◇三日目
「おはよお」
静まり返った講義室にこっそり入ってきて、いそいそと隣に座った友人が声を潜めて朝の挨拶をしてきた。おはよ、と返しながら取っておいた出席票を机の上に滑らせれば、ありがたやとついさっき買ってきたであろう紙パックのジュースを渡された。どうも、とそれを受け取るといつもお世話になっております、とノートを開きながら返事をされる。
暗い講義室であくびをしながら前のスライドを見て「今何の話?」と手先でペンを遊ばせながら聞いてくる。友人は昨日夜遅くまで呑んでいたようで今朝遅刻すると連絡があった。私も遅刻こそはしなかったものの、魈さんと一緒にベッドでごろごろするのが心地よくていつもより遅く家を出てしまった。ベッドでごろごろ、と言っても魈さんに起こされるのを眠いと言ってゴネていただけだけど……最終的には布団を引っぺがされて起こされた。魈さんはいつも私より遅く寝て、私より早く起きるから本当に寝ているのか心配になる。今度こそゆっくり寝ればいいのに、元の性質がショートスリーパーなのかな。
講義の内容を説明しながら友人に貰ったジュースにストローを挿していると、「なるほどね」と全く頭に入ってなさそうな返事が返ってきた。大事そうなところをメモして、ジュースに口をつける。朝だからか野菜メインの健康的なものをセレクトしてくれたみたいだ。今日は午前中の講義だけ、あとは特に予定もないただ早起きするだけの日で、この後どうしようかなとぼんやり前を見ながら考える。必修科目だからか、朝の講義にしては人が居る。眠い目を擦ってきた学校でいきなり講義室を暗くされてそのまま眠っている人も何人かは居るが……。朝の電車つかれたなあ、でも魈さんの家からだと電車の時間が短くて済むからいつもよりは楽だった。この後やることもないし、魈さんの家に帰って……あ、でも魈さんは私と入れ替わりで午後講義なんだった。
どうしようかな……、とこの後のことを考えていると、視界の端で暗い講義室に少しだけ明るい光が拡散されているのが目に入る。隣を見ると友人が机にスマホを置いてなにやらサイトを見ている様子。私が言えたことじゃないけど、全然集中してないな……。何を見ているのか気になって、不躾ながらもゆっくりとスクロールされる画面に目を凝らすと、そこには色とりどりの女性用下着が並んでいた。あまりにタイムリーなものを見ていて飲んでいた紙パックを思い切り握り込んで口の中に大量にジュースが流れ込んでくる。
軽く咳き込んでいると、「どした?」とまだ少し眠そうな声を掛けられた。ちらりと教授がこちらを見てきていたのがわかって、咄嗟にノートを取る動きをしながら付箋に「後でそれみせて」と書いて友人のスマホに貼り付ける。友人はすぐ私の言いたいことに気がついたのか、「いいよ」と緩い文字を付箋の端に書いてみせてくれた。
◇◇◇
「下着欲しいの? 私もなんだよね」
講義が終わった教室で、半分も埋められていないノートを閉じながら友人が言う。自分以外の人の下着なんて気にしたことがなかったけど、正直今はとても気になる。客観的な意見が欲しいし、できれば男の人はどういうのが好みなのかもアドバイスをもらいたい。こんなことを他人に打ち明けるのは初めてで、不思議と緊張してしまう。少しだけ早くなる脈に心臓のあたりを押さえながら、ゆっくりと息を吐いて口を開いた。
「あの、普段ってどんな下着つけてます、か……」
「なんで敬語?」
「いやちょっと、気になって……失礼だったらごめん」
「いいよ、大丈夫〜 私はここのやつが好きでよく買ってるよ」
あ、もしかして今見たいの〜? えっちだなあ、と悪い顔をして襟を晒してくる友人にごくりと唾を飲みこむと、ガチじゃん……と言って引き下がられた。意外と乗り気だったから勝負下着でもみせてくれるのかと思って意気込んだが違うらしい。彼氏くんに何か言われた? と半笑いでスマホを差し出してくる友人の一言が少し現状に掠っていて背中に冷や汗が伝う。落ち着け、まだ私の下着がダサいと決まったわけじゃない。
ふぅ、と息を吐いてから友人のスマホに目を落とす。私のものより液晶の大きなそれには可愛らしい女の子っぽい下着がたくさん並んでいた。お、おお……。かわいい。おじさんみたいな反応になってしまう。
「あーでも、色は黒とかしか買ってない。このラインが好きでさ」
「わ! すごい、クール系だ」
「でしょ〜 そこそこ盛れるしいい感じだよ」
「うん、かわいい……」
先週新作出てたみたいだったから、さっき見てた。と出席票を出しにいきながら言われて、返事をしつつ机の上を片付け始める。なるほど……こういう感じなのか。
私のやつよりちょっと装飾が多くてびっくりしたけど、彼女が気に入っていると言っていたシリーズのものはそう変わらない、かな? 実際につけてみないと分からないかもしれないが、ぱっと見の印象は結構近しいかもしれない。ちょっと安心したけど、まだ客観的な意見は取れていないから油断はできない。
ノートや筆記用具を片付けつつ机の上に置いた画面をまじまじと見ていると、そんなに気に入った? と時間が経ったせいで暗くなりはじめたスマホの画面に指を滑らせながら笑われた。画面がぱっと明るくなって、スクロールしていくごとに少しづつ際どいラインの下着が表示されるようになる。うわ……そういう感じなんだ。結構えっち、かもしれない。モデルさんの肌すごく綺麗。
「なに〜、彼氏くんとなんかあった?」
「え、えっ!? いや、べつに……」
「絶対あったね、話を聞いてあげようじゃないか」
お腹空いてきたから、うーん……喫茶店でも行きたいな〜、と言いながらじとりとした目で顔を覗き込んでくる友人。うう、バレバレなんですけど……!
奢らないよ、と言いながら鞄を持てば、「結構結構〜」と楽しそうに背中を押されて講義室を後にした。
ぱちぱちと弾けた泡が白い柔らかなソフトクリームに吸われて消えていく。少し溶けて丸くなった頂点にぱくりとかぶり付いた友人は幸せそうに頬を動かした。スプーン使わないの? と包み紙に包まれたままのそれを見ながら聞くと「使うけど、一口目はこれが一番おいしい」とストローを差せる場所を探してクリームソーダの周りをきょろきょろと覗き込んでいる。ソフトクリームの下の氷が大きいから探すよね、わかる。しばらくそうして、収まりがいい場所を見つけたのかストローを差し込むと溶けかけていたソフトクリームが器から溢れて白い液がグラスに伝った。スプーンを包んでいた包紙でそれを拭き取りながら彼女はわざとらしく咳払いをする。
「それで、彼氏くん……えっと……ごめん名前覚えてない、なにがあったの?」
「魈だよ、前も言ったけど全然覚える気ないのはわかった」
「や〜喋ったことないし、あとなんか、見た感じ私とは合わなそうだし……でも難しい字なのだけは知ってる、どんなのかは知らないけど」
「別にいいよ、多分……合わないと思うから」
「だよね? だから〇〇の彼氏くんの下着の趣味とか知らないよ」
突然本意を見抜かれて動揺して思わず声が出てしまう。そんなことだと思った、と笑いながらストローを啜る友人に敵わないなと思いながら気持ちを落ち着かせるようにメニュー表のページを進める。「私はこれがいいな〜」と既に自分の注文を終えた友人がケーキを指差してきて、その気分じゃないかなとそのままページを捲った。まだお昼前ぐらいだし、とりあえずカフェオレとかにしようと思ったけどこのお店にくるとソフトクリームが食べたくなる。
うーん、どうしようかな。目の前で食べられると私も食べたくなるから、ソフトクリームが乗ってるやつにしようかな。注文を決めてテーブルの上のボタンを押せば、店員さんがすぐにきてくれた。
「手っ取り早く勝負下着とか買えば? えっちなやつ」
ストローから口に入ってきていたカフェオレが喉に詰まる。
げほげほと咳き込む私を笑った友人は残り少なかったメロンソーダを飲み干して、店員さんを呼ぶとおかわりを注文した。お腹壊しそう。
「そ、そのつもりだけど……えっちにも好みはあるじゃん」
「好きな女が際どいのしてたらなんでもいいでしょ〜」
「そういう感じ……?」
「さっきみせてもらった〇〇の普段のやつも、普通に可愛いと思うよ」
いつも着けている下着を買っているサイトを見せると、ほほうと見ていた彼女を思い出す。わりと下着を見るのは好きなようで、こういうの好きそうだねと言って知らなかった可愛い下着のサイトも教えてくれた。持つべきものは友である。帰ったらゆっくり見よう。
咽せてしまって違和感の残る喉を鳴らしながらソフトクリームをカフェオレの海に少しずつ沈めていると、店員さんが二杯目のクリームソーダを持ってきて彼女の前に差し出す。いただきま〜す、と言ってソフトクリームの先端をぱくりと口に含んで、先ほどと同じように頬を蕩けさせた。
「じゃあ……なんかおすすめとか……」
「あるよ! じゃあ明日でも一緒に見に行く? 今日は夜バイトなんだよね」
「行きたい……!」
じゃあ決まりね〜、と明日の予定が決まった。はじめての、えっちな下着……!
一体どんなお店に連れていかれるんだろう、下着屋にはたまに行くが、そういうコーナーは今まで気にかけていなかったのでわくわくする。ソフトクリームが溶けた甘いカフェオレをストローで啜りながら、期待に胸が高鳴るのを感じた。