恋にたゆたう

 恋は盲目。好いた相手のことを思うと今まで自分の中で築き上げてきた理性や常識がどうでもよくなるような状態。あばたのえくぼ。残酷なくらい優しくて期待したくなるような素振りから不特定多数の異性や同性と肉体関係をもつことまで、理由はどうであれ客観的にみれば否定的な印象を抱くようなことも好意的に評価すること。逢いたいが情。離れていれば会いたくなり、常に想い人を見ていたいという気持ちが抑えられなくなること。愛は屋烏に及ぶ。想い人に関するもの全てに愛情が及ぶこと。
 多くの人間が恋は素晴らしいものだと大きな声で語るが、実際は相手に惚れ込むほど見境なく駄目になっていくことも少なくはない。もちろん、良い影響を及ぼすこともあるだろう。しかし、どれだけの人が恋情と理性を両立させることができるだろうか。両立させることができたとき、それは相手の幸せを願うことができる愛に進化するのではないか。
表の仕事と裏の仕事に疲弊していた苦労人は悩む。ほんの少しだけヤケを起こしたいと思っていた頃に出会った男と一夜限りの蜜事を致し、あろうことかその相手に一目惚れをした愚かなマリルリは考える。快楽に流されて、抱いた感情を膨らませてネビロスに片思いをし続ける蘭丸は思う。
 つまり恋とは酒よりも度数の高いアルコール。媚薬よりも悪質な催淫剤。麻薬よりも依存性の高い薬。

「頭で理解していても手放せないものってことだよねぇ」
「何がだ?」
「んーん、こっちの話。気にしないで」

 蘭丸の唇からぽつりと零れた声は向かいの席に座るネビロスの鼓膜を震わせる。不思議そうな表情でまばたきを繰り返し、見え隠れする紅色の瞳をちらりと見てから蘭丸はゆるりと首を横に振る。そうすればネビロスがこれ以上の言及をすることもなく、そうかの一言で締めくくられる。
 からり、からり。グラスを揺らせば溶けかけた氷が涼やかな音をたてる。ちゃぷり。水面が揺らぎ、苺酒の香りが蘭丸の鼻腔をくすぐる。こくり。喉を鳴らして嚥下する。梅酒が通った喉に熱が集まる。

「そういえばこの間、身内で連想ゲームやったんだけどさ」
「毎度思うが仲がいいな」
「暇を持て余してるとどうしてもね。それでぱっと浮かぶ大切なものってお題になってさ。不定期でこれやってるんだけど、秘密主義の子が日常的に語ろうとしない心の変化が把握できるんだよね」
「ふむ」
「基本的にシオンさま……僕たちのトレーナーなんだけど、その方を最優先にする傾向があるんだよね。だからその方を除いてっていう条件をつけるんだけど、結局関連するものを選んじゃうんだよ」
「トレーナーが大好きなんだな」
「んー、好きというかなんというか」

 頬杖をつき、グラスの縁を指でなぞりながら考える。あれは好きだから大事なんてそういう可愛らしいものだろうか。自分を含めたシオンのポケモンを思い浮かべ、眉間に皺を寄せる。百面相を眺めていたネビロスは皺を伸ばすように蘭丸の眉間を押す。はっと我に返った蘭丸は「まあ、そこは置いといて」と。シオンに対する感情についての思考を隅に寄せる。

「それで、以前まではシオンさまに貢献できるからってロトミィで得た情報が大事って言っていた子がいてね」
「ろとみぃ?」
「そのシオンさまが開発した高性能なアシスタント機能を持つアプリだよ。スマホとかパソコンとかに使うの。こんな風に……ロトミィ、明日発売する小説で僕が好きそうなものをピックアップして」

 ロトミィ。その呼び掛けを合図に画面の端からぴょっこりとラットによく似た少女が現れる。「ロトミィにお任せロト!」と。可愛らしく敬礼をして明日発売する小説の一覧を出す。蘭丸の好みを抽出するために真剣にその一覧を見つめる。腕を組み、左右に揺れる身体に合わせて編み込まれた髪がゆらゆらするところが可愛らしい。普段からロトミィの着せ替え機能のように髪型をいじればいいのにと思いながら結果を待つ。しばらくするとロトミィは「明日発売する小説の中で蘭丸が好きそうな小説はこれロト!」と。2冊の小説を見せる。ロトミィについては説明するより見せる方が早いとネビロスに教えるためにやったことだが、さすがアプリに登載した性格診断をして、趣味嗜好を登録しておいただけある。タイトルからして面白そうなのでロトミィにネット通販で注文しておくように頼んでおく。

「こんな感じに検索してくれたり、アプリに登録した個人情報をもとに情報の選定をしてくれる機能をもつのがロトミィ。と、言えば便利なものに聞こえるんだけどね。1度でもロトミィをインストールしたものならうちのロトムがいつでもどこでも潜り込めるようになるんだ」
「それ、俺に教えてもよかったのか?」
「教えても支障がないからね。今更ロトミィに個人情報を抜き取るウイルスが仕込まれているなんて噂が流れたとしても、確証がなければこんな便利なものを手放すわけないっていう方が多数だと思うよ。便利すぎるって怖いよねえ」

 からからと笑って言うが、要するに個人情報抜き取り放題。情報を制するものは戦いを制するものと同義。簡単に話しているがこれが末恐ろしいものだということは想像に容易い。注文完了したことを伝えるロトミィの頭を撫でながらにこにこしている蘭丸の表情を見ながら、どこに何が潜んでいるのか分からないものだとネビロスは肩を竦める。だが、それに関して実害を受けたわけでもない。善悪を問い質すようなことを言うわけでもなく、いつもよりもご機嫌に身内のことを話す蘭丸に耳を傾けながら塩キャベツをつまむ。

「話は戻るんだけどね」
「連想ゲームの話だったな」
「そうそう。その子がとっても可愛らしい笑顔を浮かべて言ったんだよ。ロトミィの情報ももちろん大事だけれど、今はそれ以上に大事な人がいるってね。そんな言葉が出るなんて驚いたよ」
「驚くところだったのか?」
「うん。まあ、特殊な生まれ方しているからっていうのもあるんだけど、うちの中でも上位のシオンさま主義だったからさ。まさか無関係の子に恋するなんて予想外。しかもシオンさまに貢献できる情報よりも大事だって誰も想像すらしていなかったからね」

 シオンの実験にて生まれたロトム、ラット。雛ポケモンの刷り込みのようにシオンの後ろをついて回っていた。生まれた時からずっと強烈な個性をもつシオンの傍にいれば、その辺にいる人間もポケモンも陳腐な存在に見えて関心を抱けない。それ故にファンタジーを提供する刺激的なアニメや漫画に熱を入れるようになった。まあ、ラット自身画面の中に入り込んで活動できるので二次元の恋人がいても不思議ではなかったが……まさか三次元で意中の人ができるとは。いやはや人生とは何が起きるとは分からないものである。不定期で開催される女子会の参加者である小紫や蘭丸は薄らと知っていたものの、小耳に挟んだこともなかった男性陣の反応といったら滑稽なものである。松蔭にいたっては貴重な合法ロリ枠が男の色に染まってしまったと泣き崩れていた。
 先日のやりとりを話す蘭丸はときどきは思い出し笑いをする。よく喋り、喉が渇いては頼んだばかりの苺酒で喉を潤す。これで何杯目なのだろうか。ほんのりと桃色に染まった蘭丸の頬を眺めながら話を聞いていたネビロスは、ふと浮かんだ疑問を口にする。

「で、お前は何を浮かべたんだ?」
「僕? ……ん−、僕は」
「お客様、ラストオーダーのお時間となります」
「あれ、もうそんな時間?」
「日付けが変わる頃だな」
「残念。じゃあ今日はもう解散かあ」
「明日仕事だとか言っていなかったか?」
「……あはー」
「忘れていたな」
「大丈夫。今から急いで帰って寝ればなんとかなる」

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