ゆっくり死んでいく


*残酷描写注意
*シリアスです


◇◆◇

走った。

とにかく走った。


瓦礫に躓きそうになっても構わない。とにかく早く辿り着かないと。

息は苦しいし、肺が痛い。でも息が続かない苦しみなんか今はどうだって良い。

おつかい用のトートバッグは何処に忘れてきたか分からない。おばあちゃんに縫ってもらったお金の入った巾着だけは首から提げている。それも今は邪魔だが放り出す気にはなれなかった。


___視界の端に映るバケモノは何?


なんで、なんで。煙がこんなに出てるの?待って、あっちの方にはみんながいるのに、なんで?


「.....っ」

身体の奥の奥がチクチクと痛いのだ。嫌だ。この感覚は嫌いだ。いつだって虫の知らせのようなそれは突然やって来て、良くない未来を連れてくるのだ。


「君、そっちは危ない」
「は、離して!お願います!あっちには...!」

誰かの腕がお腹に回ってきた。慌ててそこから抜け出そうとするが、その人は私に言い聞かせるように何回も「避難しよう」と言ってくれる。でも、避難なんてどうでもいい。どうでもいいのだ。お父さんが、お母さんが、お兄ちゃんが、.....みんなが。祖父母と両親と兄と弟の顔が浮かんだ。だって今日、みんな家にいるって。

お腹から腕は離れたが、私の右手をその人はしっかりと掴んでいる。改めてその人を見た。彼は身体中ボロボロで所々血が出ていた。

「お兄さん、ケガ...」
「あー、これはちょっとね。それよりも早く避難しよう」

何がここで起こっているんだ?ぽつりとその人が呟く。大人の人もこの状況について何も分かっていないのか。私は繋がれた右手をぼんやりと見つめる。少しずつ"家"の方向から遠ざかっていく。

ああ、嫌だ。


「あ、こら!」
「ごめんなさい!お兄さんは逃げて」

隙を見てその腕から抜け出した。慌てたお兄さんの声が聞こえるが、私は振り返らずに走る。おばあちゃんがよく通っていた習字教室の横を通って、おじいちゃんとお散歩した小道だった所は瓦礫に埋もれていたから迂回して、弟が決まってお菓子を買い込む駄菓子屋さんの方に走る。お兄ちゃんがカノジョに振られた公園を突っ切って、お父さんがいつもケーキを買ってくれるケーキ屋さんの通りをぬけて、お母さんの大好きなお花が道の脇に植えられている道路を走り抜けた。

すぐそこのバケモノのせいで思い出達が崩壊していく。未来ちゃんとあの子とよく待ち合わせしていた看板のところがひしゃげている。


「.....うわっ」

目の前にそれが立ち塞がった。完全に目が合う。そこを曲がれば、家に着くのにそれは立ち塞がるようにそこにいて、こちらに近づいてきた。

「.....どうしよ」

これ以上後ろに下がってしまえば、もう帰れない気がする。回り道しないと。でも、向こうの道も塞がってて。

酸欠で何もかもでいっぱいいっぱいの頭では何も思い付かない。慌てて左の路地に入り込む。ガシャーンとすごい音が後ろからした。多分追ってきている。

他の子よりも身体が小さいことが今は救いだった。住宅と住宅の間を縫うように走って、曲がって曲がってそして物陰に入り込む。

この辺は人の気配も声もしないからみんな逃げてしまったのだろうか。じゃあ、私の家族もちゃんと逃げたかもしれない。だけどなんでこんなにチクチクするんだろう。未来ちゃんの方は大丈夫かなあ。

まだ周りでは何かを破壊する音が響いている。それがどんどん近づいてきて.....、あれ?何も音しなくなっちゃった。突然音がパタリと消える。どこかへ行ってしまったのだろうか。いや、でもお兄ちゃんが好きなホラー映画ではこういう時に顔を出してしまうと「実はそこにいました」なんて展開はよくあることだ。数分間目を瞑って、頭を抱えて蹲る。それからまた周りを伺う。

うん、やっぱり音がなくなってる。

それを確認してから、物陰から周りを見回した。何もいない。それをしっかり確認してからまた家の方向へと走り出した。もう立ち塞がっているバケモノはいなくなっていた。


「.......あ、」

曲がる前からその辺から煙が出ているのには気付いていた。でも、この目で見るまで絶対に違うと言い聞かせていたのに。

見慣れた場所は瓦礫に埋もれていた。道を曲がってすぐの青い屋根のお家も、その横の美容院も赤い車も何もかも変わっていた。ここまで来ると見える家だって当然この辺一帯と同じように瓦礫になっていた。


「.....」

声なんか出なかった。先程近くにバケモノがいたことなんてとっくに忘れていた。生まれてからずっと住んでいた場所はもう帰る所ではなくなってしまった。

「おかあさん...」

ぽつり呟いた。それから家族を呼ぶ。反応はない。やっぱり逃げたんだよね。きっとそう。

「痛い」

なのにやっぱり身体の奥が痛いのだ。

チクチク、ジクジク

その感覚はずっとそこにあって、目に涙が溜まった。慌てて目の前の瓦礫を退かそうと手に力を入れるが、重すぎてどうしようもない。小さな瓦礫に手を突っ込んで、誰もいないことを確認して投げた。手が血塗れだけど、痛いけど、でもこれを退かさないといけない気がする。

瓦礫の隙間から出てくる教科書だとか漫画だとか写真だとか、今まで当たり前にあったものがボロボロになっていた。目が瓦礫から出る細かい粒子のせいで痛痒い。擦ってしまったら目が傷つくのは分かっていたけど思わず腕で拭う。それから立ち上がって、家の周りを確認した。外側からは何も見えなかった。また声を掛けてみる。誰も何も反応しない。


瓦礫に巻き込まれかけている洗濯物が風でゆらゆら揺らめいている。放り出された時計は時間が止まってしまっている。


「.....ひとりはヤダ」

私も__、そう言いかけた時どこからか変な音がした。キョロキョロと辺りを見てそれからやっとどこから鳴っているのかが分かる。

はっと上を見上げた。

「...ひっ」

もうすぐそこには瓦礫が迫っていた。


◇◆◇


「〜〜っ!」
「うわっ」

慌てて飛び起きた。脇腹のところがジクジクと痛む。耳の奥でザアザアと雨の音がしている。

開けた目でキョロキョロと周りを見回せば、当真さんがすぐ横で驚いた顔をして固まっている。

「当真さん?」

そう声をかけると、当真さんが「びっくりした」と呟いた。私がいきなり飛び起きたせいで相当驚いたみたいだ。

「ごめんなさい」
「まあ、魘されてたみたいだし良いけどよ」

私の横に座った当真さんに慌てて頭を下げると、「気にすんな」と言う声が降ってくる。それからおでこをツンとされて「何するんですか?やめて!」と抗議の声を上げながら顔を上げる。

当真さんは昔からよくおでこの所をツンと押してくるのだ。ニヤニヤ笑っているその人のリーゼントを掴んでやろうとすれば、当真さんが立ち上がったので届かなかった。付き合いはそれなりなので私の行動は読めていたらしかった。


「なんの夢見てたんだ?」
「さあ...?」

ソファにちゃんと座りしながら、その問いに首を傾げる。あれ、なんの夢見てたんだっけ?魘されるような夢なのだから覚えていそうなのに。

みんなで先程までたこ焼きをしていたとは思えないほど綺麗になっているテーブルの上に置いてあるマグカップに手を伸ばした。中身の麦茶は半分入っていた。冷た過ぎず、ぬる過ぎず。寝起きにはこれくらいがちょうど良い気がした。


__ザアザア

「?なんか音が聞こえません?」
「音?なんか聞こえるか?」
「あれ、まだ寝ぼけてるのかな?」

うーん、と首を傾げながら目を擦る。おかしいなあ。やっぱり耳の奥の方でその音がなってる気がする。

んん?と唸っていると「ほら」と当真さんが急に投げてきた飴を慌てて受け取って、何も考えずにもぐっと口に入れた。

「ハッカだ...」

すっとひんやりとしたそれを感じて驚く。なんで当真さんハッカ飴なんて持ってるのだろう。おじいちゃんなのか?いや、ハッカ飴とお年寄りイメージをイコールにするのは偏見だけども。

「なんか焼肉行ったら貰った」
「焼肉」

たしかにお会計の時に飴くれる焼肉屋さんある気がする。いつもよく見ないで誰かにあげちゃうからハッカ飴くれるのは知らなかったけれど。


無意識に脇腹の所を手でなぞりつつ作戦室を見回した。そういえば真木さんも冬島さんもいない。さっきまでいたのにな。私、どれくらい寝ていたのだろう。

「そういや傘持ってきてるか?」
「あ、折り畳みなら」
「なんか降り始めたらしいぞ」

メッセージアプリの高三組のグループの画面を当真さんがこちらに向けてくる。【びしょ濡れだ】というメッセージとともに無表情な荒船先輩と穂刈先輩と可愛らしい猫が雨宿りしている写真がそこにはあった。写真は3分前のものだった。

「当真さん傘は?」
「持ってきてねー」
「私折り畳み2本あるけど」
「お、1本貸してくんね?」
「良いですよ」

そのつもりで確認したわけだし。

「ショッキングピンクと黒のレースの傘どっちがいいですか?」
「なんだこの究極の選択迫られてる気分...」
「え、ピンク?」
「いや、せめて黒がいい」

鞄に入れていたものと作戦室に置いていたものを取ってきて、当真さんに見せる。おすすめはピンクだからと勧めてみたがダメみたいだ。黒の方を当真さんに渡してからまたソファに座りなおした。

「.......」

ガリッ

無意識に飴をガリガリと噛んでしまった。そのついでと言わんばかりに口の中も噛んでしまっていて思わず顔をしかめる。


.....__痛いなあ。

あーあ、私、まだちゃんと生きてるんだなあ。

(あの日からゆっくりと)
(私の世界は動かなくなっている)
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