影浦雅人の場合
ガコン、という音と一緒に、自動販売機からペットボトルが吐き出される。お釣りとペットボトルを回収し、ボーダー内の廊下を一人歩く。カゲはどうやら空閑君を捕まえるのに成功したらしく、ランク戦中だ。カゲは空閑君とランク戦ばかりだし、それにお互いボーダーと学校で忙しいからあまりデートもできないけど、いつもボーダーの帰りは一緒に帰っているから十分な気がする。ぶっきらぼうに見えるけど、暗くなったら絶対私を一人では帰さないし、私がランク戦をしているときは遅くなっても待っていてくれる。これは友達時代からそうで、恋人になってからはより過保護になった気もする。今日もいつも通り、影浦隊の作戦室で待つように言われていたので、勝手に作戦室に入る。一応気持ちばかりだが「お邪魔しまーす」と言って中に入ってみると、いつもはコタツで寝ているはずのヒカリちゃんもいなく、作戦室はもぬけの殻だった。
適当にソファに腰掛け、さっき買ってきたミルクティーの蓋を開ける。すると、机の上に乱雑に置かれた雑誌の表紙が目に飛び込んできた。
「…こ…これは…」
やたら肌色の多いお姉さんと目が合ってしまったような錯覚に陥る。もしかしなくても、これは、エロ本だ。
動揺してミルクティーの味が全く分からなくなってしまった。誰もいないのに思わず作戦室をキョロキョロと見渡して、そっと雑誌を手にする。数ページ捲るとセクシーポーズを決め込んだお姉さんの見開きカラー写真が次々と目に飛び込んできた。巨乳、巨乳、巨乳。やっぱり男子は巨乳が好きなんだな、と自分の控えめな胸を見下ろし、なんだか泣きたくなった。
そこまで考えて、ふと気付く。……これは、誰のものだろうか。
まず第一にユズルのものではないだろう。そもそもユズルがエロ本を所持しているのかどうかも怪しいが、まあ年頃の男の子なのでエロ本の一冊や二冊持っているかもしれない。しかし持っていたとしてもユズルの性格からしてこんな所で性癖をあけっぴろげにするとは思えない。
次にゾエが浮かんだが、ゾエも違うだろう。と思いたい。ゾエは良識ある心優しい青年だし、これは完璧に私の主観だが、エロ本が似合わない。ゾエがエロ本を読んでいる所を想像してゲッとなった。仮にゾエが持っていたとしても一生知りたくない。世の中知らない方がいいこともある。
そうすると、ヒカリちゃんか。ヒカリちゃんなら面白半分で持ち込んでいてもおかしくはない、かもしれない。私が言うのも何だが、ヒカリちゃんのバストは私といい勝負のサイズだ。自ら巨乳メインのエロ本を持ってくることはないだろう。
と、なると。
残る一人は私の恋人しかいない。
無意識にカゲは違うと思い込んでいたわけだが、可能性が少しでも浮上すると頭を抱えたくなった。いや、落ち着け。カゲがエロ本なんか作戦室に持ち込むだろうか。カゲはプライドも高いし自分の性癖をこんな人目につく所で暴露しない、と思う(カゲが巨乳好きだとしたらそれはそれでショックだが)。私が知らないだけで、影浦隊ではそういう話もするのだろうか。ヒカリちゃんはともかく、男が3人集まったらそんな話くらいはするかもしれない。ページを飛ばして捲ると、あられもない姿にされているお姉さんがいた。もう見ていられなくてそっと雑誌を閉じた。
カゲも男の子だし、そういう欲はあるんだろうか。私達は友達の期間が長すぎて、付き合ってからすごくゆっくり事を進めてきた。手を繋ぐことも、キスをすることも、偶然が重なって達成したようなものだ。勝手にその先はもっと未来のことだと思っていた、というか逃げていたに近い。それでも二人の間にそういった話題が出たこともないから特に気にしないでいた。しかし、そもそもカゲが巨乳好きだとしたら、私の胸に欲情するのだろうか。もしかして私に魅力がないからそういう話題が出ないのだろうか。ついに私は頭を抱えた。その時、「苗字」と私の名前が呼ばれると同時に、作戦室の扉が開いた。
「おい、終わったから帰……そんな隅っこで何してんだおめー」
「………!?か、カゲ、おおおおかえり!」
「なにどもってんだよ」
作戦室に入ってきたのはカゲだった。え、ランク戦終わるの早くない?スマホの時計を見ると、作戦室に来てからだいぶ時間が経っていたことに気付いた。私どんだけ悩んでたんだ。突然の来訪に驚いてどもりにどもりまくった私を不自然に思い、カゲが近付いてくる。背中を冷や汗が伝った。私の目の前には問題の雑誌があるのに。読んでたと思われたら最悪だ。見てたのは事実だけど。カゲは私の顔を不思議そうに見つめた後、テーブルに目をやった。終わった。
「………」
「………」
「…俺のじゃねーからな」
「………えっ」
「それ。その様子だとおめー誤解してんだろ」
「…カ、ゲの、じゃないの?」
「ちげーよ!俺がんなモン持ってくるとでも思ってんのか」
「じゃ、じゃあ、これ誰の?」
「昨日当真たちが来た時に置いてったんだろ」
「……そうなんだあ……」
よかった。思わずため息とともに小さい声が漏れた。ハッとして口を塞ぐが、誰もいない静かな作戦室ではカゲにばっちり聞こえていたらしい。カゲの口角があがる。
「何がよかったって?」
「えっ、いや、その、」
「別に胸がデカけりゃいいってもんじゃねーだろ」
「なんで分かったの!?」
「つーか、そろそろ意識しろよ」
「えっ、」
ぐっと距離が縮められる。ま、待って、近い近い近い。急な展開に頭が追いつかなくて、それでも体は無意識に動いて、カゲから距離を取ろうと腕を突っぱねようとした。しかし手を取られて、指を絡められる。絡め取られた手をソファの背もたれに縫い付けられ、さっきよりも幾分か距離が縮まった。
「あっ、ああああの、カゲ、」
「ずっと我慢してんだよ、俺は」
「………!?!?」
「どっかのアホは気付いてねーみたいだけどな」
「…か、カゲも、そういうことしたいって思う、の?」
「たりめーだろ」
「…わたし、胸、小さいけど」
「んなもん見りゃ分かる」
「ひどい!」
ぎゃいぎゃい騒ぎ出した私を黙らせるように、カゲの唇が重ねられた。初めてした時より、いつもより、深く。それだけで私はぴしりと石のように固まってしまうのに、カゲはそんな私に追い討ちをかけるように何度も唇を重ねる。次第に深さを増していくそれに、正直私はいっぱいいっぱいだった。幸せなのに、嬉しいのに、胸が詰まって苦しい。目尻に涙が浮かんだ頃、ようやく唇が離された。
「…覚悟しとけよ」
「っ、は、はい」
いつもより鋭さを増したカゲの目には、有無を言わせない圧迫感みたいなものがあった。「帰んぞ」と手を引かれて、ふらつきながらも立ちあがる。こんなんじゃ私、本番はどうなってしまうんだろう。赤くなった顔ではカゲの顔が直視できなくて、ちらりと覗き見るだけにした。カゲはそっぽを向いていて顔は見えなかったけど、カゲの耳は少し赤かった。いつもならボーダー内で手なんか絶対繋がないのに手を繋いだまま歩き出したカゲも、もしかしたら動揺してるのかもしれない
。それが嬉しくて、自分がいっぱいいっぱいなのも忘れて調子に乗って繋ぐ手に力を込めたら、痛いくらいに握り返された。
作戦室を出ても手を繋いだままの私達を見て、みんなにからかわれるのはそのすぐ後のことだった。