「…は、……はは」

国木田さんに声を掛けられてハッと意識が戻った。肩の力が抜けたのが分かった。何故かは分からないが口から思わず笑みが零れる。

「あ?何だお前。泣いてるのか?」
「泣いてません」

国木田さんのその言葉に思わずそう返した。手で触れた目尻には涙が溜まっていた。それを慌てて拭くが止まらない。

「泣いてないのか」
「泣いてません」

何だろう。
心が少しだけ温かくなった気がする。

「泣いてるのか?」
「…泣いてます!」

最後の最後にそう応えれば、国木田さんにふっと笑われた。


(…そろそろ泣きやめ)
(ううっ、すみません)
((……何だか国木田さんが泣かせてるみたいな画だな))


運命論者の悲み<終>


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