地下街
地下街。それは三重の壁の中で最も安全なシーナの、その地下に広がった街だった。日の目を見ることは無く、上界に憧れを抱いたまま、一生を全うすることも珍しくはない。上界にも、人類の希望などないというのに。
乾いた木製の扉が2回程ノックされた。こんな夜分遅くに、もちろん客の予定など無かったリヴァイらは、突然の訪問を怪しんだ。リヴァイとファーランが目配せをした後、ファーランが扉を開けに行く。イザベルは大袈裟に構え、リヴァイも椅子から立ち上がり奇襲に備えた。
ノックが更にもう一度なされた後、ファーランがすぐに扉を開く。
すると、そこには見慣れない赤みを帯びた髪色の女性が目を大きく見開いて立っていた。
「…えっと、どちら様、ですか?」
思わず拍子抜けしたファーランの気の抜けた問いかけに、女性は困惑した様子で中を見渡した。そしてリヴァイとイザベルの姿を確認すると、何かを察したのか表情を曇らせた。
「すまない、家を間違えたらしい」
「誰の家を訪ねたかったんだ?」
ファーランがそう尋ねる頃には、リヴァイとイザベルも玄関の方まで近づいてきていた。
「ギュンター・アルペンハイムという男の家だ。渡したいものがあって…」
そう言った女は左の拳をきゅっと握りしめた。恐らくはその拳に渡したいものが握られているのだろう。
「ギュンター…?知ってるか?」
「知らないな」
「オレも」
三人に思い当たる節はないようで、その様子を見た彼女は少しだけ寂しそうな顔をして頷いた。
「もう三年も前の話だ。ラウラ…えっと妻も子どもも家を変えたんだろう」
そう言ってそのまま去ろうとしていた彼女の背後から派手な足音と声がした。
『あの女どこ行きやがった!?』
『調子に乗りやがって!』
『おい、居たぞ!あれじゃねぇか!?』
リヴァイらの住処のすぐ下の階段にまで迫ってきていた彼らを一瞥した女性は、舌打ちとともに「しつこいな」と言うと身を翻し臨戦態勢を整える。しかし、その瞬間にずっと握っていた拳の中身を「持っていてくれるか」とリヴァイに手渡した。リヴァイは咄嗟に手を差し出したが、それがあまりにも軽くて少し困惑した。そして、すぐに階段の下に迫っていた輩に応戦し始める。そのキレの良い身のこなし方、圧倒的な戦闘力は、やはりリヴァイが手渡されたものを象徴していた。彼は自身の掌にあるあまりにも軽いそれを見下ろした。
「これは…」
「調査兵団の、自由の翼」
「裏に名前が書いてあるぜ!」
イザベルの指摘でようやく読み取れた名前は、先程あの女性が言っていた名前と同じもの。
「あの女、調査兵団員か?」
「だとしたらあの強さも納得いく」
「すっげー、もう全部倒しちまったぜ!カッケー!」
そのうちファーランは何かを思い出したらしく、部屋の片隅に追いやっていた荷物の籠を漁りだした。「それなんだ?」とイザベルがファーランの元へ向かったと同時に、女もリヴァイの元へ戻ってくる。
「悪いな。ありがとう」
「調査兵団の人間がこんなところで何している?」
「…知り合いの大切なものを、渡しにきただけだ」
「コイツの妻と子どもに、これを渡すのか?」
女の顔色が変わったのは、言うまでもなかった。
「せめてもの餞別だ」
「…どういう意味だ」
「私が殺してしまったようなものだ。ここに留まっていれば、家族と幸せに暮らせていたはずだ。私が連れ出したりなんかしなければ…」
「ちょっと待て、それじゃあテメェも、元は地下の…」
「なあ!アンタが探してるのって、この人たちのことか?」
リヴァイが何か核心を突こうとしたが、それはイザベルの問いかけによって掻き消されてしまう。
イザベルが持ってきたのは、手紙と髪留めだった。その手紙はギュンターの妻・ラウラが、彼宛に残した最期のメッセージだった。その手紙には、ギュンターのラウラが娘の持病悪化のため、親子二人で住むことが困難であること、ギュンターを遺して亡くなることを許してほしいという内容が書かれており、最後は振り絞るような愛の言葉を綴り終わっていた。
その手紙を彼女は涙を流しながら読んでいた。遺されたのは妻と子どもの髪留めだろう。ギュンターがここへ戻ってきた時、手紙の他に何もないのも、酷だと思ったのか。
その手紙を読んだ彼女は、古びた便箋に雫を落とした。
「すまない…ギュンター、ラウラ…。すまなかった。やっぱり、私が間違ってた…」
その場に泣き崩れた女性は、嗚咽混じりにそう言った。
「それ多分リヴァイがここに住む前に残されてた物だよな?勝手に捨てちゃまずいからって、ずっと置いてあっただろ」
「…そうか、そうだったか…」
ようやく立ち上がった女性の頬に一筋だけ涙が流れる。
「後の住人がお前たちで良かったよ」
そう言って微笑んだ女性はこの地下街では稀に見る綺麗な顔だった。女性はファーランから二人の髪留めと共に手紙を貰い、その場を後にした。
彼女の姿が遠くなった頃、彼らはようやく彼女の名前すら知らないことに気付いた。
しかし、調査兵団の人間となど、もう二度と会うこともないだろう、とその時は思っていた。
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