心を落として気づかない


二宮さんはとっても優しい人だ。

「.....」
「.....」

私は、隣でジンジャーエールを片手に持ってぼんやりとどこかを見ているその人をそっと見上げた。

傍から見れば難しい顔で色々と考えていそうだが、その実、こういう時の二宮さんは多分何も考えていない。ただただぼんやりと目に映る景色を眺めているだけだ。それなりに交流があるので、そんなことは何となくわかるものだ。


「どうかしたか?」
「いえ、ジンジャーエールおいしいです。ありがとうございます」
「そうか」
「はい」

人によっては気まずくなりそうな会話なのに、二宮さん相手だとちっとも気まずくならない。不思議だ。

多分そこまで交流がない人が相手だったら、この沈黙にそわそわしてしまうだろうなあ。


「冬島隊はどうだ?」

ぼやっとしていたら、突然そんな問いが降ってきた。隣をまた見上げれば、二宮さんの視線は相変わらず前を見つめている。

あの日のような隈はもうない。やつれてもいない。なのに、あの日がぼんやりと頭の片隅に思い浮かぶのは、やはり私が未来ちゃんに縋り過ぎてしまっているからなのだろうか。


「楽しいです。...とっても楽しいです」
「そうか」

言葉を繰り返した。これは本心だ。誘われて入った冬島隊はとても楽しい。冬島さんと真木さんと当真さんだけで十分完成されてるチームだと思っていた。だからこそ私に入る隙はないと思っていた。...いや、正直今も思ってはいる。

それでも必要としてくれているのだから、その期待に応えないといけないとも思っている。


当真さんから真木さんは怖いと聞いていたが、私からすればかっこいい女性って感じだった。同級生のはずなのに、憧れてしまった。

それを言うと当真さんから「マジか、お前」と言われたが、こちらこそ「マジですか、当真さん」である。真木さんのような人は大事にすべきだ。その話を思いっきり冬島さんと真木さんに聞かれていたことだけがただただ恥ずかしいが。


「この前はみんなで鍋しました。冬島さんの仕事がひと段落ついたらしいので」
「そうなのか」
「はい。当真さんが闇鍋にしようとしてたのを真木さんが止めたり、締めにラーメン入れたりしたんです」
「美味かったか?」
「美味しかったです」

白菜に人参に椎茸にキノコにしらたきにお肉に豆腐といった代表的な具材から、当真さんが闇鍋用に持ってきていたお餅と餃子とたこ焼き(他は真木さんによって却下された)といったいつもは入れない具材も入れての鍋だ。

今まで隊に所属していなかったからか、たんに1人じゃない鍋が久しぶりだったからかは分からないが本当に美味しかったし、楽しかった。心の底から至福を感じられたと思う。


「良かったな」
「はい」

二宮さんがふっと笑う。つられて私も笑みを浮かべた。ああ、こういう会話本当に好きだ。お互いにそんなに言葉は交わしていないのに、とっても良いと思う。

何か感想を述べる時に具体的なことが言えず、「好き」やら「楽しい」やらといつもいつも小学生じみた言葉しか出てこないけれど、そんな私の精一杯の言葉に対して二宮さんは何も言わない。

私も少しだけ二宮さんについて分かるように、二宮さんもそれなりに私について分かるようになっているのかもしれない。

なんてそんなことを考えながら、ジンジャーエールを1口飲んだ。


うん、美味しい。


◇◆◇



私と二宮さんの出会いは正直いってあまりいいものではないと思う。いや、ないだろう。

私から見た二宮さんはいつだってその時から優しい人だが、私を始めてみた二宮さんはあの状況からいってそこまで良い印象はないと思う。

思うのに、なのに、何故か二宮さんが私のことを最初から気にしてくれる。


最初は私が未来ちゃんの従姉妹だから気にかけてくれるのか、と思った。でも二宮さんが私をと未来ちゃんが従姉妹同士だということを知ったのは、二宮隊の中でも1番最後だし、仲がいいことを知ったのもそれとほぼ同時らしかった。


割といつも未来ちゃんにべったりして生きてきた私なのに、そのことを知らないのは、というか気付かないのは二宮さんくらいだ。

さすがに二宮隊の皆さんもその時は「二宮さん、マジか」という表情が顔面に思いっきり出ていた。多分私も出ていた。

そんな私たちのことなど気づいているのか分からない二宮さんは、いつものように「そうか」と言うので、「そうですね」としか返すことは出来なかった。


そういえば、初めて私が二宮さんと立ち話をしているのを見かけたらしい未来ちゃんから、二宮さんとどういった接点があるの?と驚かれたっけ。

懐かしいな。


二宮さんとの出会いはたまたまだ。

ボーダーの人があまり来ない場所で何故かは分からないが泣いてしまう時がある。1人になるとどうしようもない感情が飽和して、涙になってぽたぽたと零れていくのだ。


別にボーダーに馴染めないとか、そういう訳じゃない。

突然いなくなった家族の顔が思い浮かんで涙が出て仕方ないとかでもない。

狙撃の訓練が上手くいかない訳でもない。


薄情な私だから、そんなわけないはずなのに、なのに何故か涙が出てきてしまう。その理由を1番知りたいのは私自身だった。


そんな光景を二宮さんにたまたま目撃されてしまったのだ。

「.....」
「.....っ」

二宮さんはこちらを見るなり、数秒固まってしまった。そしてそのまま去っていってしまった。


泣いてる女を見てしまったから、きっと面倒だと思ったのだ。きっとそうだ。


引っ込め方を忘れた涙は、それでもぽたぽたと零れて私から逃げ出していく。それが堪らなくいやで、ゴシゴシと目を擦るのに、止まってくれはしない。


「おい」

数分後、また二宮さんが私の元に戻ってきた。どうして戻ってきたのだろうとびっくりして二宮さんを見上げる。

難しい顔をした二宮さんが、その時はとても怖かった。

次は何と言われるのだろう。こんな所で泣いてる馬鹿で滑稽な女だときっと思ったはずだ。

場所をもっと考えれば良かった、と後悔した。


「.....」
「.....」
「.....ん」
「え?...ジンジャーエール」

二宮さんは、突然私にそっとジンジャーエールを差し出した。いきなりのことで私の涙がひゅっと引っ込んだ。


なんでジンジャーエール?

泣いてる人にジンジャーエールなんて普通渡すものだろうか?


きっと慰めようとしてくれたのだろうが、そちらに意識が引っ張られた。

そんな私はお礼を言わなきゃと考える。そして口をついて出た言葉は、

「ジンジャーエール、好きです」

だった。ありがとうございます、よりも先にそっちの方が出てきた。自分でも少しだけ驚いた。

二宮さんはただ「そうか」と言うだけだった。私はそれに頷く。そしてようやく「ありがとうございます」と感謝の言葉を吐き出した。

それを聞きながら、二宮さんは私が座っているソファの横に座ると、自分の分のジンジャーエールを開けて飲み始めた。


なんで泣いていたのか?なんて私ですら分からないことを問うてくることもなく、ただただ隣に居てくれた。

私のどこかぽっかりと空いていた心の中に、その優しさが沁みて、ジンジャーエールの炭酸のようにパチパチと強く強く弾んだ。


素敵な言葉を唱えてくれなくたって、この無言の優しさに私は充分救われた。


それからだろう。二宮さんが私を気にかけてくれるようになったのは。

私が泣いてるところを見られた云々を、未来ちゃんに話すととっても心配されるだろうから結局言えなかった。

ただただ「二宮さんってとっても優しいね」と未来ちゃんに囁く。パチパチと瞬いた未来ちゃんは「良かったね」と笑った。私はそれに「うん」と頷いて、それから笑みを浮かべた。


◇◆◇



「今度焼肉行くか?」
「良いんですか?」
「ああ」

二宮さんって何でいつも焼肉なんだろう、なんて出水くんがぼやいていたのを思い出して、思わずくすりと笑う。

「ジンジャーエールを片手に焼肉を焼く二宮さんとってもかっこいいじゃん」と、言ったら出水くん何て言ってたっけ。「えー?」だったかもしれないし、「まあ、そうだな」だったかもしれない。


未来ちゃんならきっと「そうだね」って言ってくれるだろうな。なんて。


「二宮さん、そろそろ時間なので。また」
「ああ」

ようやくこちらを見た二宮さんと目が合う。ソファに座ってるだけで様になる二宮さんを再確認して、この人の横に今まで自分が座っていたんだなと思うと、何だか面白い。

「焼肉、駅前のところ行きましょう。あの店美味しかったです」
「...そうだな」
「では、また今度」
「気をつけて帰れ」
「はーい」

一礼してその場を後にする。視界の端で片手をあげた二宮さんが映った。

私は小走りで真木さんとの待ち合わせ場所に向かう。

「待った?」
「ううん、大丈夫だよ!行こう」

合流するなりそんな会話をして、2人でボーダーを出る。真木さんを待つ約1時間の間、一緒に居てくれた二宮さんは自分も用があるからと言っていたけれど、多分そんなものはないだろうな。

二宮さんはとても優しいから、何かと理由をつけてそんなことをしてくれる。今頃、私がボーダーを出たのを確認して、帰路につこうとしているはずだ。

犬飼先輩情報でそんなことを知っているのに、それに甘えてしまう私はなんてダメなやつだろう。犬飼先輩には甘えとけば、と言われたけれど本当に良いのだろうか。

まあ、その優しさに甘んじて断りきれない私がいけないんだと思うけど。


そんなことを頭の片隅に、真木さんとおしゃべりをしながら歩いていく。


未来ちゃんと帰ったあの道が、みんなで焼肉をしたあの店が、意味もなく見上げたこの空が、昔の色を取り戻せずに燻っているのを知っていながらも、私は知らないフリをして歩く。


(ねえ、未来ちゃん)
(この世界はもっと美しかったよね)
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