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しのべる星と光る君 の続き
「そういえば、最近青メッシュ先輩とよく一緒にいるそうじゃねえか。付き合ってんか?」
「っ、げほ!」
午前の練習を終えようやく迎えたお昼の時間。心地良い光が差し込む食堂の窓側付近の席では、跡部とナマエの二人がミーティングを兼ねた食事をしていた。氷帝の部長とマネージャーという立場である二人が共にいることはさして珍しいことではなく、特にその状況を気にかけるもの者はいない。だからこそ跡部は下手に目立たぬこの状況を使いふと思い出した疑問をナマエへと投げかけたのであった。
が、その言葉に飲んでいたものを吹き出しそうになるナマエの様子に、聞くまでもなかったかと早々に結論に至る。未だむせるナマエとは正反対に、跡部は優雅な所作で紅茶を口へ運んだ。
「まあ付き合う付き合わねえは勝手だが…あまりうつつを抜かすんじゃねえぞ」
「つ、きあってないから!だいたい誰から聞いたのよそんなこと!」
「忍足が嬉々として報告してきたんだよ。お前と青メッシュ先輩が楽しそうにカフェでデートしてたってな」
「で…」
デート。その単語に言葉を詰まらせる。多くの人が利用するカフェで話している以上覗き見をするなというのは無理な話だが、それを付き合ってるというまで発展をさせるのはある意味忍足らしいといえばらしい。普段であれば、小説の読みすぎで無駄に乙女寄りになったその思考に文句を言ってやるところではあるが、いかんせん越知からの『口説いている』『可愛い』といった決定的な言葉をいただいている以上そうとも言えない。
「たしかに、よく話はするけど…つ、付き合ってるとか、そういうのじゃないから…」
「ほお、デートをしてんのは本当なのか」
「だからデートじゃないって…」
なにより、ナマエ自身越知と過ごすその時間が心地よく感じているからこそ、なおのこと強く否定ができないでいた。
鈍感だと言われることはごくたまにあるけれど、あそこまで直球な言葉を言われてしまえばさすがのナマエも気づくわけで。まさかの人物からのアプローチとあまりにまっすぐな言葉にどうすればいいのかわからないというのが正直な感想であった。
「俺からしたら、無口なあの人がわざわざお前と会話してるって時点で相当なもんだけどな」
「えええ…」
「嫌なのか」
「…嫌、ではない」
「じゃあ答えは簡単じゃねえか。好きなんだろ、青メッシュ先輩のこと」
「す…んん……」
なぜ私は跡部に相談をしているんだ。そう感じつつも、女が自分一人しかいないという状況において、物事を察する能力の高さや、当事者の立場を理解しその上ではっきりと意見を述べ的確なアドバイスをくれる人物というのは中々貴重な存在なのだ。
「なにをそんな頑なに否定すんだ」
「べ、別に頑なになってなんか…」
「なってんだろ。さっさと応えればいいもんを…」
「…だってさあ、考えてもみなよ。あの人高校生だよ?しかも三年生」
「そうだな」
「そんな人がさあ、こんっな私みたいな平凡な中学生を好きになるなんて…信じられなくない……?」
密かに心の奥底で感じていた疑問。決定的な言葉を囁かれながらもナマエが一歩踏み出せなかった理由はここにあった。
声をかけられた時、たしかに戸惑いはした。けれど話せば話すほど、越知月光という人間を知れば知るほど。その優しさや不器用さに惹かれ、いつしか目で追いかけるようになっていて。時折優しく頭を撫でる手に触れたいと、近づきたいと思うようになっていた。
それでもその気持ちに蓋をして、この感情がわからないと誤魔化していたのは、他でもないそのたったひとつの考えからであった。
まるでスライムのようにズルズルとうなだれ机に額をぶつける。ごん、と鈍い音を立てて脳内へ響いた痛みが虚しさを倍増させる。
「たぶん、おそらく…いや絶対に、この合宿所に私しか女がいないから、なんとなくそんな気になっただけなんだって…」
「……………」
「そうだよ…そうに決まってる……」
「はあ…面倒くせえな」
「面倒くさいってあんたねえ…」
腕を組みため息を吐く跡部の様子に、やはり言うべきではなかったかと弱みを見せたことを後悔したその時。突然強く腕を引かれ、ナマエの体は抵抗することなくそのまま背後へと振り返っていた。
そして次の瞬間視界に映ったのは、はるか頭上からナマエを見下ろす越知の姿であった。長い前髪から覗く瞳は、どこか不機嫌そうに見える。
あれ、なんか似たような状況知ってる。ていうか、なんで越知さんがここ、に、
「跡部。悪いが少し借りるぞ」
「どうぞ」
「え、ちょ、あ、跡部っ」
「ついでに喝入れてもらえ、この腑抜け」
突然のことに頭がついていかないというのにも、ナマエはどこかデジャブを感じていた。慌てて縋るように跡部を見るも、しっしと犬でも追い払うように手を振られてしまう。
高校生が中学生を連れ出している。しかも唯一の女子であるナマエを。いったい何事だ。そんな周囲からの視線も越知は気にするそぶりを全く見せず、ナマエの手を引き無言のまま食堂を後にした。
「お、越知さっ、ま、まって…!」
身長差がありすぎるため、越知とナマエの歩く速度は大きく違う。普段であれば越知はそういった点に気を配ってはいるものの、今回ばかりはそこまで気が回らなかったらしく。腕を掴んだまま遠慮なく歩みを進めていたせいで、ナマエはほとんど走っているような状態でここまで来ていたのだ。さすがに体力的に辛くなってきたと訴えれば、慌てたように歩みが止められる。
「…すまない、気づけなかった」
「い、いや、わ、私が遅かったので、すいませ…げほっ」
なんとか呼吸を整えようと息を吸い込むと、食後の突然の運動だったためかむせてしまう。涙をにじませつつ深呼吸すれば、少し戸惑ったように視線を彷徨わせた後、越知の手がナマエの背中を優しく撫で始めた。
そのおかげか徐々に落ち着いてきた呼吸と冷静になる頭で、ここが一軍が使用するコートだと理解する。お昼ということもあってか人影はすっかりなくなっており、聞こえるのは風が木の葉を揺らす音だけだった。
「も、大丈夫です…ありがとうございます……」
「そうか…」
「……………」
「……………」
訪れた無言の時間に、ナマエはまるで初めてまともな会話をした時のようだと感じる。あの時はどうしていいのかわからないという困惑でいっぱいだったけれど、それからは徐々に会話ができるようになっていって。そのうち越知との話が楽しいと思うようになっていたというのに、また振り出しに戻ってしまった。しかもその原因がおそらく自分だと思われるため、余計に気分は沈んでいく。
「…あ、あの、越知さ、」
「好きだ」
小さな声だった。気にしなければきっと風の音にかき消されてしまっていたであろうほど、小さな声。この状況で神経が過敏になっていたというのもあるのだが、それでもナマエの耳には確実に響いていて。
驚きで顔を上げるも、身長差ゆえ俯くようになっている越知の顔には影が落ちていて、その感情をはっきりとうかがい知ることはできない。
突然の発言に驚いて見上げる、なんて。状況は全く同じだけれど、あの時とは違う決定的な言葉は、静かにナマエの身体の中へと落ちていく。
「俺と話す時、きちんと目を見てくれるのが好きだ」
風に吹かれ、陽の光に照らされた銀色がきらきらと揺れる。顔を隠すそれがわずかに舞い上がったことで初めて見えた越知の表情から、ナマエは目がそらせなくなった。
「俺を怖がらずにいてくれたのも、好きなものを話すようになってくれたのも、だんだんと笑うようになってくれたのも」
「お、越知さ、」
「全部、好きだと思ったんだ」
制止をかけるナマエの言葉を遮り、越知は胸の奥底から湧き上がる想いを吐き出すようにナマエへと告げていく。
ゆっくり伸ばされた手はナマエの頭のすぐ近くで止まり、躊躇うように少しだけ手前に引いてしまう。けれどその後意を決したように、そっと頭を撫で始めた。
「…どこが好かれるのかわからないと、言っていただろう」
「も、もう充分わかりました…」
予想は的中していた。この言葉から察するに、あの会話を全てでないとはいえ聞いていたのだろう。けれどまさか告白までされ、さらには好きになったというところまで諸々言われるとは。想像していなかっただけに、あまりにもストレートすぎるその言葉は確実にナマエの熱を上げていく。
「どこか、とかじゃない。お前の全部が…好きなんだ」
頭を撫でていた手は、するりと頬へ下りていく。俯くナマエの顔を上げさせると、その熱を確かめるように優しく掌で包み込んだ。銀と青から覗く瞳がきゅうと細まり、わずかに口角が上がる。ああもう、駄目だ。
「わ、たし、」
きっとこんな状況だから勘違いをしているだけなのだ。だからこそ、気づいてはいけない、気づいたら苦しくなると誤魔化して、見て見ぬ振りをしていた。
けれどそんな考えなど関係ないとばかりに越知はナマエへと近づき、そして最後には、一番欲しかった言葉でごちゃごちゃしたくだらない悩みを全て吹き飛ばしてしまった。
ナマエの瞳からは堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れ、今度は越知が驚きで目を見開く。珍しくわかりやすいぐらいに慌てるその姿に妙な新鮮さを感じつつ、ナマエは勢いよく越知の胸元へと飛び込んだ。ジャージ濡らしちゃってすいません。そう心の中で謝りながら、腕をなんとか背中へ回し強く握りしめる。
それが彼女の答えだと理解したのだろう。その大きな背をぐっと丸め、越知もナマエを強く抱きしめ返した。
「っ、お、越知さ、足、」
抱き寄せられたことで必死に背伸びをしていたものの、ついにつま先すら付くか怪しくなってきていたらしく。苦しげな声に名残惜しさを感じつつ身体を離せし、代わりとばかりに越知は膝を曲げナマエと目線を合わせる。いまだ溢れる涙を拭ってやるその様子がまるで親が子供をあやすようだと思わず笑ってしまうナマエに、つられて越知も微笑んだ。
瞳を閉じ、どちらからともなく近づく。好きだ、と。唇が触れる直前再び囁かれたその言葉にナマエは今度こそ小さく、私もですと音にしたのだった。
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