お星様と流れられない亡霊



空閑遊真はその夜もただ町を歩いていた。


深夜徘徊をすると補導されるということをよく理解していないため、空閑はその日も罪悪感だとかそういったものを特に感じることなくゆったりととある場所を目指して歩く。


「あ、今日もいる」

最近その場所にとある女がいる。薄ぼんやりとした街頭の明かりが辛うじて届くその公園のブランコに座って彼女は相変わらず飽きることなく空の星を眺めているようだった。

キラキラと星を目に透かしているくせに、彼女はやけに亡者のように存在が薄ぼんやりとしていて、曖昧模糊というその言葉がよく似合う雰囲気を纏っている。


「ナマエちゃん」
「___...ユーマくん。こんな時間に...。今日も相変わらず悪い子ね」

彼女を見つけて1週間と少し。公園を気にして歩くようになって1週間。そして彼女に話しかけるようになって5日経った。

星空に囚われていたキラキラとした瞳が、空閑の言葉にようやく引っ張られて意識を取り戻す。しっかりと彼女は遊真に視線を向けるといつもと同じそれを口にした。

「おれが悪い子ならナマエちゃんも悪い子だよ」
「ふふっ、そーかもしれないね」


ゆるゆる、ふわふわ、ぼやぼや。

それら全てを掻き混ぜたような雰囲気のまま名前はにっこりと笑う。空閑がこの前、彼女の歳を聞いたら16歳だと言っていた。学年は高校1年生。ボーダーにも彼女と同じ歳の人がそれなりにいる訳だが、彼女は同年代の彼らよりも顔つきは幼いくせに、纏うものは何処か大人だった。

しかし、先程も述べた通り彼女は16歳。現在の時刻は毎回「悪い子ね」と空閑に声をかける彼女も深夜徘徊に当てはまる時間である。だが、どうやら2人揃って罪悪感の欠片も何もなくただぼんやりと夜の世界で生きているようだった。


「今日も空を見てんの?」

彼女は何が面白いのか、毎日ただただ星を見つめている。視線は一点を見ているようで、でも何処か定まらない。空閑は彼女にそう声をかけながら、彼女に倣って自分も空を見上げてみる。


__ただの夜の空だ。

白く鈍い色をした月と疎らな雲、そして遠い昔の光を遠路遥々旅をさせて咲かせる星。なんてことない普通の空だ。

彼女に対して発したその言葉にすぐ返ってきた。

「うん。__今日は特にお星様が泣く日だから」
「泣く?星は泣かないぞ?」
「ふふ。そうだね。でも、泣くんだよ」


見てて、彼女が言う。「ふむ」と空閑は空いているブランコに座り彼女の隣で彼女の見つめるそれらを仰ぎ見る。


冷える夜のせいか星がよく見えるかもしれない。ただ少し公園や周囲の明かりが手伝って特に明るい星とそれに近い灯火くらいが精々見えているだけなのだが、そこまで意識して空閑が空を見つめることはないだろう。

「.......」
「ふむ。.....星が泣く?」


最近、夜の散歩の中に入り込んだこの時間は別に嫌いじゃない。ただ「星が泣く」がよく分からない。赤ん坊のようにぎゃーと泣くのだろうか、それともぽたぽたと涙を零すのだろうか。やはりよく分からない。

一体どの星が泣いているのか空閑は見える範囲の星を、なんなら月までも隅々まで視力を駆使して見やる。


「全然泣いてない...__、あ...」

泣いてないぞ?そう言いかけて空閑は空を駆けたそれを目で追ってそれから名前を見る。

「.....」
「.....」

名前は空を見ておらず、空閑を見つめていたらしい。仄暗い夜の中にキラキラとした瞳を浮かばせてにっこりと微笑んだ。彼女の雰囲気が年相応に溶け合っていく。空閑は泣いている星空よりもその瞳に何かを感じてついじっと見つめ返した。


「ね?泣いたでしょ?今日はあれが沢山見える日なんだよ」
「.....」

空閑は名前の言葉に返事をすることなく、名前から視線を外すとまた夜の空を凝視する。それはふとしたタイミングで空に光が尾を引いて流れていく。こちらの思いなど意に介さず、気ままに、でも瞬く間に、「あっ」と声をもらす間もなく夜から落ちては消えていく。

それが実は本物の星でないにしても、その日見たその光景は本当に星が泣いているようにしか見えなかった。


「凄いな...」
「ね。.....これを見るのが好きなんだ」
「毎日見れんの?」

だから彼女は毎日飽きもせず空を見ているのか?空閑はそう考えながら聞いてみた。それに名前は曖昧に首を傾げる。

「うーん。こんなに沢山見えるのは本当に偶にかな。いつもはふとした時に流れるだけ。火球とかも見たことあるよ」
「かきゅー?」
「火の玉みたいなのが空をゆっくり落ちてくの」


また名前を見る。もう彼女は空閑を見つめてはいなかった。相変わらず亡霊のようにふわふわと曖昧な、今にも消えてしまいそうな彼女は確かに隣にいるのにとても遠い。

その表情は泣きたくて泣きたくて堪らない、というくらい悲しそうなのに、瞳は相も変わらずキラキラとしていて何処かチグハグだ。

空閑は不意に彼女に手を伸ばした。それが視界の端に映ったのだろうか。こちらを向いた名前は薄く笑みを浮かべたまま首を傾げる。空閑と空閑が伸ばした手を視線が行き来し、それからゆっくりとその手を取った。その手は微かに震えている。そして、その顔は相変らず泣きそうだ。


「泣きたいなら泣けばいいのに」
「別に泣きたくなんか...」

__ウソだな。

その言葉を聞いて思う。別にサイドエフェクトなんかなくたって彼女の表情だとか震える手だとかから彼女が泣きたいのは解る。

そういえば、初めて彼女を見た日も名前は「泣きたいのに泣けない」といった表情で1人でぽつりとブランコに座っていた。


___可哀想な人間、ひとりぼっちの亡霊、何かに置いていかれた、取り残されてしまった迷い子。


どれが彼女に当てはまるだろうか。いや、全てが当てはまっているかもしれない。


「私の代わりにお星様が泣いてくれるからいいんだよ」
「ふうん」

彼女は言う。空閑は相槌を打つ。それから2人はまた星空を見つめる。名前は泣きたいくせに泣けない。空閑も泣けはしない。2人の代わりに夜は沢山涙を零す。

「.....」
「.....帰ろう、ナマエちゃん」
「うん」

明日は普通の平日。2人にはもちろん学校がある。空閑の手をぎゅっと握る力が強くなった時、空閑は名前にそう言った。

いつもはどちらかがバイバイと言って、それぞれの帰路に着く。一緒の時間に帰らないから、自分も彼女も帰る方向は知らない。もしかしたら真逆かもしれない。けれどそれはそれで良い。帰る場所が近いならそれに越したことはないし、遠いならこの夜をまだまだ堪能できるということ。

空閑が軽く手を引けば、名前が立ち上がる。公園から出て「どっち」と聞けば、空閑が帰る方と同じ方角を名前が指すのでどちらからともなく1歩踏み出し、それにつられて歩き出す。

こんな時間に歩く見た目の幼い2人に気に留めることのない車のライトに顔を顰め、誰も通らない歩道でゆっくりと空を時折見上げて2人は歩いていく。相変わらず手は握ったままだ。

「ナマエちゃん?」
「.....なーに」

空閑が名前をふと見やる。彼女のキラキラとした瞳から一筋流れ星が落ちていく。

「.....いや、何でもない」
「.......そっか」

それを見逃すことなく目で追いかけた空閑は言葉を続けるのをやめた。亡霊がゆっくりと人間になっていくようだと思った。


途中の自販機で温かいココアを2人分名前が買う。そして自販機の横に設置されている古びたベンチに座った。

__2人はまだ夜の散歩から帰りたくなかった。

帰らないといけないのは分かっているけれど、まだこのまま居たいとそう思う。

「あったかいね」
「あったかい」

空閑は彼女の言葉を繰り返して、それからそれをゆっくりと飲む。もう手を繋がなくても触れ合う肩からぬくもりを感じるような気がする。

「ユーマくん」
「ん?」
「星、きれーだね」
「そうだな」

(お星様のように涙を流せない亡霊と)
(お星様から落っこちてきた彼)