はじまり_C

 あれから二年。魈さんと私は順調にお付き合いを続け、学業と両立しながら愛を育んで……育んで、いる、のは認める。魈さんは成績優秀だし相変わらず優しすぎるぐらい優しいし、私はそこそこしか勉強はできないけど友達は割とできた。大学三年生ともなれば就活への不安を抱えながらも今のうちに遊んでおかないと、という雰囲気になり学内でものんびり過ごしてしまう。魈さんは普通だけど、たまにウェンティに飲みに引っ張られては嫌そうな顔をしながら行っているし、この間紹介された鍾離様という人はなんというか知性と気品が溢れ出ていて同じ空間にいることに申し訳なくなってしまった。しかも院の教授をやっているそうで、「文系なら俺が教えることもあるかもしれないな」とハキハキ言われた。じゃあ……鍾離先生様なのかな……。様を抜くと魈さんに怒られそうだから敬称が沢山ついてしまう。そんな話を魈さんに正直に暴露すると鼻で笑われたけど……。
 ウェンティに誘われた飲みに行ったらなぜか鍾離様とウェンティと私の三人だけで、二人が好きに喋っているのを聞いていたらいつの間にかラストオーダーどころか閉店の時間になっていて店員さんに申し訳なさそうな顔をされながらお会計を頼まれた。ウェンティはともかく、鍾離様はすごい高そうなコートからとんでもなく地味な財布を出してきて、中身も中々庶民的なお値段を入れていてちょっと意外だった。意外とお金のことにはルーズなのか二人合わせても金額が足りなかったので、奢ると言われていたけど一応持っていっていた財布からお金をだして実質割り勘みたいになったこともあった。
 それ以降は、あの時はすまなかった、といって鍾離様が持つとすごく小さく見えるカードで何度か奢ってもらっている。見間違えじゃなければ黒色だった気が……いや、気のせいか。
 
 講義中、ぼんやりと講師の先生の話のメモを取りながら最近頭の中を占めるある悩みについて考える。魈さんとまた逢えたことは本当にすごく嬉しい。しかも今度は人間同士、なんと、子ができるのである。前もたぶん……いや、絶対出来たんだろうけど、魈さんの務めから考えて、なんとなく言い出せなくてそのままだった。本当は私だって魈さんと自分との間が欲しかったし、たまに遊びに行った璃月港で見かける鹿角の生えた重そうな辞書を持ち歩いている子を何度か見かけて、その仙と人の気が混じったものがひどく羨ましかった。学生の内から何を、と思われるかもしれないが、私は声を大にして言いたい。
 この世界は技術がすごく進んでいて、避妊が容易であると。たとえ避妊を目的としていても、今更あのうっすい膜に頼らずともいいと。
 ──つまり私は、魈さんにナマでして欲しい!
 
 いや。私は常に落ち着いている。ほんとうだ。何を贅沢な、と思われるかもしれない。でも聞いて欲しい! この世界で今更ゴムをして性行為をしているカップルなんていないんです! 魈さん、聞いてますか? 魈さんが私の事を心底考えてくれているのは分かってます、でも、でも! 前までずっとナマだったじゃないですか……!! なんなんですかあの薄い膜は! 魈さんと私の間にあんなものいらないですよね!? それとも魈さんは私とナマでしたくないんですか……? 
 これは魈さんとの性生活に悩みすぎた私がうっかり友人に愚痴をこぼした時にその子が考えてくれた口上に私がちょっと付け足したものである。まだ魈さんに直接は言えていない。だって魈さん、私がピル買ったのでナマでしましょう! て頑張ってお誘いした時も首を縦には降らなかったから……相当嫌なのかなって……。うう、あの時の恥ずかしさと断られた時の穴があったら入りたい感情を思い出したら涙が出てきた。結局あれ以来ピルとゴム併用させられていっそう魈さんと距離が開いたし。
 悩みに悩んでそのことも踏まえた上でまた友人に相談すると、より確実に避妊できる塗り薬を勧められた。それは最近出回り始めた新しいタイプのもので、どういう仕組みなのかはあんまり覚えてないが確か性行為の前後いつでもいいからお腹の上から子宮あたりに塗っておくと受精の働きを止められるとか。百パーセントに限りなく近い避妊率でかなりの人気があり、まだ出回り初めてすぐのため需要と供給のバランスを保てず価格が学生の財布には痛く、それを持って魈さんに挑むことは出来ていない。あの薬さえあれば……。
 はあ、と大きなため息を吐くと同時に講義が終了したらしく、出席票を出しに行く人が一斉に立ち始めてガラガラと講義室が賑やかになる。隣の席で寝ていたらしい友人も突然賑やかになったことで目を覚ましたのか、眠そうにしながら出席票に名前を書いている。出してこようか? と立ち上がったついでに聞けば、お願い〜と弱々しい字で書かれた出席票を渡された。
 講義の先生に軽く頭を下げながら出席票を出して帰る準備をしようと席に戻れば、友人は完全に覚醒したのかにやにやしながらこちらを見てくる。
「ねえねえ、今日お泊まりなんでしょ」
「あ……うん、そうだけど」
「今日こそしてもらえるといーね」
「いやあ……どうかなあ」
 結局あの薬まだ買えてないし、望みは薄いと思う……。と配られた資料とノートを整理しながら言えば、友人はつまらなそうに「ふーん」と言いながらスマホをいじり始める。ナマは嫌そうだけど、性行為はしっかりしてくれるんだよなあ。どうしたもんかなあ、卒業までこのままなのかも。でもやっぱり前みたいに邪魔するもの無しで魈さんと繋がりたい……!
 魈さんは前の、肌で繋がる感覚を覚えていないのかなあ。魈さんが私のことを本当に考えてくれている証拠なのは分かるけど、どうしたってあの薄い膜に腹がたってしまう。どれだけ薄くてもあるものはある。たかが一つ数百円で私と魈さんの仲を引き裂こうなんて……。いっそあれに穴でも開けてやろうか。はーっ、と深く息を吐いて机の上に散らばったものを鞄に入れ終わると、もとから机の上に何も出していなかった友人が軽そうなリュックを背負って「いこ」と催促してくる。
「可愛くおねだりすれば大丈夫だよ」
「そういう問題なのかな……」
「まあまあ、愛されてないよりはね。あ、学食寄りたい」
「ええ、さっきお昼食べたじゃん」
「寝たらお腹すいた」
 あ、彼氏の家行く前に食べれないか。とにんまり笑い掛けてくる友人。面白がってない? と眉を潜めればそんなことないよとけらけら笑われる。友人はしっかりお腹が空いているようで、じゃあ私はなんか食べて帰るから。と本当に学食に寄って帰るようだ。お昼もしっかり食べてたように見えたけど……底なし胃袋……。じゃあね、と手を振られたのでまたねと返して魈さんに連絡しようとスマホの画面ロックを解除する。通知欄に魈さんの名前があり急いでアプリを立ち上げると、私の講義終わりに合わせて迎えにきてくれてるみたいだった。魈さん今日確か休講のはずなのに……優しい。今終わりました! と返事をすればすぐ既読がついて、学内で落ち合うことになった。
 
 夜。食後に魈さんの家に置かせてもらっているお気に入りのコーヒーを飲もうとマグカップに口をつける。あつっ。思ったより熱くてすぐに口を離してしまった。これはもう少し冷まさないと飲めなさそう。熱々のコーヒーを飲めないなんて、と友人に馬鹿にされたことが何度かあるが、猫舌を極めると熱いものの味を認識できないので別に羨ましくともなんともない。舌を火傷するリスクの方が大きい。コーヒーを冷まそうと体育座りをした膝の上にマグカップを持つ両手を置けば、じんわりと膝が暖かくなる。うん、まだ熱い。最初からアイスで作ればよかったかも。ふーっと湯気を立たせるコーヒーに息を吹き込んで少しでも熱を逃がそうとしていると、隣に座ってスマホを眺めていた魈さんが「熱いのか」と声を掛けてきた。
「はい……ちょっとまだ飲めなくて……あ、」
 返事をしていると魈さんにマグカップを奪われて控えめに口をつけられる。一口飲んでから、ちょっとだけ眉間にしわを寄せて黙ってマグカップをテーブルの上に置いている。魈さんも私ほどじゃないけど猫舌だと思う。
「熱いですよね」
「あぁ……砂糖も多い」
「えぇ、こないだよりは減らしたんですけど……」
 魈さんも飲むなら別で作りましょうか? と聞けば「要らん」とだけ返ってきて、じゃあいいじゃん! と思ってしまう。魈さんはちょくちょくこうして私が一人で飲んだり食べたりしていると一口だけ貰っていって、飲み物を飲んでいれば「甘い」だの生クリームたっぷりのスイーツを食べていれば「重い」だの言ってくる。特にお互いの家にお泊まりしてるときなんか顕著で、ほぼ毎回そうだからなんなんだという気持ちが多少なりとも湧いてくる。
 もしかして文句じゃなくて感想言ってるだけ……? 本意が分からず混乱してしまう。魈さんいわく砂糖を入れすぎな私好みのコーヒーを冷まそうかとテーブルに手を伸ばせば、マグカップに辿り着く前に魈さんに捕まえられた。へ、と思わず声をあげてしまう私を気にも止めず、崩した膝の間に魈さんの身体を入れるように抱え込まれて、ぐっと近くなった距離にどきりと胸が高鳴る。
 魈さん、と名前を呼べばじっと目を合わせられて、いつの間にスイッチが入ったのか分からないが熱っぽい視線で顔を見られて恥ずかしくてえっと、と視線を下ろしてしまったのを合図にゆっくり唇に触れるだけのキスを落とされる。
「しょ、魈さん、まだお風呂が……んっ」
 後頭部を支えられるように手を添わされて、少し上を向かされる。まだお風呂入ってないですよ、と魈さんに言うも話をして唇が動いているのも気にせずにちゅっちゅと口付けられてうまく喋れない。魈さんに抱えられたことで凭れていたベッドが横にきて、マットレスのベッドカバーの端を掴んで魈さんからのキスに耐えているとやんわりと手を握られてしまった。せめてお風呂入ってからにしませんか、と途切れ途切れになりながら言えば「後でいい」とぴったり重なった唇が動いてびくりと反応してしまう。これは抱かれた後にお風呂入らされるやつ!
 何度かこの展開になったことがあるが、行為後のお風呂は本当にめんどくさくて嫌だ。身体だるいのに汗でびっちょりだし、いくら休んでも足りないのに痺れを切らした魈さんに無理矢理一緒にお風呂に連れて行かれて身体を洗われる。出た後も化粧水塗る元気すらないからなんやかんや魈さんにお世話されることになって次の朝羞恥でしばらく魈さんの顔が見れなくなるから、できれば避けたいところ……なのだが……。
「しょ、魈さ、んンン♡」
「……ッん、」
「んぅ……♡」
 避けられなさそう! 一回止まりませんか、の意味を込めて握られた手にぎゅっと力を込めてみるも同じぐらいの力で握り返された。唇を開けないように力を入れていたのに、ちゅぅ♡と下唇を吸われた後にかぷりと甘噛みされればくすぐったくて力が抜けてしまう。少しだけ開いてしまった唇をぺろりと唾液を絡めた下で舐められて、ぞわりと肌が粟立った隙に魈さんの薄い舌を口内に差し込まれて条件反射で受け入れてしまう。口内を好き勝手舐められて、表面をすり合わせるように舌を絡め合わせていれば、とぷりと送られてきた魈さんの唾液にほんのりとコーヒーの苦い味が混ざっていてそういえばコーヒー飲めなかったな、と快楽の滲む頭の片隅でぼんやりと考える。まだ飲み込めていない唾液が口の端から溢れて、顎を伝って魈さんの家の床を汚す。上顎を舐められた感覚にぶるりと身体を震わせて、腰の奥が甘く重くなる。舌を連れ出されて、力の抜けたそれに唾液が重力にしたがってぽとりぽとりと雫になって落ちていくのをじゅるりと吸われて、鼻に声が抜ける。うっすらと目を開けて魈さんを見れば、さっきより温度を上げた金色の瞳に、キンっと瞳孔を鋭くした目と目が合うと同時に繋いでいた手を離されてゆっくりと頬に手を添えられた。

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