ここからSSです。
「ねえ、先生」
「なんだい?」
フィガロが診療所のベッドに沈むナマエの頭を撫でていると、ナマエが口を開いた。
少し前から南の国に兄と2人で住むことになったナマエは、その可愛らしい顔を真っ赤にしている。最近流行り始めた風邪に罹ってしまったらしい。ただでさえ身体が弱いのだから、いくら魔女だといっても彼女にとって風邪は致命的だった。
気をつけてはいたみたいが、彼女がよく交流する子どもの中で罹ってしまった子がいたらしく、それで移ってしまったらしいのだ。
ナマエを運び込んできた彼女の兄は街に用事があるらしく、先程まで行くのを渋っていたが、ナマエからの一喝や、フィガロの説得により渋々出掛けて行った。
先程までの家族のあれこれを見られたことや、いくら医者とはいえ高頻度でフィガロに頼ってしまう申し訳なさで口をムッとさせるナマエを見て、フィガロは思わずニコニコ笑う。
フィガロからしてみれば、家族の微笑ましい光景を見たり、何なら巻き込まれることは嬉しいことであるし、人から頼られ喜ばれたりお礼を言われることは自分がとてもいい人なった気がして気分が良かった。
言い方は悪いが、身体の弱いナマエやそれを心配する兄が近くに住み、そして何より頼ってくれることで、周りが更にフィガロのことを良い人だと捉えてくれたり、「さすが先生!」と言ってくれたりする。
ナマエは申し訳なく思っているのも知っているが、自分の職業的に放っておく訳にはいかないし、関わることでの世間体も良い。ナマエもいい子だし、何よりフィガロが求めているものを少しだけでも見つけられて、そして得られそうな気がした。だから彼女が近くにいるのは嫌ではなかった。
「また迷惑を掛けてごめんなさい」
「そんなこと気にしなくてもいいよ」
フィガロは彼女の頭を撫でながら少しずつ魔法を掛けていく。風邪自体は治せなくても、苦痛は少し和らぐだろう。弱りきった彼女は苦しそうに呼吸をしながらぼんやりとフィガロを見上げていた。
今日は診療所の人の出入りも少ないため、フィガロはほぼナマエのいるベッドの横に付きっきりだ。ナマエはそのことを気にしていた。
「......」
「眠ってしまっても良いんだよ?」
小さくあくびをした彼女にそう声を掛ける。先程からどうも眠そうであるし、ウトウトしているというのに彼女は頑なに眠ろうとしない。
「......先生」
「ん?」
「私、どうして"こう"なんでしょう?」
眠そうな声がフィガロの鼓膜を揺らす。それが呪いのせいだというのは、もちろんナマエ本人も分かってはいる。でも、それでもそればかり考えてしまうらしい。
ナマエは倒れると、驚くくらいにこんこんと眠り続ける。しかもその間の世話はほとんどいらない。普通の人間ならこんなに眠れば食事などもできないため生命の危機に直結するし、いくら魔女でもここまで手が要らないことには本当にびっくりした。まるで冬眠した動物のようだ、だとか、倒れたまま時が止まっているようだとも思ってしまう。
彼女にかかっている呪いは、彼女が魔女である故かさらに複雑に、そして奇妙なものに変質しているようだった。
「あとですね」
「うん」
「先生なら父様と母様と兄様達から私の記憶を消せますか?」
フィガロはその言葉に目を見開いた。あんなに愛し、愛されている家族だというのに彼女がそんなことを言うなんて思いもよらなかった。
「......なんで消したいの?」
「強く産んであげられなくてごめんね、って私に隠れて母様泣いてたの」
「......」
「魔女だからどうにか生きてくれて嬉しいけれど、魔女だからこそこの体質は、ハンデになるかもしれないって。それにどれだけ苦しんでも根本的には楽にはなれないだろうしって」
確かにそうかもしれない。彼女は魔女であるからこんな風に生きていられる。だが、魔女だからこそこれから長く永く生きていく上でそれが良くない現れ方に繋がることも考えられる。そして、どんなに苦しくても一時的には緩和できても、彼女にはその重荷が着いて回る。
「そんな風に思うんだったら、いっそ私の事なんて忘れちゃえばいいのにね。先生もそう思わない?」
「......」
フィガロは答えられなかった。愛を知っているからこそ、その愛から齎されるものが悲しくて仕方の無い彼女の気持ちなんて、"それ"が分からない、知る術すら長い人生で見出すことのできなかったフィガロには何も言えなかった。
フィガロの手にナマエは手を重ねた。小さくて柔らかくて熱い手はしっかりとそこにある。家族のことをいつも想っている彼女の手は確かにそこにある。
__家族愛、なんて素敵なんだろう。
フィガロは常々そう思っていた。
「先生、ねえ先生」
「うん」
ナマエがポロポロ涙を零す。大きな一雫が手に当たる。彼女が色々なものを想って流したそれをフィガロはもったいなく感じた。それが触れた自分の手からその感情が入り込んで、その気持ちが少しでも知れたら良いのに。そして自分にそれが齎されれば良いのに。そんなことを感じてしまう。
「先生がいてくれて良かった」
「そう?それは良かった」
「先生はね、ちょっと怖いこともあるけれど、でもとっても優しい」
「怖いこと?注射刺すからかな?」
ニヤリと笑ったフィガロを見て、ナマエは苦笑した。
彼女は最初からフィガロの本質に何となく勘づいていた。初めて治療した時、初対面だったこともあり彼女はフィガロの魔法を拒絶していた。それが今では受け入れてくれている。少しずつ壁を薄くして、最後には信頼を寄せてくれるようになった。彼女と出会って約1年、彼女が近くに住み始めて少し経った。
彼女は受け入れていない相手からの魔法を拒むが、受け入れるとびっくりするくらいに受け入れが良い。じわじわと心をとかしてくれる彼女の様子にも、目に見えて信頼を寄せていることが分かる。その様がフィガロにとっては心地よいものだった。
中々他人の心は分かるものではないが、彼女の体質のお陰で割と心が読める。
「先生、ありがとう」
「どういたしまして」
「私は先生がどんな人でも、先生のこと大好きだよ」
「......そう、ありがとう」
ふにゃりと笑ってそう言ったナマエを見てフィガロは震えそうになった。こんな表情をして自分に「ありがとう」や「大好き」と言ってくれるなんて、そんなことを思って喜んだ。彼女が一種の愛を持ってフィガロにその言葉を与えたのだと思うと機嫌はさらに良くなる。
「......これは、手放せそうにないな」
しばらく撫でていれば、眠ってしまったナマエを見てフィガロは思わず呟いた。近い未来、自分の欲しかったものが落っこちてくる気がしてならなかったのだ。
(すぐ近くにある温もりに)
(手を伸ばさない人などいるのだろうか?)