前世、というものを聞いたことがあるだろうか。今生きている自分の、前の話だ。そんなものあるわけがないと笑う人もいるだろう。しかし私は、前世の記憶を大方持ったまま生まれてきた。最初はぼんやりとした抽象的な概念を感じるだけだったが、年齢を重ねるごとにその記憶は色濃くなっていき少し前には自分の命が枯れる瞬間の感覚を鮮明に思い出ししばらく体調が優れなかった程である。
前世の私にはとっても大切で大好きなひとがいて、最期はそのひとを蝕む業障に蝕まれ目も見えず耳元では生き物が出すとは到底思えないような卑劣でおぞましい声が何かを叫んでいる中にそのひとの声だけがとても鮮明に聞こえて、そのままぶつりと糸が切れるように記憶が終わっている。今冷静に振り返れば、五感の全てがあの時は狂っていたから近くにそのひとが居たのか、本当に私に声を掛けていたのかすら怪しく実際は私の幻覚みたいなものかもしれない。普通の人とは違い中々の死に方をしたと思うがそれでも全く後悔していないし、あのひとと一緒になれて本当に良かったと心から思っている。
できれば今世でも一緒になりたいと考えているほどまだまだ気持ちが冷めていないわけだが、現実とはひどく残酷で。
「……早く来すぎたかなあ」
晴れて大学生。前世とは別の世界なのか今回私が生まれた世界はとても文明が進んでいた。板みたいな小さな精密機械を持っていればどこにいても誰とでも連絡が取れるし、医療の発展なんて特に素晴らしく人間がすごく長生きする。ただの凡人が百年近く生きれるなんて結構すごい。まともな両親の元に生まれれば必ず教育を受けられるし、食べるものに困るなんて話もほとんど聞かない。分厚い法律書を読まなくてもなんとなく法律が分かるように幼少時に教育されるし、偉い人の気分一つで法律が増えたりすることもない。読むのも面倒な程書類を提出しなくていいし、人が足りないからと家族と会えないほどの激務が続くこともなさそう。璃月とは結構違う。
運良く普通と言われる一般的な家庭に生まれた私は、大人になる前にもう少し勉強するべく大学へと進学した。今日はこれから始まる大学生活のあれこれを教えられるオリエンテーションの日だ。そこそこ、かなり……少しだけ頭のいい大学を志望したので受験勉強は頑張った方だと思うが、無事合格できたので今思えば苦でもなんでもない。ちなみに両親は前世の私の両親とは違うみたいだった。だった、というのも両親に直接確認したわけではないし、何より前世で両親と離れてから時間が開きすぎている。たぶん、違うと思うけど詳しくは分からないという感じ。今世でも書物をたくさん読んでいた私は、他人に「ねえ、前世って分かる?」と話を振ると恐らく引かれるということを確信していたので前世のことは誰にも言っていない。あのひと……魈さんと私だけが分かればいいかなと思っている。
──その魈さんとは、前世で出会った年齢を過ぎてもまだ逢えていない。魈さんどころか、仲の良かった友人にも逢えていない。ここには私しかいないんだろうか、と漠然と寂しくなって枕を濡らすこともしばしばある。私しかいないならいないで、記憶なんて無かったらあのひとの面影を探しまわることも無かったのに。もう十八を過ぎた。正直焦っているし、もう逢えないんじゃ、と最近では心のうちでどこか諦めている。だって人の時間は流れるのが早すぎる。このまま独りで記憶の中の魈さんを手繰り寄せて生きていくしかないのかも。
まだ人のまばらなオリエンテーションの会場の前の方に座るよう係の人に促されて、隣の人に軽く挨拶をして椅子に座る。渡された資料を軽く確認しながら時間を潰そうとしていると、隣の人がじい〜っとこちらの顔を覗き込んできた。な、なに……。中性的な顔つきで、ぱっちりと開いた青緑の瞳に見つめられて正直居心地が悪い。苦し紛れでわざとらしく咳払いをしてみるも気にせずこちらをじっと見てくる。
なに、だれ。知ってる人だっけ? いや……わかんない。なんですか……? と恐る恐る目を合わせればにこっ! と微笑まれた。ええ、こわ。
「ひさしぶり、……じゃなくて、初めまして! ボクはウェンティ、君の名前は?」
「え、ええと……〇〇、です……」
「〇〇! 学部はどこ? 文系かい?」
「うん、文系……えーと、ウェンティは?」
「ふふ〜ん、どこだと思う?」
「えっ……お、音楽とか……?」
「お! あたり〜!」
なんだこの人。すごい絡んでくる……。コミュニケーション能力高いな。なぜか学部クイズを出され、なんとなく音楽っぽいなと思ったのでそのまま答えると嬉しそうに正解〜! と笑顔を見せられた。人懐っこい笑顔に警戒心と緊張が解されて、他愛もない話をしているといつの間にか会場に人が増えてきていて先生っぽい人の声がスピーカーに乗って耳に入る。
後で連絡先交換しよ、と静かになった会場でこそっと内緒話されるように耳打ちされて、こくこく頷くと満足したのか前を向くウェンティ。いつの間にか会話に夢中になってた。最初は何この人……と思っていたけど、話していくうちにどんどん会話が盛り上がってなんだか初めて会った気がしないほど。学部は違うけど、友達はできたので幸先はいいかも。先生の話の最中に、前から二列目の席で堂々とスマホを弄るウェンティに肝が座ってるな……と思いながら書類の補足をメモしようと筆記用具を取り出した。
◇◇◇
みっちり二時間、たくさんの先生の話を聞かされてオリエンテーションは無事終了した。正直疲れた。私の学部はこの後は特に何もないようで、どこか行こうかなとぼんやり座ったまま考えていると隣のウェンティからスマホを押し付けられる。明るい画面にはQRコードが表示されていて、そういえば連絡先交換するって言ってたなと思い出す。私も自分のスマホを取り出して、コードを読み込めば高そうな楽器のアイコンが表示される。
「これなんの楽器?」
「ライアーっていって、ハープの一種だよ。興味があるなら今度音色を聴いてみるかい?」
「えっ、こんな高そうなのいいの……?」
「楽器に値段は関係ないよ、それとも君は……澄んだ笛の音色の方が好きかい?」
「笛……! うん、笛の方が好きかも。聴いてみたい」
「ふふっ 分かった! じゃあ今度聴かせてあげるよ」
「楽しみにしてる!」
予定が分かれば連絡ちょーだい、と人懐っこい笑顔で言うウェンティに返事をしていると、ウェンティの手の中にあるスマホがぶるりと震える。誰かから連絡が来たみたいで、ちょっと待ってねとスマホを触るウェンティ。確かさっき芸術学部はこの後物販あるって言ってたし、なんかお邪魔しちゃ悪いから今日はこの辺で帰ろうかな。予定分かったら連絡するね、とウェンティに一声掛けて席を立つ。
ぎゅうぎゅうだった会場も人がまばらになっていて、出入り口も空いている。今ならささっと帰れそう。帰る前に少し学内を見て回ってもいいかな、とにかく広いから迷子になりそうで時間ある時じゃないとこういうのできないよね。配られた資料の中にあるかなりざっくりとした学内の地図を眺めて、とりあえず一周してみようかと考える。
私がこれからお世話になりそうなのが……ここか。ううん、思ったより遠いな。しかもウェンティが通うであろう芸術系の学部の棟とも結構距離がある。同じ学科で友達できるといいな。
でも、ウェンティの吹く笛の音色はとっても気になるから近いうちに聞きたいかも。ハープの優しく包まれるような音色より、笛のような透明感が強いけどしっかり輪郭のある音色の方が好みだから、つい食いついてしまった。楽器について詳しいことはなんにも分からないけど、笛の音色は好きだ。身体の内側からくる有象無象の悲痛な叫びの中でも、ハッキリと聴こえるから。魈さんも本当にたまにだけど、笛吹いてくれてたなあ。また聴きたいな、……無理かな。無理だよなあ。こうやって楽しいことがあっても、すぐ記憶の中の魈さんと絡めてしまって気持ちが落ち込むことが多い。
はあ、と小さくため息を吐きながら広いホールから出てあたりを見回す。入学したほぼ全員が一斉に集められていたからか、会場の外はまだ人が多く居た。予定通り学内を散策してみようと今いる場所とマップを見比べていると、人混みの中にふと視線がいく。
……なんだろう、なんか……。呼ばれたわけでもないのに勝手に視線がそっちに行って、人混みから目が離せなくなる。視線の先にはいくつかのグループが輪をなして集まっていて、それぞれ談笑しているようだった。特に知り合いがいそうな雰囲気でもなく、なんだったんだろうと思いながら再び手元のマップに目を向ける。一周するならあっちから行ったらいいかな、と目印となる建物をマップと照らし合わせていると、ふっと視界の端で色のある何かが動いて目を動かす。
視線の先には、先ほどのグループがいて、その奥で煩わしそうに足早に学内から出ていく人物が見えて、その人に視線が釘付けになる。
「……え、」
思わず声が出てしまうほど、あの人にそっくりな後ろ姿が遠くなっていく。そっくりというか、いや、絶対そう。一目見ただけで確信した。触ると意外とふわふわだけどツンツンしてる後ろの髪も、他の人と比べると少しだけ背が低いけど誰より広い背中も、不意をついて抱きついても微動だにしない細い腰も、片時も忘れたことなんてなかったから。
無意識で握り込んだマップが手の中でぐしゃりと音を立てて、体が勝手にその人を追いかけようと足をあげようとして、すんでのところでぐっと全身に力を入れて動きを止める。もし、もしあの人だったとして、私のことなんて覚えてなかったら? 覚えていたとしてもまた一緒になりたいのは私だけかもしれないし、それに今まで私と同じように人間としてこの世で生活してきていたなら既に他の女の子があの人の隣にいるかも。だって、絶対かっこいいし。
どくりどくりと早くなる心臓が、嫌なことを考えるのを止めさせてくれない。もし彼に記憶がなくても、私はまた一緒になりたいけど、でもそれでいいのかな。他の女の子の隣にいる彼を想像すると胸のあたりがちくりと痛んで、その奥にどす黒い感情が湧いてくる。そもそも魈さんは私がここにいることに気付いているんだろうか、気付いてるならなんで話しかけてくれないの。ふつふつとマイナスの感情がお腹の中を満たして、視線で追えなくなった彼が消えた先を見つめていると勝手に目から涙が溢れる。待ち合わせをしているらしい私の近くで時間を潰していた人がぎょっとしながらこちらを見てきて、こんな所で泣いちゃいけないとハッとしてハンカチを取り出しながらこの場を離れる。とりあえず人の少なそうな所へ行こうと、あの人が消えた方とは反対側の学内の奥へと向かった。