願望


「恵って女子みたいな名前だよね」

 そう言ったのは当時は俺の唯一の同級生である佐狐泉であった。訓練を終えた時のことだった。いくつかあるテーブルのうち、わざわざ俺の目の前に座ってきて言い放った言葉がこれだ。まだ知り合って数日程度しか経っていないにも関わらず、ボディーバッファーゾーンに土足で踏み込んでくるような奴だった。

「どうでもいいだろ」

 昔から人と関わることが苦手だった。俺は多分周りの人間を信用しきれていない。だから自分から人に歩みよったりなど、決してできる人間ではなかった。

「でも似合ってるよね、恵って名前」
「は?」

 こういう受け答えしかできないから、特段仲の良い人間なんていなかった。善人の姉と胡散臭い先生、それくらいしかこの時の俺には他人じゃないと思える人はいなかった。―――はずだったんだ。
 俺がこんなに眉間に皺を寄せて不機嫌な顔をしているのに、当の本人は全く気にせずへらへらと笑っていた。

「響きも綺麗だし、伏黒くんも端正だし」
「………。」
「なんだろうな、雰囲気?がなんか合ってる感じ?うーん、伝わってる?」

 そう言いながら佐狐は手に持っていた甘ったるそうなカフェラテのペットボトルを傾けた。コイツがその甘そうな液体を口にしている間、俺はほんの少し昔のことを思い出していた。

『伏黒って女子みてえな名前してるよな』
『実際ヒョロッヒョロで弱そうだしな』
『気持ち悪いよな、なんか』

 自分の名前に関して、良い思い出なんてこれまで一度も無かった。俺の性別も考えずにつけられた適当な名前に、何の感情も抱いていなかった。

「俺今励まされてるか?」
「励ましたのか、私?」
「いや今俺が訊いてんだよ」
「あ!やっと目が合った!」

 バッチリとこちらを見ていたオリーヴの瞳に、目を見開いた自分が映っていた。その瞳に映った自分が、何とも間抜けな顔をしていた。それと同時に俺はこんな顔をすることもあるのか、と感心してしまった。

「あらあ?お互い見つめ合っちゃって、どうしたのかなぁ〜?」

 今一番聞きたくない声ナンバーワンだった。
 目を隠したいかにも胡散臭い男が、俺の隣にガサツに座ってくる。五条先生が加わったことにより、更に煩くなったが、俺はこの時何故か悪い気はしていなかった。


■■■


「ねえねえ、野薔薇ちゃん!これ知ってる?」

 嬉々とした声を出しながら釘崎に自分のスマホを見せた佐狐。釘崎はすぐにスマホに映っている情報を理解したのか「あぁ、これ!私めっちゃ欲しかったのよ」とすぐに話に花が咲いていた。
 佐狐とたった二人だけだった一年生の時間が、まるで遥か昔のような感覚だ。ついこの間まで寂しく感じていたこのテーブルが、最近になって満席になった。

「何々、何の話?」
「ハッ、虎杖が聞いたって分からないわよ」
「そんなの見てみねえと分かんねえだろ?」
「いや多分悠仁には分からないよ」
「お前何でそんな冷たいこと言うんだよ!幼馴染だろ!?」
「だって悠仁は女心というものがまるで分からないじゃん」
「んなことねぇよ!な、伏黒?」

 そこで俺に振るかと思った。おそらくそれは釘崎も同様だったようで、実際に「コイツに聞いても無駄でしょ」と悪態をついている。

「知り合って数日でそんなこと分かるかよ」
「ほら見ろー!」
「なんだよ、そんな風に言わなくたっていいだろー?」

 ムキになる虎杖を見て思わず笑ってしまった。するとあれだけうるさかったはずなのに、急に静かになっていた。見ると、虎杖も釘崎も佐狐もこちらを見て固まっていた。

「あれ、伏黒今笑った?」
「笑ったわよね、てか笑えんのねアンタ」
「笑ってねえよ」
「いやその嘘には無理があるだろ!」

 気を抜きすぎてしまったかもしれない。面倒くさいなとため息を吐くと、「でも」という控えめな声がする。

「伏黒くんって結構笑うよ?」

 唐突な発言に場は又しても固まってしまう。「ね?」と同意を求められても、正直肯定はできなかった。なんせ俺は全く自覚がないからだ。

「おいおい、お前のそういう顔は誰も求めてねえんだよ」

 釘崎にそう言われるよりも早く、俺は自分の顔に熱が集まっているのが分かった。
 相変わらず煩かった。呪いを学ぶ場には相応しくないほど、底抜けに明るい空間だった。その不釣り合いな雰囲気が以前は嫌いだった。だが、佐狐と出会い、そこに虎杖と釘崎が加わり、俺はいつの間にかそれが煩わしいと思わくなっていた。

 できれば、この仮初の温かな日常がずっと続いたらいいのに、とらしくないことを考えていた。
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