暗闇を貪ってみた


私は、いとこである未来ちゃんとほぼ同時にボーダーに入った。そして未来ちゃんと一緒の狙撃手を選んだ。

未来ちゃんの言う人を撃てないという感覚は、私にはちっとも分からない。


だってだって相手は生身じゃないんだから。

やらなかったら、やられるのはこちらだから。


私はそう考えて引き金を簡単に引いてしまうのに、未来ちゃんにはそれができないらしい。

それはそれで未来ちゃんの"個性"だ。

とびっきり優しい未来ちゃんだから、きっとどんな形であれ人の姿かたちをとった物すら撃ち抜けないのだろう。それとも"あの子"がダブってしまうのだろうか。

未来ちゃんにとって足を引っ張ってしまうそれが、やはり私には分からない。


ランク戦で誤ってトリオン体ではあるが人を撃ってしまったことが原因で、寝込んでしまった未来ちゃんのことはいつだって鮮明に思い出す。

私が思っていたよりもずっとずっと未来ちゃんのその"個性"は、未来ちゃんを苦しめるらしかった。

できることなら、私が。なんて軽率に言えないくらいに憔悴した未来ちゃんの姿を見て、その時の私はどうすることもできなかったのだ。


私は、別に家族を殺されたからといって、誰かのように酷く強くひたすらに近界民を恨むという感情が薄かった。それには自分でも酷く驚いた。

昨日まで当たり前にいた人たちが居ないこの世界で、当たり前のように息のできる私が怖い。

段々と記憶の中で顔も声も温かさも習慣も思い出も、全部全部風化していつか塵になって飛んでいってしまいそうだ。


ああ、怖いな。私って本当にダメなやつ。


心のどこかがぽっかり穴が空いているのに、そこがスースーと冷たくて軋んでいるのに、その場所も塞ぎ方も分からない。寧ろ無意識のうちに自分でどんどんと抉ってしまいそうだ。


それでも、それなのに私はここに立っている。ボーダーに入った目的はなんだっけ?ああ、"あの子"を探す未来ちゃんの力になれたら、だった。忘れちゃいけないのに、なんでこんなにふわふわしているのだろう。

あの日から私はやっぱりどこか可笑しい。

それが何かも分からないで、ただただ引き金を淡々と引く自分が堪らなく怖い。なのにこの時間は安心する。


このちぐはぐな気持ちを抱えてでも、私が私なのはきっと未来ちゃんのおかげだ。絶対にそうだ。

なんていつものように考える。さすがに未来ちゃんに依存し過ぎているのは自覚している。早く、早く従姉妹離れしないと。分かってる。分かってるけど、それがどうしてもできない。距離を少しだけ置こうとする度に、私の中の奥の奥の方がうるさく泣き喚く。だから、もう少しだけ、もう少しだけ。そう言って私はまた彼女の横で息をするのだ。


未来ちゃんが彼女なりに考えて、そして私が1番尊敬する狙撃手になった。東さんのことも勿論尊敬しているけれど、ずっと身近にいる未来ちゃんの方が親しみがあったのだろう。あと未来ちゃんは小さい頃からずっと私のヒーローなのだ。女の子だからヒロインなんだけど、わたしの中ではヒーローの方がイメージ的にはしっくり来てしまう。

そんなこと言ったらきっと未来ちゃんは照れて、困ったようにはにかむのだろう。

簡単に想像できるそれを思い浮かべて、私もまた薄くはにかんだ。


◇◆◇


「...苗字、こんな所で寝てたら風邪ひくぞ」

その言葉が耳の奥で響いて私は目を開ける。目の前には見慣れた人が立っていた。

「みわ、くんだ。こんにちはー」
「.....」

最近めっきり話さなくなった彼が無表情で私を見下ろしている。お互いにたくさん話す方じゃないけれど、前はまだもっとお話してたのに、今では会うことすら減っている気がした。

「.....」

そういえば、と改めて自分がどこにいるのかを確認する。まだぼやっとした意識が、微睡みから抜けられずにふわふわと宙を浮いているようだった。

ボーダーの、本部の、あまり人が来ないベンチ。そこでいつの間にか眠っていたらしい。スマホの電源をつけて時間を確認した。大体20分くらい居眠りしてしまっていたようだ。

防衛任務が終わって、当真さんに「しばらくぶらついて来ます」と言って作戦室を出て、それからしばらく宛もなくボーダー内を歩いてここに辿り着いた気がする。

自分の行動を辿りながら、ぐっと伸びをして立ち上がった。すぐそこにはまだ三輪くんが立っていた。


「声掛けてくれてありがとう」
「別に大したことではない」
「うん。それでもありがとう」
「.....」

彼に近づけば、彼は歩き出す。私もその横に並んで一緒に歩く。ちょっと前までたまにこういうことがあったから、何だか懐かしい。

三輪くんはあまり笑わないし、時々言葉がキツイときもあるけれど、それを含めて私にとってはちょうど良い。いい加減、ぬるま湯から本当に抜け出さないと、私は多分"私"を忘れちゃうから、だからこっちの方がずっとずっと良い。.....なんてね。



「メメント・モリ、かあ...」
「急になんだ?」
「ううん、なんでもない。なんでもないよ。ちょっと言ってみただけだから気にしないで」


2人で廊下を歩きながら、私は頭の中に急に降ってきたその言葉を辿った。そしてつい口に出す。隣の三輪くんが不思議そうな表情を浮かべてこちらを見やる。あまり足音を立てないように歩いていたからか、意外と声は響いたらしい。


___メメント・モリ。

いずれ人は死ぬということを忘れるな。

死を忘れるな。


なんてそういった意味の言葉らしい。ついこの間クラスメイトが得意げに話してくれたそれが急に頭の中を過ぎっただけ。それをただ呟いただけ。

なのに自分で言葉にすると、何だか面白い。初めて聞いた時は「なんだそれ」という感想しか感じなかったのにな。


死を忘れるな、か。

忘れる人なんているのかな。どうなんだろう。もしかしたらいるのかもしれない。このたった6文字に詰まったその意味がゆっくりと身体中を巡ってくような変な気持ちになった。


「...そこ、躓くぞ」
「うわっ」
「.....はあ」
「ご、ごめんね。ありがとう」

考え事をしながら歩いていたのがいけなかったらしい。三輪くんの声はちゃんと聞こえていたが、それを理解する前に足に何かが当たって躓いた。

そんな私の右腕を引っ張って、そして支えてくれた三輪くんは小さくため息をついた。


そういえば何に躓いたのだろう。そう思って、足元を見やる。そこにはなにかの資料が挟まったファイルが落ちていた。

そっと背表紙を見たあとに中身を見る。中には歴代のボーダーのパンフレットが挟み込まれていた。特にボーダーの機密に関わるものではないらしいというのを確認して、ほっとしながら辺りを見回した。

この辺はエンジニアとか事務もだが、広報の人とかもよく通るし、人によってはたくさんの荷物を持って歩いていくのできっとそれらのうちの一つが落っこちたのだろう。

誰かから逸れてしまったらしいファイルを持ち直すと、隣で一緒に止まってくれてた三輪くんを見上げる。

「私、これ届けてくるから行ってて」
「.....」
「ね?」
「.....ああ」

別に元々一緒に何か目的の場所まで行こうだなんて言ってはいなかったけれど、一応そう伝える。目をパチッと瞬かせた三輪くんは何かを言おうとしたが、直ぐにやめてただ頷いた。

多分、「自分も一緒に行く」とかそういったことを言おうとしてくれていたのだろうな。


それがあの日よりも前の私であったら、きっと一緒に届けに行っていたかもしれない。でも、あの日から前の"私"に戻れることはきっとない。それは暫くかもしれないし、ずっとかもしれないけれど、ないのだ。

それを割と長い付き合いの三輪くんには何となく気づかれているのだろう。彼はもう何もそのことに関しては言わなかった。


「じゃあね。また」
「ああ」

そう言って廊下で別れる。片手をあげた三輪くんに手を振った。歩いていく後ろ姿をしばらくぼーっと見てから、私は違う方向へと歩き出す。


誰も先の方には見えない廊下は、どこか薄暗くて何だか寂しく感じる。

「.....」

廊下の端によって、片手に持った少しだけ重く感じるファイルを徐に開いてみた。発行時期が小さく書かれているのを見て、そっと左右になぞる。とある1つのパンフレットを開いてみた。それはとても見覚えのあるものだったから、と。

「.....」

あ、笑ってる。

たったそれだけの感想をそのとあるページを見て感じた。たまたま撮影の時に近くを通ったら、誘われたから撮ったんだっけ?確かこの時撮ってくれた人の後ろに未来ちゃんが立ってたよね。

なんで一緒に撮らなかったんだっけ?
パンフレットに載るの恥ずかしがってたんだっけ?

なんて、そんなことを思い出しながら、見覚えのある隊員たちと満面の笑みを浮かべる自分の顔を見つめた。


うん。やっぱり戻れないや。

あの日々はもうずっとずっと遠いらしい。


それを再確認して、パタンとファイルを閉じて歩き出す。踏み出した右足がなんだか重く感じた。さっきまで気にならなかった廊下の異様な白さが更に"私"を浮き彫りにしていく気がした。


「あ、当真さんからだ」

静かな廊下に一瞬だけ電子音が響いた。ポケットに忍ばせていた端末を探して確認すると、

【お前、遅くね?迎え来てるぞ】

というメッセージがきている。お迎えというのは多分ひゃみちゃんのことだ。最近はいつもひとりで帰る時以外は、大抵真木さんか、ひゃみちゃんと一緒に帰る。

今日は真木さんは防衛任務が終わってすぐに帰っちゃったはずだから、ひゃみちゃんだろうな。

【分かりました。落し物届けたら、すぐ行きます】

それだけ返して歩くスピードを少しだけ早めた。片手に持ったファイルが何だかさっきよりも軽いように思えた。

(いつかの"私"を)
(また1つ忘れていく)
ALICE+