ごっくん、ばいばい


その日は日曜日だった。

休日に仕事の休みが少ないお父さんが珍しく家にいて、お兄ちゃんと弟と3人でゲームをしていた。お散歩から帰ってきたおじいちゃんにおばあちゃんがお茶を渡す。私は近所のおばちゃんにたくさん貰ったお煎餅をテーブルに出した。おじいちゃんが嬉しそうに微笑んでお煎餅に手を伸ばしている。

お母さんに呼ばれた。おつかいを頼まれる。おばあちゃんに縫って貰った巾着にお金とメモを預かった。

「名前」
「なに?」

玄関に向かおうとすると、おじいちゃんに呼ばれた。お煎餅に齧り付いていたおじいちゃんに近づく。手を出すように言われたので、手のひらを上に向けて手を出した。

コロン

1つの指輪が手の上に転がった。

「なあに?これ...」
「さてなあ。そこで拾ったんだよ。もし良かったら帰りに警察に届けてきてくれ」
「うん、いいけど」

どうやら散歩帰りに交番に寄ろうと思っていたのを忘れていたらしい。前にお財布を届けたことがあったから何となく落し物の届け方は知っていたので、「うん、届けてくる」と頷いた。それからやっと玄関に向かう。靴を履いてから外へと出た。

「.....眩しいなあ」

家を出ると晴れ空が広がっていて、太陽の光が眩しくて目を細める。手の中にある奇妙な"それ"を光に透かしてみた。指輪の先に付いている石は表面は黒っぽいのに真ん中の水色が透けてて、しかも光ってるように見えた。

「なんの石だろ?宝石ってやつ?」

物珍しいそれに首を傾げる。よく見たら指輪のところに文字が彫ってあるようだが読めなかった。外国の指輪なのかもしれない。石も珍しそうだし。首から提げた巾着の中にそれも入れて、近くのスーパーへと歩き出した。

スーパーに行って、それからちょっと先にある交番に寄ってそれから帰ってこよう。どうせ頼まれたものはそこまで多くなく、重くないものばかりなので買い物後に交番に寄るくらいはできるだろうから。

チクチク

「.....なんか嫌な感じ」

身体の奥がチクチクしてて、ため息をついた。気をつけて行こう。きっと何か良くないことが起こる。



「これで全部かなあ...」

スーパーの袋の中身とお母さんから貰ったメモを見比べる。うん、ちゃんと買った。

「じゃあ後は交番によって.....」

独り言を呟きながら外に出た瞬間、それは目の前に急に広がった。

「_.....え?」

何が起こったのか分からない。目の前に"黒"が沢山広がっていた。瞬きした瞬間には物凄い轟音が鳴って、地響きが起こる。ずっと向こうの方から煙が上がり始めた。


映画とかで見るような"バケモノ"が急に目の前に現れ始めたのだ。誰かの悲鳴が轟音の中に響いていて、町は音を立てて崩壊を始めた。

「.....何あれ」

すぐ近くにいた人と違って、そう呟いて1歩前に出た。みんなは一目散に逃げていくのに、私はバケモノがいる方向に走り出した。

さっきまで一緒にいた家族の姿が頭を過ぎっていて、「怖い、逃げなきゃ」なんて感情よりも「みんなが...」という思いの方が簡単に心の中の天秤に重くのしかかった。


◇◆◇

__ザアザア

雨の音がする。

「.....っ!...__い!」

雨の音と一緒に誰かの声がした。私はゆっくりと目を開ける。重く暗い色の雨雲が空にはあって、午前中の天気とはまるで逆だった。

「お兄さん.....」

さっき私を引っ張って避難しようとしてくれていたお兄さんが私に必死に声をかけていた。すぐ横にある瓦礫は見慣れた家の壁だとか瓦だとか家具だとかそんなものが入り交じって、見慣れない別物になっている。そしてそれが雨のせいで黒く暗く色づいていた。

「逃げるぞ」
「なんでここが...?」

ゆっくりと身体を起こされる。私の周りの地面は何故か赤く彩られている。それを認識するとともに脇腹がズキズキと痛いということに気づいた。思わず手で押さえる。そういえば、さっき落ちてきた瓦礫を上手く避けきれなかったかもしれない。良くは分からないけれど、"私は生きているらしい"。

「苗字さん家のお嬢ちゃん、俺のこと覚えていないの?」
「??」
「ほら、いつも郵便で来るだろ?手紙配ってる...」
「あ...」

いつもバイクに乗って手紙を持ってきてくれるお兄さんだ。気づかなかった。だっていつもはヘルメット被ってるし。だから彼は私の家の場所が分かったのかな?彼のことを振り切って走ってきたのに、彼がここにいる理由が何となく分かった。


「避難しよう...」
「避難。.....でも」

チラリ家を見る。先程までよりもさらに倒壊している家が目に入った。よく見たらこの辺一帯の瓦礫の山がさらに広がっている。遠いところにバケモノが見える。なにもかも夢じゃなかった。身体中がチクチクと痛い。表面も奥も痛い。

きっとみんな家に下敷きになって.....。

先程より倒壊してても誰の姿も声も見えないし、聞こえない。もしみんな避難しているなら、きっとこのチクチクは私を刺してこないから、だから。

「行こう...。ほら、乗って」
「.....」

頷けなかった。

私はここに居たい。なんて言えないし、だからといって逃げたいとも言えない。だってこの世界のどこに逃げれば良いのだろう。これはここだけじゃなくて日本中で、下手したら世界中で起こってるんじゃないの?

「な、行こう」
「.....っ、うん」

_ザアザアザア

雨が冷たい。音がうるさい。酷い匂いがする。大切なものが壊れていくのが分かる。そしてもう帰ってこないことも理解した。

涙すら出てこない。絶望がゆっくりと何もかもを沈めていってしまった。

ゆっくりとどうにか立ち上がる。足を挫いていたらしく急に痛みがして顔を顰めた。でもそれを我慢してお兄さんの背に乗る。お兄さんもボロボロなのに彼は力強く立ち上がった。その肩に手を置こうとして止める。乾ききっていない血がべっとりついた手のひらが目に入る。

__何もかも痛かった。

それからどうにか避難して、私は家族の姿を探した。1日経っても、1週間経っても誰とも連絡はとれなかったし、姿を見たという話も聞かなかった。


「……置いてかれちゃった」

暫くたって家族の遺体が瓦礫から出てきたという話を聞いた。私が住んでいた地区は被害が酷かったらしく、両隣に住んでいた若い夫婦も、目の前の家に住んでいた同級生も誰も彼もいなくなっていた。


おばあちゃんが縫ってくれた巾着とお母さんの字で書いてあるメモ、あとは少量のお金。そして届けることの出来なかった指輪。


私には、たったそれだけしかない。


大切な日々が、大切な人たちが、大切なものが"あの日"に食べられて、無惨にも咀嚼され飲み込まれてしまったらしい。


私の美しい世界を奪った"あの日"から、私の中の何かはどこかへ落っこちて、私はきっとゆっくりと死んでゆく。


◇◆◇


「.....」

ふと思い出して机の上に置きっぱなしにしていた"それ"に手を伸ばした。あの侵攻から少しだけ年月が経った今、あのバケモノと戦う術を手に入れた私。それでも時間はあの日からやっぱり進んでいない気がした。

指輪についた宝石が不思議な光を相変わらずたたえている。

"あの日"交番に届けることのできなかったそれは、未だに私が持っていた。4年経っちゃったけど良いかなあ。もしかしたら誰かが困ってまだ探しているかもしれない。

机の上にそれをまた置いて、それから今日の準備を始める。休日の今日はいつもよりも本部は賑わっていそうだ。昼過ぎから訓練があるから、昼前には着きたいな。

「これはボーダーに行く前に届けようかな」

___.....ん?あれ.....?

「....まって、何を届けるんだっけ?」

まただ。おかしい。また分からない。

キョロキョロと周りを見回す。あれ、私いまなんて言っていた?何を誰に届けようって言った?

こんなことが今まで何回かあった。頭の奥の奥の方がすっと冷めているのに、胸の奥がドロドロと熱い。

いつも急に思い出して、そしてすぐに忘れてしまう。そのことは分かっている。でも、分からない。もう随分同じことを繰り返した気がする。何が起きているのか分からない。この気味の悪い現象がずっと私に付き纏っていた。


「...私、どんどんおかしくなっていく」

未来ちゃんが居なくなる前からずっと私は、何かが足りなくなっていて、ボロボロと落としたものを拾うすべが分からない。思い出せない。


ふと部屋に置かれた鏡を見た。

笑っている。

鏡の中の私が笑っていた。生まれつき水色の瞳が、赤く見えた。ぱちぱち瞬きをする。するといつもの水色の瞳と目が合った。

「.....何が起こってるの?」

ねえ、なんで.....。

思わず身体を抱き込むようにして屈み込む。震える身体とすっと流れる汗。激しい動悸。息苦しさ。

おかしいよ。全部おかしい。

何がホンモノか分からない。

___ここに生きている"私"は本当に"わたし"なの?

「未来ちゃん」

今、どうしようもなく会いたい。なんで、なんでいなくなっちゃったの?

教えてよ。

小さい頃からずっと一緒にいたでしょう?ねえ、私何が違う?何が足りていない?私は、ちゃんとここにいた私なの?

私、__.....だよね?


◇◆◇


「......ん?あれ?」

私、なんでこんな所に蹲っているんだ。そんなことを考えながら壁にかかった時計を見る。もう家を出ようと思っていた時間が近づいている。早く準備を終わらせて、ご飯食べないと。

机の上にトートバッグを置いて、詰め込んだ中身を確認する。特に持っていくものは多くない。いつも入れているものたちがそこにあることにほっと息をつく。

視界の端に何か"赤い輝き"が見えた気がする。けれど、それを気にすることなく私はキッチンへと向かった。昨日作っておいたサンドイッチを冷蔵庫から取り出して、紙パックのジュースとともに部屋のローテーブルに置いた。

「いただきます」

(永遠のまぼろしに囚われて)
(それを無意識に飲み込んでいく)
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