「前から思ってたけどさ、名字ってめっちゃ字下手くそだよな」

 部活終わり、寮の食堂の一角をおばちゃんに了承をもらってバレー部レギュラーで占領し、簡単なミーティングをしているときだった。 部誌をぱらぱらとめくっていた山形がそう呟き、一瞬だけ静かになったあとに若利以外の全員が吹き出した。 部誌をまだ書かない二年生の白布と川西、そして今年から入部と同時にレギュラーになった一年生の五色が「どんなんですか」と部誌を覗き込む。 次の瞬間に川西と白布は表情が固まり、五色は「えっ」と目を見開いた。

「なんか意外っスね」

 川西がそう言うと白布と五色も頷いた。 山形から部誌を取り上げて「うるさい」と部誌で三人の頭を軽く叩いておく。 余計なお世話だ。 たしかにわたしが書く字はきれいとはいえないものだ。 がたがたしていて、はじめて見た瀬見には「小学生かよ」と言われたこともあるほどだ。 個性だから放っておいて、と言えばみんな笑って「それもそうか」と言ってくれた。

「名前ちゃんってさ」

 隣に座っていた天童が寝そべりながらわたしの顔を覗き込む。 にこにこと笑った顔に違和感を覚えつつ「なに?」と部誌を机に置きながら訊き返す。

「もしかしてだけど、元々は左利きなんじゃない?」

 ピシッと変な音がした。 そんな音などしなかった、とでもいうように天童は言葉を続ける。 ドアノブを握るのも左。 鍵を開けるのも左。 ペットボトルを開けるのも左。 切符を改札に入れるのも左。 箸やペンを最初につかむのも左。 腕時計は右につけ、鞄は右肩にかける。 つらつらとわたしを観察した結果を述べ終わると、天童はもう一度言った。 「元々左利きでしょ?」と。

「結構最近、右利きに矯正してるでしょ」

 「だから字がまだ汚いんだよね〜?」と机の上の部誌を手に取る。 開いてうんうん頷きながら「そうじゃないの? 若利くん」となぜか若利に話を振った。 若利がゆっくり天童の方に視線を向けると「俺、見ちゃったんだよね」と天童がさらに言葉を続けていく。 「名前ちゃんの中学時代のノート」、その一言に若利は小さく息を吐く。

「そうだが」
「やっぱり〜! 中学のときはきれいな字だったから変だな〜って思ってたんだよね〜!」

 高校一年生のとき、わたしが持っていた手帳を勝手に見たのだという。 どうして右利きに矯正しているのか聞いてくるかと思いきや、それっきり天童はその話題をしなくなった。 そのままふつうにミーティングが再開する。
 そうして本当にいつもどおりミーティングが終了して、その場で解散となった。




 うだるような暑さ、ぼんやり霞むように見えるアスファルト。 ああ、またこの夢か。 そううんざりしながら立ち上がって後ろを振り返ると、中学生の若利が立っている。 いつもどおりだ。 ほとんど毎日会うその子は一度しか見たことのない、苦しそうな顔をしているのだ。 若利がそんな顔をしなくても。 声にはならない。 その場でじっと若利の顔を見ているだけの夢が、今日もわたしにつきまとっていた。


鏡の向こう側へは行けない 02

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