「1度はくじら食堂に行ってみるといいですよぉ。風音くん行きつけのお店でとーって美味しいんです」
「あ、そこさっき行ったよ。海鮮丼がすっごく美味しかったなあ」
「……もしかして、それも船で出会った方々とご一緒に?」
「うん。ミマイシティに来たなら食べるべきって推されたの」
「なるほどなるほど。海灯りにくじら食堂ときましたかぁ」

 偶然という可能性も大いにあるが果たして。再び考え始めたくるみをカルアはハテナを頭上に浮かべるように首を傾げる。何かおかしなことを言っただろうかと会話を思い返し、特に変わったことは言った覚えはないのでいくら考えてもくるみの思考は解けないだろうと早々に悩むことをやめる。代わりに空いている手でマップを開き、ミマイシティの書き込みを確認する。
 紙のマップが開いた音で我に返ったくるみはおっと自分で案内役を買っておいて放置するのはよくないとカルアに目を向ける。その際、マップに書き込まれた文字を見て「ああ、なるほど」と。小さく呟き、頬を緩めた。

「夜のくじら食堂は店主のお父さんが作る海鮮丼が格別に美味しいですが、昼のくじら食堂を任されている息子が作るランチ定食も美味しいのでよければ行ってみてください」
「親子で食堂を営むってすごいねー。じゃあ明日は朝から水族館行って、少し遅めのランチをそこでとろうかな」
「ミマイ水族館に行くならミナモくんのお話を聞きに行くといいですよぉ。セイショウ地方の歴史を語られるので」
「ミナモくんって最初に言っていたミマイシティを統治してるっていう人?」
「そ、ミマイジムのジムリーダーです。詳しくはー……」

 淀みない会話が途切れる。同時に迷いなく進んでいたくるみの足も止まる。つられて立ち止まったカルアは首を傾げ、くるみの視線を辿る。その先にあるのは古きを重んじる建物。ほのかにする硫黄独特の香りから温泉がついていることを予想する。今時流行りの古民家の宿というものだろう。
 遠くから街の賑わいや波の音が聞こえてくる。それがまた心地良く、とてもいい場所だとカルアは宿の雰囲気に好印象を抱く。カルアの反応に気を良くしたくるみはにこにこ笑みを浮かべて古民家の中に入っていく。3歩ほど遅れて中に入ったカルアはぽかんと口を半開きにして思考と動作を停止する。

「ゆっくり温泉にでも浸かってお喋りしましょう」
「温泉付きの宿って……私、初日からそこまで贅沢できるような資金はないというか」
「あー、気にしないでください。ここ、宿として儲けようとはしてないので。お客さんが泊まっていることの方が珍しいくらいですし」

 室内は想像よりもずっと綺麗であった。否、綺麗というよりも上品という言葉の方が適切だろう。和を基調とした豪華な内装。豪華の一言でまとめてしまうと煌びやかな印象を受けるが、目が眩むようなとかそういうわけではない。その方面に詳しくないカルアでも床板や柱などに使われている木材が大変質が良いであろうことを感じとれるような豪華さだ。この一人旅を全力で楽しむためなら金に糸目を付けない姿勢であったカルアだが、隠れ宿としてお高いのではないかと心配する。だが、そんなことは気にしないとでもいうようにくるみは我が物顔で進む。

「蜜柑、起きてますかぁ? まあ、寝てたら起きてくださいねぇ」
「ふぁ……どんな暴論だよ……。ん、くるみちゃん、おかえりなさーい」

 くるみの呼びかけに応え、奥の部屋から蜜柑色の髪をした青年が出てくる。眠たげな顔で寝癖のついた長い髪をくしゃりと掻き上げている姿は宿の者にしてはだらしない。だが、カルアの姿を見るなり「やっば、お客さんいるじゃん!」と。慌てて髪と服を整える。
 蜜柑と呼ばれた男の狼狽えようにくるみはころころと笑いながら受付の台から宿帳を出す。躊躇いのない行動にカルアははたと気付く。

「……もしかしてだけどさ、ここ」
「私の家ですよぉ。宿の仕事は面倒臭いので蜜柑に丸投げしていますけど、いちおー女将さんなんですよぉ」
「くるみちゃんが仕事するなんて365日分の1日あるかないかだけどね」
「その貴重な1日が今日ですね!」
「うわ、名前だけ偉いやつだ」
「えー。でもカルアちゃんはそんな名前だけは偉くて仕事をしない女将の権限によってタダで温泉付きの宿に泊まれるんですよぉ」

 自分で言うのもあれですが、ここは結構立派な宿だと思いますよ。などと、手を腰に当ててどや顔をしてみせる。なんともまあ可愛らしいことか。可愛らしすぎてカルアは美人局か何かではないかと警戒する。ここまで美味しい話に疑うなという方が無理な話である。
 じとっとした疑いの眼差しに気付いたくるみは少し考える素振りをみせる。そして、カルアがずっと手にしているセイショウ地方のマップに目を向ける。ちらりと目にしたとき、たくさんのものが書き込まれていた。複数人の字体から船で出会ったという者たちが書いたのであろうと予想できた。今更ながらの警戒の姿勢にひっそりと笑いながらくるみは答える。

「私、身内贔屓が激しいんですよぉ」


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