三日目_A

「魈さん、どういうのがいいですか?」
 手の中のスマホを後ろの魈さんに見せるように振り返る。何をするでもなく後ろから私に抱きついてきていた魈さんが液晶に映し出された画面を見て小さくため息を吐く。また流されては本当に時間が足りなくなってしまうので、どうにか魈さんの興味を引こうと画面に指を滑らせながら口を開く。今日で三日目の夜だ、もうあまり時間はない。明日友人と買いに行くんだから、今日のうちに少しでも魈さんの好きそうなデザインのヒントを見つけておかないと。
「またその話か」
「まあまあそう言わずに……! えと、今日友達に相談していろいろ教えてもらったんです。これとか……」
 黒色の大人な雰囲気のそれをタップして、モデルさんの写真がたくさん出てくる画面をスクロールして魈さんの反応を伺う。レース多めでちょっと肌色が透けるデザインで、露骨なエロさはないがこれはこれで色気が溢れ出ているように思う。これぐらいなら私でも挑戦しやすいかな……と思って魈さんに見せてみたが、モデルさんみたいに完璧に着こなして雰囲気を出せるかどうかと言われると全く自信がない。黙って画面を見つめる魈さんに、どきどきと心臓の音が大きくなる。
 い、今更だけどこんなにモデルさんの写真ばかりみせて、自分で着たときのハードルをあげてるんじゃ……。私こんなに細くないし、こんなに全身の肌整ってない……。うう、こっちの方がイメージつきやすいから魈さんでも何か反応してくれるかなって思ったけど、失敗しちゃったかも。
 魈さんが黙れば黙るほど自信がなくなってきて、魈さんとくっついた背中に変な汗が伝う。ぐるぐるネガティブな考えを巡らせて、魈さんの反応を伺うはずだったのにいつの間にかモデルさんの写真に釘付けになってしまう。いや……これは見せるべきじゃなかった……勝てるところがひとつもない……。
「お前はこれがいいのか」
「えっ!? あ、いや……私は好きですけど、魈さんはどうかな〜って……」
 小さな画面と自分の思考に集中していて、魈さんの声が思ったより近くで聞こえてびっくりした。魈さんから返ってきた反応や印象を逃さないようにしなければ、と頭のなかのもやもやを振り払って魈さんに意識を向ける。じいっとお互いに見つめ合ってなんとも言えない沈黙が流れた。
「ど、どうですかね……」
「フン」
 魈さんはどうでも良さそうに鼻を鳴らすと、私のお腹に回した腕にぎゅっと力を入れた。ぐえ、と色気のない声が出て、魈さんとさらに密着して後ろから抱きしめられる。膝の間にしっかりと収納されて、私のスマホなんて見る気がないらしい……ベッドに投げ出されていた魈さんのスマホを片手で手繰り寄せて画面を触り始めた。も、もう少し興味もってくれてもいいと思う……! こんなに羞恥と戦いながら魈さんのために準備してるのに……!
「魈さん〜〜、もう少し興味持ってくださいよう」
「お前ならなんでもいいと再三言っている」
「でもでも! それじゃあ満足できませんっ」
 はぁ。長いため息が後ろから聞こえて、しつこいかな……と少し落ち込んでしまう。
 いやいやでも! ここで引いたら意味がない。私は私を甘やかしてくれる魈さんも好きだけど、それより魈さんに好かれる女になりたいから! 魈さんのこと骨抜きにするまでこれを止めるつもりはない。人生が何回かかっても絶対に諦めないつもりでいる。
 もう少し魈さんの反応が出てきそうな極端なやつをみせてみようか。画面を何度かスワイプしてかなり露出が多くまさしくいやらしい感じのデザインを見つけて、明らかに面倒くさそうな魈さんにもう一度画面を見てもらう。こういうのはどうですか? とスマホを頭上に持ち上げて、魈さんの胸板に倒れ込んで体重を預けて様子を伺う。魈さんは画面に視線を送ると、さっきよりも深いため息を吐いてこちらを見下ろしてきた。
「お前……」
「こういういかがわしいのが好きですか?」
「……いや、」
 魈さんが息を吐きながら何かを言おうとした瞬間、手の中のスマホが振動して遅れて場違いに大きな音が鳴り響く。驚いて手の中で震えるスマホを魈さんに向けたまま硬直していると、「電話のようだが」と少しだけ半目になった魈さんに見下ろされた。いきなりうるさくしてごめんなさい。
 画面を確認しながら魈さんに預けていた身体を起こす。でかでかと表示されたそこには午前中の講義で話していた友人の名前が表示されていた。何かあったのだろうか、時間的にバイト終わりとかだと思うし、まだ終電はあるはずだけど……。
「ここで出てもいいですか? 友達からです」
「好きにしろ」
 電話なんて珍しい、と思いながら鳴り響く着信音を背景に魈さんに許可をもらう。画面をタップしてスマホを耳元に当てれば、聴き慣れた友人の声がした。
「どうかした?」
「おー。おつかれ〜」
「お疲れ様、バイト終わり?」
「うん、さっき終わって今呑みながら帰ってるとこ。明日の待ち合わせ時間決めてなかったなって思ってさ」
「あぁ、そうだね……えーっと、私はいつでもいいけ、ど」
 そこそこ酔っている感じがする。たぶん明日の時間で深酒するかどうか決めるつもりだろう。
 帰りながら呑むのは危ないと注意したことがあるが、コンビニに酒があるのが悪いと言って全く聞く耳を持ってもらえなかった。
 魈さんの部屋に掛けられた時計を見ながら話していると、お腹にぎゅうっと魈さんの腕が回ってきてびくりと身体が反応してしまう。ベッドの端に魈さんがスマホを投げて柔らかいマットレスが少しだけ揺れた。私も魈さんも頻繁に電話する方じゃないから、目の前でこうして電話するのは初めてだけど……。な、なんか首筋に息かかってる気がするしさっきより近い気がする。気のせいであってほしい。
「明日ってなんか授業あったけ?」
「午前中にまた入ってるから、それ以降にする? っ、講義遅れないでね」
「わかったー。がんばる」
「う、うん、それじゃ、」
「あ! まって、あのさー」
 なんか……なんか魈さんの動きが怪しい……! 普通に抱きしめられてるだけだけど、こっちは向こうと話してるんだから不用意に触るのはやめてほしい。急いで切ろうとした電話を伸ばされ、新しい話題を振られているが全く頭に入ってこない。電話ってこんな触られただけで集中できなくなるんだ……!?
「こないだウェンティと飲んだ時に他の子が下着の話してたの思い出して、」
「え? ウェンティと飲むんだ……!? 知り合いだったっっけ?」
「サークル一緒だよ、言ってなかったっけ?」
「あ、そ、うだったけ? 聞いたかも、ごめん」
 ぴくり。ウェンティの名前を出した瞬間、魈さんの動きが止まる。やばい、なんか変なスイッチ押しちゃったかも……! お腹に巻き付いた魈さんの腕を握って動かないでほしいことを伝えようとしたが、私の片手の阻止なんてもろともせずに魈さんの手が服の裾から侵入して下腹部をゆっくりと撫でられる。こ……これはよくない……!
 確実によくない方向へ行っている気がする。お、お願いだから止まってほしい! 後ろを振り返ってぶんぶん首を横に振るが、魈さんはしっかり私と目を合わせたままするりと服の中に入れた手を伸ばす。触れるか触れないかの際どい触られ方でお腹から胸まで撫で上げられると自然と声が出そうになって口を塞いだ。バッ! と口に手を当てた私にぱちりと瞬きをした魈さんは、やめてくれるのかと思いきやスマホを当てていない方の耳に口をよせてかぷりと耳たぶを唇に挟まれてびくりと肩が跳ねた。
 これは魈さんを止めるのは無理──それなら一秒でも早く電話を切らないと……!
 この状況はまずい。電話しながらでも呑んでいるのかたまに「あ゛ぁ〜〜、んまっ」と聞こえてくる。その間にも耳に吐息を吹き込まれ背筋がぞわぞわと震えて鳥肌が立ってくる。
 酔いが回ってきたのか、口調が覚束なくなってきた友人を適当に流して「それじゃあ!」と半ば強引に電話を切る。明日は講義あるし、一応約束の時間を後で送っておけば大丈夫だろう。
 明日の友人の記憶が曖昧であることと、私の声を我慢している息遣いが電話口に乗っていないことを祈る……。スマホを耳から離して、電話が切れていることを確認して勢いよく魈さんの方を向きなおった。

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