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1/8 栞


 御座所の居間はいつもと同じようでいて、少し寂しい。
 役人が棺を運び出してしまうと後はもうこの屋敷には刀剣達が残るばかりである。天井裏に潜んでいたなまえはやっと鶴丸に呼ばれて下へ降りてきて光忠のいれた茶を飲んでいた。朝食がもうすぐできるから、食べて行きなよと言われありがたく待つことにしたのだ。
 居間の机には、鶯丸と長谷部清光に蜻蛉切という先ほどの面子と、鶴丸になまえ、石切丸と今剣がいた。
 深夜に忍び込んでから会った面々に少し気がひけるが、ここに集まっているということはつまり、自分と鶴丸が契りを結んだことの説明もしなければならないのだろう。全くもって話しにくい。
「お稚児、鶴と結んだのか?」
 話さねばと腹を決めたなまえに声をかけたのは鶯丸だった。茶を美味そうに啜ってこちらを見る。彼の言葉に他の面々も鶴丸となまえを見た。
「……うん。さっき」
「これでは一斉に主を移す儀ができん。新たな主を立てられんということだ」
 長谷部が眉間に皺を寄せて続けた。今度は鶴丸があっけらかんと答える。
「前の主がそれを望んでたんだ。俺はなまえを主とするさ。気に入らんというやつがいれば、そのまま少し待っていたらいい。前の主の力は当分保つだろ」
 そう、つまり問題は彼等が主を変えぬままでいると顕現できる期間に限りがでるということだった。御座所の刀達は、初めに顕現した時からずっと主を変え、引き継がれてきたのだ。そして、その主の力により引き継がれた刀達は連続的な記憶を保持している。刀達の中である意味では一番神らしい存在といえよう。何百年と、顕現した記憶を保持して今に至っている。
 これには力の移し替えが非常に重要だった。例えば普通の本丸の様に主が亡くなり、刀達も顕現する力が薄れ刀に戻ってしまい果てには依り代である刀から抜けてしまうことがある。こうなると刀解し、鍛刀の材料に戻してしまわねばならないというわけで。依り代から刀の力が抜けてしまっては、どうにも呼び戻すのは難しいのである。特にこれは、審神者というその依り代に降ろした存在が亡くなることで起こりやすくなる出来事だった。
 しかし、御座所を任される審神者は選りすぐられる。大体が素質や力に溢れているものだ。それで、彼等が降ろす刀達は主が亡くなった後も少しの間顕現していられる。この特性を見つけた政府が御座所という取り決めを始めた訳だ。
 この刀達が人の身を失い、依り代から離れてしまうまでの猶予期間に新たな主との契約を結ばせることで、持続した記憶を保持した刀剣達が残る。
「私は、お稚児殿の刀にならせて頂きたい」
 蜻蛉切が口を開いた。まさか、鶴丸以外に自ら言ってくる者がいるかどうかも知れなかったから、なまえは驚いた。
「蜻蛉切がそれでいいなら、ありがとう。……そもそも、私もさっき任された手紙を見たばかりなんだ。だから、戸惑う者がいても仕方ないことだと思うし、私が鶴丸と契ってるせいで多分昼間にくる新しい柱候補は結べないと思う。御柱の交代って一度に全ての刀と結ぼうとするから、齟齬が起きるんじゃないかなと」
「じゃぁ、おちごさんともむすばなかったら、きえちゃうんですか?」
 今剣の言葉にひやりとする。全員わかっているだろう。自分より長く生きているのだから。
「何かしらと結ばない限り依り代に戻る事になるし、主の力が完全に尽きてしまえば依り代から今剣の力自体が離れて、ただの刀になってしまうんだよ」
 石切丸が皆に諭す様に答える。そして、未だ誰も口にしてはいないが御座所にある刀は御座所の主としか契りが結べないという約束が課されている。
 だからこそ御柱様の死のすぐ後から御座所は人払いを始めるし、新たな柱候補がやってくるまでは刀は外へ出ない。今回なまえが入ってしまったのはイレギュラー中のイレギュラーなのだった。知れたらどうしようもないことだ。同じく鶴丸が抜け駆けでなまえと契りを交わしたのも本来なら不味いことだった。
「ねぇ、でも主が望んだことなんでしょ?」
 加州がなまえに聞く。なまえは頷いて胸元から便箋を出して渡す。名の部分はそのまま渡した。加州は便箋に目を走らせて暫くしてからふと息を吐き顔を上げる。
「俺も、結ばせて」
 えらくすっきりした顔で清光は言う。なまえも頷き返した。
「その手紙、御柱様からのだけれど何か確証が欲しいなら読んで構わないから。正午になる前に結べる物とは結ぶつもりでいる。本当に嫌だとかあれば、政府側になんとかならないか交渉してみるつもりだけれど」
 なまえ自身も腹を決めていた。恐らく素直に次の候補が柱に据えられることはならないだろう。一悶着は必至だ。
 手紙に紙を書き添えて、"明け五つ迄鍛刀所にいます。契りをするならそちらへ。しない子は正午に自分が斡旋先探せるよう交渉してみます。勝手ながらよろしくお願いいたします。"と回覧板形式で回すようお願いした。
 大広間に食事が運ばれ始めて、夜間遠征、出陣の部隊も戻り、あっという間に人だらけになった。末席でいいからと、なまえは端の方に行こうとしたのだが案の定鶴丸に止められ鶯丸と加州と安定、平野と一護に粟田口刀がわちゃわちゃという謎の空間に引き込まれた。いや、本当になんなんだろうか。お隣さんは三条である。新撰組もそれなりに近くにいるし、山伏やら狸やらは素知らぬ顔で飯をかっ込んでいる。
 どこまで回っているんだろうかと先ほどの手紙を思った。
 味噌汁に漬け物と野菜の煮物と和え物の小鉢がついた比較的質素な朝食である。御座所としては正式に喪に服してはいないが一応は通夜明けということもあるだろう。人が亡くなった時には生物を口にすること手にすることは忌み嫌われる。
 それでも、やはり食堂の飯よりは旨い。食席も静まり返っている訳ではなく、粟田口刀の話し声や、遠征部隊の食事を挟みつつの簡単な結果報告や、布巾をとってくれだのという声も聞こえる和やかな雰囲気だった。けれど、耳を澄ましても御柱様や主の交代についての話題は聞こえてこない。意図的に話さないようにしているとさえ思えるほどで、けれど幾人も主を看取ってきた彼らだからこそ話題に上る程でもないのか。人の席だとしても食席で話す話題でもないか、と思い直し朝食を食べ終える。昨夜半分も食べずに夜半から起きていたからか感覚としては然程空いておらずとも、身体は素直なのだ。
 ご馳走様でしたと手を合わせ、ぼちぼち食べ終えたらしい男士の後を追って洗い場へと食器を片付ける。洗い物をしている獅子王に「何かやることはないか」と聞くと「机拭いてきてくれ」と頼まれ台拭き片手に居間へと戻った。
「お稚児さん、あのぅ……僕かわりにやりますから」
 さっさと拭いていたら、影が落ちて、顔を上げると困った顔をした五虎退がいる。
「あ、ごめん、五虎退の仕事だった? もう終わるから大丈夫だよ」
「そ、そうなんですけど。すみません。ありがとうございます」
 彼らは彼らでもうずっと家事分担なんかもうまくやって決めているのだろう、熟練の家事職人か、などと考えながら机拭きを終え布巾を洗いに立つと、廊下で後ろから服を掴まれた。驚いて振り向く。
「すみません……、あの。僕、いち兄に自分で決めなさいって言われて……それで、あの、僕の主に、なってくれますか……?」
 酷く不安そうであった。五虎退は他の刀剣より性格的に内向的であるとは思っていたが、その五虎退がまさか今言ってくるとは思っていなかったなまえは驚きもあって表情を忘れていた。
「あ、だだめだったら、いいんです……けど……」
 尻すぼみになる声に気付きはっと口を開ける。
「だ、大丈夫。私なんかでいいのかな。五虎退がいいなら、こちらこそ」
「本当ですか? わ、よかったぁ」
 安心のせいか、目尻に涙を溜めつつ五虎退は言った。
「五虎退、膝丸が探してたぞって、あ。お稚児」
 いつもの制服姿で廊下の向こうから顔をだした厚とちょこりと横に信濃と乱がいる。
「あとで鍛刀所来てくれよ」
「えっ」
「俺、アンタを大将にするぜ」
「うん。俺も」
「五虎退だけじゃなくて、僕らもだから。よろしくね!」
 なんという身軽さで主を決めていくのか。確かに粟田口短刀とは幼い頃から遊び相手をしてもらっていたから、こちらとしては抵抗感も何も無いが、御座所としては異例である自分を主とするなどそうホイホイ決めて良いことであるようには思えない。
「じゃあ、片付け終わったら行くから、よろしくね」
 五虎退も一緒に連れて待っているからという厚の声を背中になまえは大方食洗をし終えつつある台所に戻った。
「おぉ洗ったらそこ干しといてくれな」
 獅子王の言葉に頷き返し、よく絞った布巾を干した。
「五虎退と、話したか?」
「うん。布巾と、主の件」
「そっか、ならいいんだ」
 何故獅子王がとそちらを見ると、獅子王もなまえの方を向いて口を開いた。
「あいつ、毎回主の交代の時は慣れずにびくびくしててな。粟田口の奴らも気ぃ使ってやってるみたいなんだけど。お稚児なら大丈夫だって、背中押してみたんだ」
 そんな経緯があったらしい。
「だから、言ってくれたのかな」
「ま、それだけでもないと思うぜ。お稚児とは小さい頃から遊んでただろ? だから、お前自身を見てれば為人(ひととなり)も知れてくるってもんさ。俺も、お稚児の刀になるよ。よろしくな。鍛刀所ついてくぜ」
 またしても平然と進む物事に、なまえの内心は驚きを隠せない。しかし、なまえ自身が断る意味も理由もなく、昨日までの外郭勤めがよかったなどとほざいてはいられない状況である。
「うん……、ほんとにいいの?」
「何、今更だ。俺は昔っから見てるお稚児が主ならいいかなーと思ってさ」
「そういうもんかなぁ……?」
「ま、お稚児にはわかんなくとも、俺らん中ではそう思ってる奴多いと思うぜ?」
「へぇ」
「主が代替わりしたら、元の主のことなんて次の主はほとんど知らないからな。さっぱり変わっちまって、俺らも口にしなくなることが多かったけど。やっぱさあ、記憶が残るってこういうことだなって思った。寂しくは、思うんだよな」
 寂しい。
 そうなのだ。なまえは自分の心に強く針を刺されたような思いだった。長らく、否初めてになる。身近な人が亡くなってしまったのは。境内の中では滅多に葬式など営まれないし、不浄となってしまう死は穢れとして外郭に出されて処理されてしまう。外郭と境内を繋ぐ門は大体三月に一度開くが、何かしらの急用の場合はたまにその制限を無視して開かれる。お柱様の遺体は恐らく、市役所に安置されているのだろう。
 一度、境内で死んだ子供を見たことがあった。あの時はあの時で騒ぎになったけれど。熱に浮かされ、肺炎を併発して、医療班の処置も
やむなく子供は亡くなった。あの時、あの下級生が白い面隠しをされて運ばれていったのは市役所の方角だったのだ。
 境内には治療院はあれど、本当に大きく機能的な病院というものはない。だから状態の酷い患者は一度治療院へ行く若しくは、外郭へ移すという二つしかない。治療院へ行かずすぐに外郭へ行くものは大体が死体であると、実しやかな噂に聞いたことがある。そして、外郭への門の一つを近くに持つ市役所に連れて行かれるのだとも。
「ここじゃあまり言っちゃいけないのかなって思って。でも寂しいものは寂しいんだ。御柱様のこと」
 獅子王の偉く人間臭い言葉に人間であるなまえが同意の言葉を返すと獅子王は答えた。
「はは、だからってお稚児が主なら感傷に浸りまくるって訳じゃないからな。思い出を共有できる主ってのもいいなって思ってさ。ほら行こうぜ」
 なまえを振り返ってから獅子王は玄関の方へ歩き出す。なまえはその背を追いかけた。
 戸口を降りて向かった先は件の鍛刀所である。そこには鶴丸の姿もあった。そして、先ほどの粟田口の兄弟達。蜻蛉切。さらに加州と安定、堀川と和泉守、山姥切、山伏の姿があったことには驚いた。
「お稚児、俺も頼もう」
 和泉守が静かに言った。すっきりとした目を見返すと、じっと見返される。
「こちらこそ、ね」
「あー、その……なんだ。堀川に連れてこられたんだがな」
 突然気恥ずかしくなったのか頬を掻く和泉守に、堀川は軽く溜息を吐いた。
「もう、兼さんが言い出したんでしょ。僕も僕で、お稚児と結びに来たよ。よろしくね」
 いつもより柔らかな笑みを堀川が見せた。あぁ、そうだ自分の知っている彼等は、人間のような優しさと気遣いを持つ神だった。
「安定」
 今度は清光が横にいた安定の名を呼び肩を押す。
「えーっと、僕も。どうせならお稚児のとこで刀やってたいなあって思ってさ。清光もいることだし。何か力になれそうだったらいってよ」
「うん。ありがと安定。清光も。本当に」
 自分と鶴丸の軽率な行動は咎められて然るべきであるというのに、少なくとも一時的に主として未熟過ぎる自分を選ぶ彼等になまえは驚きと疑問すら感じる。けれど、どうやら本気らしいのだ。
「拙僧、未だ修行中の身であるが兄弟と共にお稚児殿を主とさせて頂きたく」
 山伏といえば修行僧。浮世事などに気を動かすものでもなかろうと思ったのだが。
「山伏、なぜ私を?」
 選んだ理由を尋ねるのに、自分でいいのかと尋くのは既に選んでいる彼等に卑屈すぎる気がして言えなかった。
「いや何、明確なことである。主は次の主をお稚児殿にと願っておったではないか。それが一番の証拠よ」
 はっきり言い切ると山伏はいつものようにカッカッカと笑い飛ばしす。横にいた白い布を被る山姥切の背をバシィと叩き言う。
「なぁ、兄弟もそうであろう?」
「あぁ。主が一番に信頼してたのはお稚児だろう。それだけだ」
 被りをひきながら、山姥切は答えた。それは等しくここにいるもの皆の意思であるらしい。粟田口の兄弟たちも同意している。
「よぉし。なら早めに結ぶことにしようか」
 今まで見守っていた鶴丸が口を開く。また先ほどやったあれをやるのか、と玄能を手にする。さて、と顔を上げるとまず進み出たのは清光だった。自分より高いところにある顔を見上げると、清光は言葉なしにうんと頷いた。
「それじゃ、始めるよ」
 鶴丸に言われていたが、やはり彼等の背を強く叩くことはできず、触れる程度に叩いては刀身にかえった一人一人の名を呼ぶなまえの声が鍛刀所に小さく響く。その外には一人の姿があった。
 鍛刀所の戸に手をかけようとして留まる。溜息をついて、踵を返し屋敷の方へ戻ろうとする背中に声をかけたものがいた。
「行かないのか?」
 一護一振が振り返る。大木に背を預けた鶯丸がそこにいた。
「鶯丸殿こそ」
「俺はもう決めたさ。君は悩みすぎる嫌いがあるようにお見受けする」
「否定はできませんな」
「いずれにせよ、俺たちは主を選ばねば消える定め。弟達を余り悲しませぬことだ」
「ご忠告痛み入る。存知します」
「……稚児は幼いものだな。長らく刀を務めてきたが斯様に小さいのは初めてかもしれん」
「誠に。あの様に小さき者に、科するには些か難あるものであるように感じます。鶴丸殿は何をお考えか」
「彼奴は存外難しく考える質でも無いだろう。稚児を気に入っているようだしな。そら、もう出てくるようだ」
 鶯丸の言葉に一期は鍛刀所の方を見遣る。戸が開き、主を変えた弟達が出てきた。後ろには加州と何か話しているお稚児の姿もある。五虎退がこちらに気づいて、一瞬目線を落とした。
 乱は一期に気づくとにこりと微笑んで更に屋敷の方にいた者に手を振る。左文字兄弟が、鍛刀所の方へと歩いてきていた。鍛刀所から出てきたなまえ達がこちらに気づく。
「お稚児さん」
 小夜が、お稚児の元へ素直に駆けてゆく。
「僕も兄さま達もあなたの刀になるよ」
 なまえは後から静々と歩いてくる兄達と小夜を見比べて頷いた。朝の厩仕事を終えたらしい、御手杵と同田貫が来たようで、軽い調子で「結びに来たぜ」と言う。
 こうして屋敷にいる刀達が続々となまえと契りを交わしはじめた。
 正午も近くなった頃、多くの刀が仕事の合間を縫ってなまえの元へ向かい、なまえもそれに応じと始終暇なくやっていた。少し休んだらどうだと、鶯丸が茶を持ってきて濡れ縁で一服している。大方の刀達と結び終え一息いれようと、なまえも鶯丸の横へやって来て茶を飲む。
「稚児、今日は学舎はあるのか?」
 鶯丸に尋ねられ、なまえは首をふる。
「休み。だから昼過ぎに帰ろうかと思って。多分ばれない、はず」
「そうか」
 いずれにせよ、こんなにも御座所に入り浸っているのを知っているのは、刀達と今は亡き御柱様だけであった。身代わりも置いてきたし、休日は昼過ぎまで寝ている者も少なくないから運が良ければばれないはずなのだ。しかし、あくまで�W運が良ければ�Wであり内心余り良い未来は見えていないのも事実。
「そろそろ、ここに新しい人もくるでしょう? ごたごたはするんだろうけど、その前に一度帰っておこうかな」
「あぁ、また戻ってくるんだろう?」
 茶を啜り尋ねる鶯丸に、なまえは可笑しな顔をした。
「あはは、このまま姿眩ますなんて、何かに巻き込まれない限り無いかな……」
「その何かを心配してる奴もいるだろうさ」
 自分で言ってから気づいてしまった。
 そうなのだ。この境内には少なくとも御柱様を呪うような輩がいることは間違いない訳で、刀達の主である御柱様が狙われたということは、今内密になまえが刀達と契ったという事実に輩が気づけば今度狙われるのはなまえかもしれないのだ。
 やっと気づいた様子のなまえにやれやれといった顔で鶯丸は見つめてくる。
「ま、まだ大丈夫でしょ」
 近くに置いてあった布袋を漁って、なまえは細長く切った和紙を取り出すと、縒りはじめた。くるくると、指先で丸めたものを袂に一つずつ入れ更に懐にも一つ。
「何してんだ?」
 饅頭を持ってきた後藤がなまえにきく。
「見護り、みたいな奴。念には念を入れって、学んだところだから。さて、と。一度寮に戻ろうと思うので、えっと鶴丸どこか知ってる?」
「伝えといてやろうか?」
「いいの? 夕餉が終わって一刻したらまた来ますって、よろしくね」
「わかった。お稚児さんも道中気をつけろよー」
「ありがと」
 全く物騒な境内になったもんだ、とかなんとかぼやきつつ、なまえは鶯丸と後藤に手を振り、屋敷の裏手へと回った。
 道にも見えぬ生垣の近くへ行こうとしたなまえを呼び止めたのは小狐丸である。
「お稚児。帰るのか?」
「うん。一度帰らないと。それに役人も昼には来るのでしょう」
「そうだが、それは鶴丸に?」
 御柱様の閨所で話されていたそれを、何故御柱の交代を見たことも無い自分が知っているのかという問いかけだったのだろう。
「あーまぁそんなとこ」
「役人にばれるのも時間の問題というところでしょう。策はあるのですか」
 赤い瞳で見据える小狐丸は鍛刀所には来ていない。つまり、結んでいない。短刀は大方結んだけれど太刀や打刀、大太刀の中には結んでいない者が多い。
「正直言えば、私は御柱の儀を邪魔した者がどうなるのか知らない。けど、御柱様に頼まれたのは確かで、私は御柱様との約束を守りたい。だからこうしてここにいる。何一つ考えが無いという訳じゃ無いよ」
「今の答えでは、策は無いと言っているのと同じようなもの」
 小狐丸は不満そうに言った。なまえはつと小狐丸の目を見てにこりと笑う。
「ねぇ小狐丸。私は今とても気を払っていて、自分の刀でないものに具体的な策を話す訳にはいかないんだ。私とて話したくない訳じゃない。仲間は多いにこしたことはないし」
 一つ間を置き続ける。
「敵はとても近くにある。だから、用心しなきゃね」
 なまえはにこりと微笑むと「それじゃ」と裏道へ潜り込んで行ってしまった。残された小狐丸は、相変わらず相好を崩さず、口を開く。
「見えておるぞ、次郎太刀」
 くるりと後ろを振り返り、二階の縁側を見上げる。ひょこりと顔を出したのは名を呼ばれた次郎と薬研だった。
「はっはっはーばれちゃったかぁ」
「しかし、お稚児も恐ろしいもんだなぁ、小狐の旦那相手に上手に出るとは」
「主らは結んだのか?」
「いんや、俺っちはまだだ」
「アタシも兄貴もまだだよ。ま、帰ってきたら結ぼうかねぇ。威勢の良い子は好きだよ」
 御座所の裏にある山を眺めつつ次郎太刀は言った。
 一方、裏山を駆けて寮の近くに戻ってきたなまえは、裏庭で遊ぶ初等部の子供達を通り過ぎて、寮の裏扉からいつも通り紛れこむ。昼前の寮は喧々としている。外で遊びまわる子供の声や、寮の室内で卓上遊戯に興じているものもいるし、一階では洗濯をしているものもいるからだ。
 大体休日はいつもこんなもので、考査前になると高学年からは解放されている図書館に行くようになる。寮は煩くてたまったものではないのである。煩いと集中できる質ではないなまえとしても、御座所の静かな中で読み耽るというのは至福であった。
 誰に咎められることもなく、無事自室へたどり着くと、背中に持っていた布袋を部屋に放り投げた。
「おはよう、やっと起きたの?」
 隣の部屋から声がかかった。
「おはよー小豆。もう一眠りしたい」
「寝すぎでしょ。うちらは考査ないからいいけど、また学年上がったら大変だよね」
「ほんとに。嫌になるよねぇ」
「てか、なまえは初期刀申請何にしたの?」
「ん? あれ、いつまでだっけ」
「今日の夕方」
「……あーまじか」
「まだ決めてないの?」
「あはは、うん紙どっかやったかも。探してくる」
 御柱様の事で気が取られていてとは、言い訳でしかないがすっかり忘れていた。小豆に呆れられつつ見つからなかったらどっかから複写をくすねて来てやるから言いなさいよとの言葉を背になまえは部屋に戻った。
 夜中出て行った通り、簾は下されたままで窓も閉じられていて昼であるが薄暗い。おまけに布団は微弱な上下を繰り返している。ひとまず、ばれなかったということでいいのだろう。
布団の元へ行き、形代になまえが触れ、襟首から剥がすと途端に布団はただ散らかっているだけのような様相に変わった。
 その形代を懐の物入れにしまいつつ、なまえは布団を畳み、着物を元に戻して部屋を片付けた。
 文机の収納から、出した紙をちらりとみやる。

  "初期刀申請書
  "加州清光、歌仙兼定、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行、山姥切国広の中から一名を選択し下記に記入すること。
  "申請初期刀__加州清光___
  "申請者名___なまえ_____

 よくよくその紙を見る気になれなかったし、今更出しに行く気もなかった。なまえは紙を破りマッチを擦って火をつけた。部屋の中にある流しで燃やし終えると、灰を窓際に置いてある葉を伸ばす植木に入れて土と混ぜた。
 全く熱に浮かされたように動いていた気がする。後先考えなしにとはこのことである。でも、それ以上に御柱様の言葉は気にかかるのだ。実際、今日犯したことで、自分が境内から追い出されるなり、牢に繋がれるなりするようになったらいかに逃げて、外で暮らすかである。外はそれほど安全ではないにせよ、境内よりは自由だし、所謂視えない人たちが多く生活しているのだ。なまえは一度だけ外に行ったことがある。ただの一度だけだが。むしろなまえは外から来たと言った方が正しいのかもしれない。外郭で設けられた子がそのまま境内で過ごすことなど多い話で、外から連れてこられる子もまた乳飲子が元々定められた結果として役人に取られ、外郭で育てられてから、境内に送り込まれるのだから。
 外を知らない子供というのは、とても多かった。
 だからなるべくの準備をしたい。少ない経験しかない自分が考え得る全てを切り抜けられるような。準備は入念にである。護符も、身代わりも、果てまた糸切りや、鑢(やすり)、鏡、その他もろもろを身の内に潜ませる。身一つで出て行ってもなんとかなるように、がなまえにとって重要なところだった。それだけ、自分がしてはいけないことを犯しているのは理解していたのだ。
 なるようになれという精神でやってきたので、今後境内がどう動くがまず重要である。ちょうど今頃、新たな柱候補が来ているのだろうから。
 さて、まずは腹ごしらえにでも行こうかと、部屋をさっぱり片付けたなまえは食堂へ向かうことにした。
 食堂は寮から出て学舎との間にある。渡り廊下があるからそこを通っていってもいいし、天気が良ければ外を歩いて行ってもいい。
学舎と寮と両方から使いやすいように建てられた食堂はかなりの大きさである。
 後から来た小豆と共に盆を持って並ぶ。昼間頃ということで混み始めだ。さっさと定食を並んでとると、端の方に座る。
 昼飯は豚肉の生姜焼きと、味噌汁、御漬物、サラダに麦飯だった。まだこちらでは御柱様の死など誰の口にも上らない。昼食の献立が変わらないのもそのせいだろう。死は内密なもので、再び柱が据えられ、安定を得た時に初めて下の者まで情報が下りてくる。そういう意味で、この境内というのは、政府の完全な情報統制下にいるといって差し支えない。
「紙あった?」
「ん、ないっぽいけど、もう少し探してみるよ」
「夕方っても今日の三時までだよ、大丈夫なの?」
「……まずいかな」
「素行態度資質によるけど、まぁ、ワンチャンくらいくれそうだよね」
「だといいよねー」
 生姜焼きをキャベツと共に頬張りつつなまえはやる気などないといった表情で食堂に視線をやる。
 大から小まで、昼時は学生皆が食べに来るのだ。続々と埋まる席に側のものの声すら聞くに苦労する喧騒。どこにおいても騒がしいものである。
「なまえ、他人事感半端ない」
「えっ、そう?」
「だってこれもし受理されなくて弾かれたら外郭とかじゃないの?」
「おっ、まじ? それいいなー」
「……ここまで審神者になりたがらない奴もあんたくらいだよね」
「いやそれほどでも」
「褒めてないし、一周回って意味わかんないわ」
 つまりは、なまえはもう新たな刀の主となってしまっているから、初期刀制度の初期刀を顕現させることによる齟齬などが計り知れない、し御座所の刀に失礼だから初期刀も出来ることなら欲しくないのである。
 結んでしまったのは事実なのだ。
「そういう小豆は初期刀誰にしたの?」
「私は、山姥切国広」
「へぇ。なんで?」
「一番普通そう」
「普通、かなぁ? わからないでもない」
「なんか、近侍にしてて楽そうだなって」
「……あぁ。わかる」
 加州清光は初期刀としては割に癖があるし、歌仙も雅が好きだ。蜂須賀は見た目からしてきらきらしているから小豆の場合は却下だったのだろう。陸奥守は悩んだらしいが言葉通じなさそうと言っていたのを聞いた。消去法により山姥切に決定したのだろう。
 御座所の年の功を経た刀達は、初期刀よりも年月の経過により、性格も少しづつ落ち着いていたりしっかりしていたりする。だから、きっと初期刀はもっと個性が強く出ているはずだ。
 初期刀談義や下世話な級友の話に花を咲かせつつ昼食を楽しんでいた時だった。入り口のあたりが騒がしくなってなまえと小豆は顔を上げる。
 食堂の入り口に先生が三人立っていた。出ようとしていたらしい上級生を止めたことで騒ぎになったらしい。上級生は悪態をつきつつも、食堂の空いた席にもどった。
 先生達が食堂の目立つ場所に立つと、喧々囂々としていた食堂がぼそぼそとした話し声しか聞こえなくなりやがて水を打ったように静かになった。
「上の方から暫くの外出禁止令が出ました。皆さん食事を終えたら速やかに寮に戻ってお過ごしください。今後の対応については寮長から随時皆にお伝えしますから」
 それだけ言い終えると先生は扉の方に椅子を持ってきて座った。誰も出ないようにということだろう。
 皆も何かあったらしいことはわかったけれど、これ以上何も伝えられないということは余り自分達に直近で関わることではないと判断してか、皆いつも通り食事に戻り始め、やがて喧騒も多少控えめに元どおりになる。
「なんかあったのかな」
 小豆は眉根を寄せて言う。
「どうだろう。外出禁止令なんて滅多にないよね」
「そうだよ。やばいのかな」
「わかんないけど」
 なまえの関わっていることのせいでこの外出禁止令が下りたのだとしたら、時間的にもぴったりである。



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