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Top| 1/8 栞 全て、否定されてしまった。 御座所の裏道からぱたぱたと長屋の方へ歩き帰ったなまえは、食堂でとった夕餉も砂を噛むようで。ただ、頭に浮かぶのは御柱様の変わり果てた姿と、変わらない意志を持った言葉。 御柱様は護って欲しいと請うた。ならば、それは刀剣達、ひいては境内が危ぶまれるということなのだ。呪に浮かされた妄言でなければ、恐ろしいことが水面下で起きているらしい。 飯も主菜の煮魚を半分も食べられずに、麦飯とお浸しを少し突いて膳を片付けた。 長屋の一室で布団に潜り込んだなまえは驚く事にすとんと眠りに落ちていった。 境内の暗闇の中で、提灯が一つ。面隠しをした大人が二人暗闇を走っていた。大人は何やら切迫した様子でひたすらに走り続ける。そして、大きな屋敷前で止まった。屋敷の中に足を踏み入れる。随分と古い、木造の日本家屋は二人が歩くたびにギシギシと音を立てた。迷路のような暗澹とした廊下を進む。やがて廊下の突き当たりに"札の貼られた"障子戸が現れた。障子戸を開くと部屋の中央に黒い行李と似た棺桶が置かれていた。 がたり。 音がする。がたがた、がたり。棺桶の蓋が揺れた。 がたがたごと。がたがた。ガタがたがた。今にも棺桶から何か溢れ出てきそうである。 しかし男二人は気づいた様子もなく。戸が閉められる。明かりもない部屋の中で異質な棺桶の蓋が一際大きな音を立ててごとりと開いた。 「っ!!」 全身にベタつく汗をかいて、なまえは飛び起きた。心臓が早鐘を打っている。夢を見ていたらしい。起きてもなまえは胸をなでおろすことが出来ずにいた。夢に出てきた屋敷は、御座所なのだ。そして、あの一室は御柱様の私室だ。 理解した途端なまえは顔を顰める。 枕元の下に置いていた、香袋と藤色の懐紙を取って、箪笥の横にある布鞄に入れた。 部屋の隅に畳んであった着物を毛布をぐるぐると纏めた上に被せ、腰帯に挟んでいた形代(かたしろ)を一枚とる。 「五尺姿」 ひゅわりと形代はなまえの指先を離れ、毛布に被せてある着物の襟首にくっついた。それを確認すると、捲れていた布団をかけ直す。布鞄を斜にかけ、羽織を着るなまえの横で、まるで誰かが眠っているかのように布団は静かに上下していた。髪をさっと束ねるとなまえは腰掛窓を開けて簾の隙間から暗い闇の中をじっと見る。 よし、誰もいない。今のうちにさっさと出てしまおう。簾と窓の隙間に身体を滑り込ませると階下の庇に足を乗せ、音を立てぬように歩くと長屋の端についている樋に足をかけ、隣に生える樫の枝に飛び移り慣れた動作でするすると木を降りた。花をつける前の蕾が頬を掠める。秋になってどんぐりが実ると余さず拾ってアク抜きをしてから出されるどんぐり飯が、なまえは苦手だった。まだ煎ったのを出された方が良い。 地面に降りてから腰に挟んでいた草履を取り、足に引っ掛けてそのまま裏山へ走っていく。 月の光などほとんど届かぬような山道を駆ける。なまえは心の中で嫌な胸騒ぎが当たらなければ良いと切に願っていた。 こんな夜中に抜け出したことが知れたら罰則ものである。明け方まで五時間程度だろう。いくら形代を置いてきたといっても、日が昇るまでにはばれずに戻らなければならない。そこまで完璧な身代わり人形を作る技術は今のなまえにはないのだ。 もやもやとした思いを振り切るように走り、やっと御座所の裏の生垣が見えてきて、なまえは迷わず飛び込む。 まさか正面玄関からのこのこ入っていくわけにもいかないからと、勝手知ったる様子で裏玄関の方へ歩き始めた時。 「こら」 後ろからひょいと腕が伸びて腰帯を捕まえられた。次の一歩を踏み出そうとしていた足が空を蹴る。途端に体制が崩れて「おっとっと」と口から零しつつ後ろに倒れようとしたなまえの肩を大きな手が支えた。ぐいと首を仰向けたそこにいたのは石切丸だ。 「こんな夜半に忍び入るなんて、感心しないね」 「そこは弁解しないよ。理由があって来たから」 じっとこちらを見る石切丸の目を見返して言うと、石切丸はふむといった顔つきをし頷いた。 「裏口までおいで」 石切丸の後をついて裏口に行くと、戸を入ったところの廊下に今剣とにっかり青江が座っていた。予期せぬ来訪者であるなまえの姿に二人は多少驚いた顔をして、石切丸を見る。 「そこで捕まえてね。何か理由があるようだから連れてきたのだけれど」 「こんばんは……」 帯を掴まれたままだったなまえは後ろ頭を掻きつつ答えた。 青江は意味有り気にいつもの妖しい笑みを浮かべると、肘をつき顔に手を当てる。 「なにしに来たんだい? こんな夜更けに」 「そうですよー。まさか、きしゅうですか?」 青江とはたまに話したことがあるくらいで、今剣とは実はほとんど交流は無い。三条のものとよくともにいるから、基本的にあまり話しかけたことがない。茶飲み菓子を分けたことはあったかもしれない。 「まさか。こんな練度の高い刀ばかりのところに、身一つで奇襲なんて馬鹿はいないよ」 石切丸が玄関扉を閉めて、上がるよう促した。「お邪魔します」と断り廊下に上がる。 三人は廊下にいるままらしく、其々座布団に座した。なまえはわざわざ座布団を持ってくることもなしと、そこに正座して背を正す。 「単刀直入に尋ねるけど、御柱様、どうしてます」 薄暗い夜間照明が、三振りの顔を照らす。どれも顔色を欠いて、ただ沈黙している。なまえにとっては、沈黙が十分な答えだった。 「会わせて、もらえますか」 御柱様を蝕む呪の手がかりが知りたかった。浅学な自分にできることは限られていたけれど、御柱様の言葉の真実を掴まねばならないと思ったのだ。 「それは、どうかな。どうしても会いたい?」 「どうしても、絶対に」 食い気味にきっぱりと答えるなまえを見下ろしつつ石切丸はふむと頷く。 「少し、相談してくるからここで待っておいで。まぁ、しないだろうけれど逃げようとしたりしてはいけないよ」 どうにも石切丸には信用されていないことが丸わかりである。といっても何だかんだ話を取り付けようとしてくれているあたり、優しい。それは良い返事でなまえが返すと石切丸は微苦笑して廊下の向こうへ去っていった。 「でも、ほんとにこんなよなかにどうしたんですか?」 今剣が不思議そうに聞いた。話すべきか話すまいか、内心なまえは迷っている。御柱様の言葉の大方の意味を理解するまでは、ここ御座所においても注意が必要なのではないかと思ってしまうのだ。 「虫の知らせ。なんかね、なんとなくなんだけど。多分今日来なきゃと思って」 「人は不思議だねぇ」 「ぼくらはむしのしらせなんて、わかりませんけど。そういうものですか」 「ま、何事もなければそれでいいんだけど。ところで、皆なんで起きてたの」 今度沈黙したのは刀剣達の方だった。皆居心地の悪そうな顔をしている。なまえは肩に掛けていた布袋から、香袋と懐紙を取り出して見せた。 「あ。あるじさまの」 なまえが言葉を続けようとする前に、二人はそれが何である気付いたようだった。 「何故君がそれを?」 青江が言う。 「随分前、御柱様に頂いた。それで……」 躊躇いを見せて、けれど一息になまえは言う。 「夢見をした」 青江が目を細めた。後は、もう想像したくもない。なまえは、唇を噛む。夢見は見たいものの様子を見る簡単な呪法で、少しコツを掴めば使いやすく、対価も少ないものが多い。 「何を、見たんだい」 言霊を操るかの如く、青江はゆっくりと尋ねた。 脳裏を過るのはあの、黒い。 「戻ったよ」 声がして、廊下の奥から石切丸と燭台切が現れた。没入しようとしていた意識が石切丸の声で引き戻される。その時の自身は酷い顔色をしていたのだろうと思う。 「大丈夫かい、お稚児さん」 石切丸に言われて、無理矢理頭を振った。 「大丈夫。それで御柱様とは」 なまえの言葉に燭台切が眉を下げる。 「お稚児くん。ひとまずこんな夜中に帰せないから上がっていって」 どうして、ひたすらに御柱様のことを濁すのか。けれどここまで来て断る意味など無く、御柱様に会うために来たのだからとなまえは頷く。石切丸は再びここに残るようで、燭台切の後ろについて廊下を歩いた。 幼い頃御座所の存在を覚えてから何度と無く歩いた廊下がまるで知らぬ場所であるように余所余所しい。燭台切に案内されたのは居間の続きで、昨日見たばかりの鶴丸の姿があった。 燭台切は「頼むよ」と一言残してなまえの背を室内へ押すと出て行ってしまった。 残された鶴丸となまえはお互いじっと顔を見ていたような気がしたが、すぐに鶴丸がへにゃりと困り顔で笑って見せた。 「こんな夜更けにお稚児がやってくるたぁ、驚きだな」 座布団をほいと出すと立ったままだったなまえの手を引き座らせた。 「で、どうした」 いつもの鶴丸だった。 「御柱様、生きてる?」 声は震えていたかもしれない。 今度こそ鶴丸はその瞳を白い睫毛で翳らせて、常からにやりとしているはずの口許を笑わせなかった。 「……君は巫女か何かだったか?」 「違う」 「じゃぁなんだ、どこで知った?」 嗚呼、当ててしまったらしい。 「知ってたわけじゃなくて。夢で見た」 なまえが右手に握ったままだった懐紙と香袋を見て、鶴丸は察したようだった。うつむき加減になったなまえの頭を手でぽんぽんと撫で付けると、はぁと息を吐く。 「お稚児、気を落とすな。だが主は今しがた亡くなったんだ。光忠が君を俺の所に寄越したのは、気が立ってる連中もいるからだろう」 気が立っている連中というのは、恐らく長谷部や、温厚な態度を示してくれてはいたけれど石切丸なんかもそうなんだろう。唯一、鶴丸だけはどうしてか何も変わらないように思えた。 「朝になる前には合わせてやる。暫く待てるか?」 なまえはすぐさま頷いた。 「よし。朝になったら政府の奴らが来て大わらわになるだろうからその前に帰せればいいとは思うんだが、多分無理だ」 「なんで? 隠れて帰るよ」 首を傾ぐなまえに鶴丸は頬を掻く。 「ここ(御座所)の主が亡くなった通知が送られると、次の主をたてるまでの間結界やら何やら張り替えなきゃいけないらしくてな、暫く政府がうろうろするんだ」 全く知らなかったなまえは惚けた顔をした。御柱様はなまえが境内に住むようになる前からも御柱様だったし、御柱様が代わることなど想像した事も無かったのだ。だから、これから起こることがどんなことなのかも大して検討がついていなかった。けれど、目の前にいる刀は、永く多くの審神者を主として仰いできた身で、彼らにとってこれがいつか起こることで、何度と無く経験してきたことなのだろうということは想像に容易い。 まずもって、刀であった時から主は移り変わるものだったのだから、審神者の生死に振り回されるよりかは、御座所に集う刀達のように、主が代替わりしていく方が彼らにとっては自然なことなのかもしれない。 そう考えると、彼らがえらく落ち着いていて、けれど少し居心地悪そうにする理由もわかる気がした。 「今回の主は、恐らく長引く」 「呪のせい?」 「そうだ。主からお稚児にはどうしても会いたいと言われていた。会わせられて、よかったか」 複雑であるのはなまえも同じだ。どうしてもっと早くに気付かせてくれなかったのか。気付いたとてなまえに出来ることなどたかが知れていたとしても、それでも早くに知って御柱様に付いていたかったと思うのが人の心だった。 「そこでだ、主からの頼みがある。お稚児に」 「自分に?」 病床の主から護れと言われたから、具体的に何をするのかはわからずともとにかく御柱様の安否を知りたい一心でここにきたけれど、本当に伝えたいことがあったと。 鶴丸は懐から、布に包まれたものをなまえに手渡した。布を解き、丁寧に開くとそれは懐かしい便箋に御柱様の流麗な字で綴られていた。 "なまえへ "この文が貴方の手元にあるということになる事態について考えながら書いています。 "私は亡くなつているでしょう。オマケに、呪い殺されているはずです。長く生きてきはしましたが、他に良く頼れる者を思い付かず貴方にお願いしようと鶴丸にこれを託しました。 ”次の御柱を貴方にお願い致します。どうか、この御座所を、刀達を、境内を、護つて下さい。 "どうか貴方が呪に犯されることのないよう、祈つています。 手紙を読み終えたなまえは、下唇を噛む。 「鶴丸、この手紙はいつ?」 「八日前」 呪にかかって一日後だ。何故わかっていたのにもっと早く対処しなかったのか。何故早く伝えてくれなかったのか。 八日前だって、なまえは御座所に入り浸っていたのだ。刀剣達は誰一人具体的に御柱様の容態を漏らしてはいず。しかし言われたとてなまえがどうにか出来たわけではない。御柱様の考える最善がこれだったのだと思うと、なまえは遣る瀬無い気持ちでどうしたら良いのかわからぬほどだった。 「で、どうする。ここの柱として、俺たちの主になるか?」 至極当たり前といった面目でじっとなまえを見据える金の瞳がある。 自分が柱になるなど考えたことは勿論ない。けれどここで退いてしまえば御柱様の思いは無駄に帰す。ならば。 「正直、何ができるかわからないけど。なる」 こくりと操られるように首を傾けたなまえに、真面目な顔をしていた鶴丸はにやりと笑う。 「よし、じゃぁさっそくだが俺の主になってもらおうじゃないか。鍛刀部屋に行こう」 鶴丸はすっくと立ち上がると、なまえの腕を引き屋敷の離れにある鍛刀部屋へと歩いた。 「鍛刀とか、したことないんだけど」 「安心しろ、誰も皆初心者だ」 「いやいやいや。えっ、鍛刀するの?」 焦るなまえの様子を見て鶴丸はくつくつと笑う。四手の下がる鍛刀部屋に入った鶴丸が示したのは玄能(げんのう)である。大工や石工が石を割ったり鑿を叩くときに使うものだが、審神者には別の使い方もある。 なまえは鶴丸が自分に何をさせようとしているのか、なんとなく察した。 「よし、これでここを叩け」 そう言って鶴丸が自らの背をなまえに向ける。 玄能とは古代古典にある伝説に、玄翁という和尚が那須野の殺生石を打ち砕いたという所による名であり、つまり集まった力を拡散させるといった道具である。これで刀を叩けば、刀は顕現した肉体を一度失い、刀としての依り代に戻るのだ。故に、この槌は審神者の最終手段でもある。 「本当にいいの?」 「何、今更だ。俺が刀に戻ったらもう一度呼び戻してくれさえすればいいのさ」 簡単に言うが、なまえは未だ刀を自らの手で顕現させた事はない。座学の中だけの知識である。それなのに何故この白い鶴はことも無げに言うのか、果たして理解に及ばない。 しかし、ここまで来てやらぬ訳にいかないのだ。今し方主になると言ったばかりなのだから。 「じゃぁ、いくよ」 ここで、鶴丸が待ってくれといえば勿論やめるつもりだった。けれど、空白を埋める答えは無く。鶴丸は背を向けたまま、じっと待っているようだった。 手にした槌は意外に軽く、けれど重心はしっかりとしている。ごくりと唾を飲み込むと、なまえは一思いに白い背中へ玄能を下ろした。 白い粒子が力を解かれ、霧散したように見えた。そこにあった白い背中は消え、床に白鞘の刀が転がっている。力あるものが叩けば戻るものであると教えられた通り、戻ったようだが、ここからである。呼べなかったらどうしようか、などと今更ながらに心配した。 刀を手に捧げ持ち、ふっと一息吐く。 「鶴丸国永」 手に持っていた刀の重さが、上へと逃げて行く。顔を上げれば、目の前には刀を手に戴く鶴丸国永の姿があった。 「鶴丸国永だ。あんまり優しく叩くもんだから驚いたぜ」 いつもの鶴丸と変わらぬ姿で鶴丸は顕現している。床に置いていた槌を拾う。 「痛そうだし、こんなんで思いきり叩いたら」 「人の身ならそりゃ痛いかもしれんがな。俺たちは強く叩かれるものだと思ってたから驚いた」 「あぁ、刀だもんね」 つい忘れてしまいがちになるが、彼らは刀だ。おまけに付喪神としての意識が確固とする以前、刀が生まれるべき所では、玉鋼であって、燃える炉に入れられるし、槌で鍛えられる。ならば彼らがこれに慣れていて当然であるのも頷ける話だ。 「これで今から俺の主は君だ」 鶴丸が言う。確かに御柱様の刀であったときと、今では雰囲気が違う。過去行われていた会議でも、近侍が同じ刀であったとしても審神者も刀もわかるとはこういう理由らしい。 「うん。えーっと、よろしく?」 いまいち実感が湧いていないなまえだった。過ぎたるは及ばざるが如しであるが、御座所の刀剣男子の主になることが許されることとは実の所思えない。けれど目の前の退屈嫌いの刀剣は楽しそうである。 「さて、夜明け前に君は隠れりゃならん」 そう言いながら鶴丸は懐から出した紙を渡す。見れば御柱様手製の札である。御柱様はこういったものは好きではなかったが才能はあったらしい。器用な方だったのだ。 「なに? これ」 「それを心の臓に当たるように入れておけとの言伝だ」 ざっと見るに身隠しのような符なのであろう。言われた通りにしてみる。 「鶴丸」 「なんだ?」 「鶴丸の主になっても、ここ(御座所)は定められた者以外継げないはずでしょ? どうするの」 「なぁに、考えはあるんだ。安心して本の虫にでもなってりゃいいさ」 「こんなときに、流石に読まないって」 本当にいつもの鶴丸のようである。軽口を言うし、余裕綽々といった表情も変わらない。自分の前だからそう振舞っているのか将又(はたまた)御柱様という主亡くなっても、時の摂理と彼の中では割り切っているのだろうか。 説話や文献に残る話の限りでも、鶴丸国永の主は移り変わりが目立つし、刀の為にと墓を暴かれたりもされていた。そうした刀としての生から、人の身を得て顕現した数百年前からも、ずっとこの御座所の刀をやっているわけだ。だから、彼らは他の刀と違って、主に対する仕方がより刀本来のものらしくなっているようだった。 「さて、朝になる前に前の主に挨拶に行こうか」 ぽつり、と鶴丸が言う。はっとなまえは顔を引き締めた。本来なら忍び込んででも御柱様を一目見て、朝になる前に帰ろうとしていたのに、とんだ始末だ。刀達は起きているし、主になれと言われるし。目まぐるしく変わっていく事柄をなまえはまだきちんと把握できていなかった。けれど、どれも御柱様の言った呪に纏わる事なのだろうと、そのために自分はここに来ていて、刀達はそれぞれ動いている。 鶴丸と夜の帳が下りた廊下を歩き、見慣れた障子戸の前に立つ。ちらりと鶴丸を見ると、彼は頷いてみせた。 戸にそっと手をかけ、障子を開ける。 室内は弱弱とした蝋燭の灯りで照らされていて、黒い棺があった。その横に赤紫の髪が目立つ、蜻蛉切が座している。 蜻蛉切はこちらを向くと少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに眉を下げた。 「会いにこられたか。御柱様の顔を、見ていってくれるか」 この言葉に、手紙ではしきれなかった確信がやっと落ちた。 「うん……」 近く、音も立たぬように歩いて、御柱様の寝息が聞こえないだろうかと期待したけれど。しじまが耳に痛い。 黒い棺の蓋は開けられていて、中には生前より小さく見える御柱様が納まっていた。刈られた髪のせいで、頭はつるりとしているし、けれど残っている眉目は生前の優しさと強さを彷彿とさせるものがある。 着物は綺麗に着せられていて、恐らく刀剣達の誰かがしたのだろう。死化粧まではされていなかったが、けれど疲れから解放されたような姿だった。 「お名前、教えていただけませんでしたね。私が審神者になる時に教えると言っていただいてたのに。母が亡くなったようで、とても悲しい」 初期刀と共に、御柱様の元に報告しに来ようと思っていた。だから、少しの間秘密にしてきた。あと少しだったのに。けれど、御柱様が柱としての役目をなまえに託したのは、審神者としての試験に合格した時からわかっていたのかもしれない。こういった、可視化しない力というのは、初めからずっと力量について判る者もいれば年を経てから判るようになる者もいて、反対に全くわからないまま年をとってしまうこともあるのだという。だからこそ、審神者は天性の才が重要とされている。 「お手紙、読みましたから。後はごゆっくりどうぞ」 御柱様に触れることもままならない。用心深く生きよと叱責された言葉が耳に新しい。 廊下を激しく歩く音がして、振り返るとそこには長谷部がいた。鬼のようであった彼は相変わらず不機嫌を顔に表したままである。見つかった、と思った時には遅い。 「貴様、何故ここにいる!」 「落ち着け、長谷部」 食ってかかりそうな剣幕の長谷部を鶴丸が肩を抑える。 「だいたい、主が信用なさっているからといって御座所(ここ)をちょこちょこと歩き回って。ここがどこであるか、貴様が一番わかっているはずだろう!」 長谷部は、怒っている。恐らくなまえに対して怒っているが、その怒りの根本はもっと別のところにあるのだろうとなまえは思えた。 「ねえ、長谷部。話をさせて」 「このような状態になって今更話だと?」 「うん。話がしたい」 「また怪しからぬ呪でもかけようなら、切って捨てるぞ」 「……うん。それでも、聞いてください」 彼はどうやら盛大な勘違いをしているように思える。落ち着いたのか、どっかりと彼らしからぬ胡座をかいて座る長谷部を前に、なまえは話し始めた。 「私がここに来ていたのは、ただ、書を読むためだけで、何かしようと思ってというわけじゃない。御柱様には目をかけていただいていたとは思うから、報いろうと、何かあれば話し相手だったり、菓子作りだったりとかはしたよ。けれど、決してその中で呪をかけるような真似はしていない。昨日知ったばかりなんだ……。私は特別何かできるってわけではないから邪魔にならない程度に力になりたかった。呪というのは、根が深いし時には複雑に絡み合っていることがあるからね。それで、昨晩夢見をした。御柱様に何かあれば少しのことならわかるだろうと。……棺桶に入れられた御柱様が見えた。面隠しをした二人の男がここへ来るらしいというのも見た。本当にそれだけ、だから半ば諦め半分で御座所(ここ)に来たんだ」 長谷部の眉の皺は半分以上減っていた。 「助けられるなら、助けたかった。でも、多分私じゃだめだったんだろうと思うよ」 言えば、喉の奥がきゅうと閉まり、鼻がツンとする。泣いたらダメだ。こんなとこで泣いたって、何も……。きっと、目に力を入れて長谷部を見据える。長谷部も、その眼光で受け止めた。 「つーこった。それに、御柱様はこの子に任せようとしてるみたいだぜ、俺たちの主を」 鶴丸の言葉に長谷部と蜻蛉切は驚いた顔をする。 「おい、ちょっと待て。もしかして……鶴丸国永」 今度はまじまじと鶴丸を見てさらに眉に皺を寄せた。 「いつ、だ。いつ主を変えた」 流石付喪神である。霊的事象には明るい。笑えないのはこっちなのだが当の本人鶴丸国永は相好を崩さず答えた。 「さっきだ。早いほうがいいと思ってな」 「さっきって……それがどういうことだか知ってやったんだろうな」 「勿論だぜ。君みたいな堅物はすぐに代替わりなんて出来んだろ。しかし朝になって主をあたらしく立てられるのも困るんだ。これは君も聞いてるな?」 「主は次の御柱に推されている人物には難色を示していたな」 「そう。だから、前の主は俺とお稚児に約束させたのさ」 「約束?」 「お稚児には、自分が亡くなった後は御座所(ここ)を守れと。俺にはお稚児の刀となれと」 「聞いていないぞ」 「何、当たり前だ。暴露されんように二人間の話だ。お稚児ですら、俺の主になることはさっきまで知らんかったからな」 「しかし、皆に話さねばならぬのでは?」 黙って事の成り行きを見ていた蜻蛉切が口を開く。 「そうだろうなぁ。だが、まず、俺がお稚児の刀になることは、政府への布石だ。これで新しい柱は立たんだろう」 「政府に、走狗がいるとは、真の話であったのか……」 蜻蛉切は重たく呟いた。走狗の話は真実で、それは政府側に入る可能性が高いらしい。 「御柱様に護れって言われたから、護るよ。とりあえず柱となれるまではひと騒動ありそうだけど……なるべく迷惑はかけないようやるから生暖かい目で見てて」 長谷部ははぁと溜息とも相槌ともつかぬ返事をした。蜻蛉切の方は、できる限り助力はしますとのことだった。 その時である、再び廊下を走る音がして、乱暴に戸が開かれた。 「鶴さん、ここにいたの! 今すぐお稚児くんを隠して。政府が来たよ」 燭台切の慌てた様子に、すぐなまえは立ち上がり、ちらりと御柱様を一瞥して惜別に蓋をし「さようなら」と小さく口にする。 鶴丸の呼び声に振り返り彼に遅れぬようついていく。迷路のような御座所の廊下や小さな部屋、階段を登り、鶴丸は古めかしい鍵を開けて、なまえをそこへ押し込んだ。 押し込まれた先は二十畳近い和室で、箪笥が一つと行灯に掛け干しがあるだけであとは乱雑に布団が敷かれていた。つまりは布団部屋である。 「待ってここ誰かの寝所じゃ」 「あぁ。だがまぁここも調べられるだろうから。さらにこっちだ」 部屋の奥にある押入れをあける。下段には卓袱台が畳まれて収納されていて、上段には座布団があった。鶴丸は躊躇なく上段に登りこむと、天板を外した。 「ほら、こい」 来いと言われても……といったところである。仕方なく押入れに登りこむと鶴丸はなまえの両脇を抱えて上へと登らせた。 埃っぽいかと思えば意外と綺麗で、掃除されているらしい。ごそごそと中腰になって登る。 暗いが所々うっすらと下からの灯りがきていた。登ってきた押入れのほうを振り返ると鶴丸がよしと言いたげな顔をしている。 「結構広いが頭には気をつけろよ」 「ここで、隠れてればいい?」 「あぁ、あいつらが帰ったら呼びに来る。後で水と食物でも仕入れてくるから、少し辛抱してくれ。じゃぁな」 鶴丸はそういうと、きっちり天袋を閉めて姿を消してしまった。 瞬間、一度天井裏は暗闇に包まれる。なまえはぎゅっと目を瞑り暫くして開けた。暗闇にぼんやりと陰影が浮かび、更には所により下から薄く照る明かりも見えた。学寮は天井裏などない長屋式だから、こんな場所はなまえの心を浮かばせる。過去、京都にあった羅城門のようではないか。もちろんここに屍などあってはたまるまいが。 かつての京の都を知る者もここには大勢いるのだろう。時によって京は変わるがそれでも都として中心的機能を保っていた。 鶴丸は政府の者がくるといったが、天井裏があることは周知されているのだろうか。ここまではさすがに見ないとは思うのだが念には念を入れ、さらに隠れられるところを探しておくか、となまえは立ち上がる。 天井の梁の部分を探してなるべくそこを伝うように歩く。板の上を歩くよりは足音もしないだろうと思ったのだ。思惑通り天井は軋み音をたてることなくいてくれた。そこで、勘を頼りに御柱様の室内の上に行こうと決めた。 天井裏は室内のような仕切りがなくて、支柱があるぐらいだから奥など真っ暗闇で見えない。果てしなく広い。 ひとまず、先ほどの押入れの辺りから布団部屋の分を差し引いて廊下の上という体で歩き始めた。意外にも、二階というわけではなく、板一枚の厚さであるから下の物音もよく聞こえる。更にはかなり離れた所からの話し声もぼそぼそと響いてきた。 御柱様の眠る室内の恐らく押入れに当たるところにやってくると、人の話す声が大きく聞こえるようになった。どうやら、加州清光と、長谷部、蜻蛉切、鶯丸が政府の役人と話しているらしかった。 「それでは亡骸はこちらで御引き取りさせて頂きます」 「あぁ」 「続いて、新しい柱についてですが。こちらからの推薦の者がいますので、一応顔合わせをお願いしたいのです」 「それについてだが、こちらも考えさせてくれ。そう長くは待たせない」 「承知致しました」 役人が彼らと話しているところをはじめてに近い形で見たが、高圧的でありそうな役人が彼らを前にすると、ただの機械人形のように見えた。面でも拝みたいものだ。梁を移動して、静かに天井の方へ移動する。板の隙間の切れ目から、光が出ている。恐らくここからなら覗けるかもしれない。 体を丸めて、下の方へと縮こまると板の隙間にそっと顔を近づけた。 下に見えるのはさっき夢で見た二人組と良く似た背格好の面隠しをした人である。対する反対に長谷部と加州、蜻蛉切と鶯丸がいる。 「御柱様を御運びした後に、新たな御柱様を正午、お連れ致します」 御柱様の棺桶は既に蓋を閉じられている。「それでは」と役人が棺桶に手をかけたときだった。 がたり。 音がする。がたがた、がたり。棺桶の蓋が揺れた。 がたがたごと。がたがた。ガタがたがた。 皆が動きを止めて棺桶を見る。役人二人も面隠しの裏からそちらを見ていた。 ついに、ごとりと音がして、蓋棺がずれる。 と、畳にぽとりと何かが落ちた。栗のイガの様なものだ。神妙な顔つきをした長谷部に、役人がもう一度蓋を閉めようとした時である。一人がうっと口許を押さえ蓋を取り落とした。 完全に光のもとに晒されたのは、黒い粒が皮膚中に蔓延った御柱様の姿だった。 ← ■ → 頁: |