その笑顔を守りたかった、なんて


 簡単に言うと俺は高専での穏やかな日常に慣れ腐っていたのだろう。こういう感覚は久しぶりだった。

「オイオイ、兄ちゃん今なんて言った?」

 俺にそう言ってきた男は、三人組のうちの一人で彼らは横着な態度であった。日曜の昼間、女性客やカップルなどで賑わうお洒落なカフェ。そんな場所に似つかわしくないと言ったら失礼だろうが、おそらく彼らはこのカフェに来たくて来たというよりかは、単にこの店への冷やかし目的であろう。コーヒーが不味いだの、こんなモンよく提供するな、などとにかくよく喋る屑野郎たちだった。
 その言葉に俺は数日前の出来事を思い出していた。

『ここのカフェ行ってみたかったんだ〜!ねえ伏黒くん、今度行こうよ』
『そういうのは釘崎と行けばいいだろ?』
『野薔薇ちゃんその日は自分磨きの日なんだって』
『何だそれ』
『ね、良いでしょ?行こうよ、どうせ暇でしょ?』
『まあ、いいけど最後の余計なんだよ』

 そう言うと佐狐は子どものように無邪気にはしゃいでいたのだ。だから俺も柄にもなく、このカフェに来ることを楽しみにしていた。

 そんな佐狐の気持ちを分かっていたから、気付いたら斜め前のテーブルいやがるこのクズたちに「うるせえから出ていけ」と言ってしまっていた。それはちょうど佐狐がトイレに行って席を外していたときである。戻ってくるまでにこいつらが何処かへ行ってしまえば万々歳だ、と思ったのだ。
 そうして冒頭に至る。

「うるせえから、出ていけっつったんだよ」

 俺は元からあまり人が良いとは言えない。心から信頼できる友人なんていなかったし、周りの人間を信用してなどいなかった。俺のことを知るのは、善人である津美紀くらいだった。
 気に食わなかったらすぐに暴力で治めていた。それが手っ取り早いからだ。そんなんだから言葉で上手く相手を嗜めるなんてことができない。
 だからいつもこうなる。

「クソガキが偉そうに…ッ」

 男の一人が俺の胸ぐらを掴んだ。せっかくのおろしたてのTシャツが台無しだ。思わず拳に力を込めた。他の客たちから悲鳴があがり、店員が慌てて駆けつけてきていた時だった。

「すみません」

 店員よりも先に声をかけたその人は、俺の胸ぐらを掴んでいた男の肩に手を置き、さらに続けた。

「うちの伏黒は暴れると手に負えなくなるのでその辺にしておいてください」
「は?てめ、何だ?」

 突然聞こえた声に驚きながらも反抗する男だったが、肩を掴まれた手に更に力が込められたようで呻き声を漏らしていた。
 もちろんその人物とは佐狐なのだが、正直意外で俺は好奇心からこのまま見てみたいと思った。

「ほら食事中に急に立ち上がったりしないで、ちゃんと座って」
「う、…わッ」

 佐狐は更にもう片方の手で肩を掴み、無理矢理椅子に座らせていた。彼女の行いに周囲は圧倒され、正しく何人たりとも手も足も出ない。

「私はここのお店に来るのを楽しみにしていたのね。ここ人気のお店なの。だから、美味しいよね?コーヒーも、ご飯も、スイーツも」
「は…てめ、何」
「美味しいよね?」

 座らせた男の耳元で佐狐はまるで洗脳するかのように唱えていた。その顔は他の二人の男たちを見る限り、かなり悍しい様相だと窺えた。

「お、美味しい、です」
「宜しい。それから、店内には他のお客さんもいるので、どうぞお静かに」
「…はい」
「今度同じようなことしたら…」

 そう言って佐狐はテーブルの上に散らばったフォークを手に取る。そしてそれを男の手の甲に刺さるギリギリのところで寸止めして突き立てた。二人の男も、今佐狐に囚われている男も「ヒッ」と小さな声を漏らす。

「呪っちゃうぞ」

 恐ろしい言葉と陽気な声色が全く合っていないと思った。その温度差が佐狐が怒っている証拠だった。初めて見る彼女の怒りの面は、とても新鮮だった。
 ゆっくりとフォークをテーブルに置いて、男からようやく離れた。そしてすぐそばまで来ていた店員に対し「騒いですみません」と謝る佐狐はいつもの様子に戻っていた。店員が「こちらこそ、ありがとうございます」と何度も礼をすると、他の客たちからもお礼の声があちこちから湧き起こる。そしてその声のいくつかが俺に向けられた。

「君もありがとうね」
「いえ、別に」

 感謝をされたことはあまりない。俺がそういう善の行いをしてこなかったからだ。だから、こういう時何と返事をすればいいのか分からない。

「伏黒くんも暴力で解決するのは良くないよ?」

 真っ当な答えだと思った。店員との会話を終え、俺のもとに戻ってきた佐狐だったが、俺は彼女の発言に対し異論がある。

「お前のは恐怖政治だろ」
「まあ失礼。私はあくまで私の持論を述べただけ」

 ほら座ろ、と促す佐狐に、俺は今日めちゃくちゃ格好悪いんじゃないかと思った。

「ていうか伏黒くんってあんな正義感強かったっけ?」

 改めて席につくと佐狐はそう尋ねてきた。普段はつけていないイヤリングが視界で揺らめく。感覚が鈍ってしまう。

「別にそういうのじゃねえよ」

 何であんなことしたのかって聞かれて、サラッと話してしまえる理由ではなかった。
 ふうん、とあまり納得のいっていない佐狐だったが、運ばれてきたドリンクとスイーツを見て、そんなのどうでもいいや、と言わんばかりに興味を持っていかれた。しかも店員からのサービスで頼んでいないトッピングまで無料でつけられていた。ご満悦で店員にお礼をしている様子は、本当にさっきの殺伐とした雰囲気とは別人だった。早速パンケーキを切り分け一口食べる。幸せそうな顔をするコイツは、本当に表情がコロコロ変わって見ているこっちがその感情を共有している気持ちになる。

「幸せ」
「そら良かったな」
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