絵本を食べる、幸せで膨れる。

 人の地雷を踏み抜くどころか走り回る最悪な奴。デリカシーがなさすぎる。自分勝手で人の都合を考えない。今まできっと他人からそこにいるだけで嫌悪され、息をするだけで憎まれる。そんな悪意に晒されることなく、陽の光をたっぷりと浴びて生きてきたのだろう。不幸を啜って命を長らえるなんてこともせず、惨めな思いをしてでも生きたいなんて1度でも思ったことはないのだろう。自分と正反対できっと相入れることなんて一生ない存在。
 それが白恋が抱いた塩谷への印象である。だとしても、白恋のトレーナーであるリリカが塩谷の飼い主である那須の恋人である限り接触することは避けられない。だから当たり障りなく、必要最低限の関わりで済ませようとした。だが、そんな白恋の考えなんて知ったことではないと塩谷は白恋の地雷を踏み抜いていく。白恋はこんなの些細な会話であると理解してはいるが、それでも自分の内面に触れられることがたまらなく嫌で拒絶し、時には暴力という形で塩谷を否定した。だが、塩谷はそれで白恋から離れることはしなかった。1度、塩谷による地雷の上でドッグランに我慢の限界がきて涙を零す白恋を見たときには後悔することもあったが。それでも白恋への印象をネガティブなものにすることなく傍に居続けた。
合縁奇縁。この世は予測のできない不思議なことで溢れている。

「しお、くすぐったい」
「んー」
「人の話聞いてる?」
「聞いてる聞いてるー」
「そういう返事をするときは大体聞いてないものだよ」

 声をかければ罵る。触れれば殴る。踏み込めば激しく拒絶する。全身に針を纏っているのではないかというくらい攻撃的で他人から距離を置こうとする白恋が。自分にも他人にも恵まれていてデリカシーに欠けている、この世で1番嫌いだとまで言い切っていた塩谷に心を許すとは。誰1人としてパーソナルスペースにいれようとしなかった白恋が塩谷に零距離になるくらいべったりとひっつかれても拒まなくなるとは。
 リリカも那須も。そして白恋自身も想像していなかったことだろう。ただ1匹、塩谷はそうなろうと諦めなかったので当然だと思っているのかもしれないが。とかくこの2匹の距離は出会ったばかりの頃では想像のつかないほど縮まった。

「それ、面白い?」
「うん。読んでみる?」
「字が細かい」
「小説というのはそういうものだよ。……しおには絵本の方がお似合いかもね」
「子ども扱いすんなよ」
「その言葉が出るってことは絵本を子どもの読み物だと思っているわけだ」

 離すまいと主張するように塩谷の腕が白恋の細い腰に回っている。力加減を間違えると折れてしまいそうだ、けれど緩めたら何かの拍子に逃げかねない。あらゆる前科をもつ白恋なので力を緩めず、しかし苦しくないように加減して。がっちりと抱き締める。そんな塩谷にはもう慣れたのか、白恋はその腕を気にとめず先日発売した小説に目を通す。最初こそは嫌と思うことはなくとも誰かとこんなに密着するなんて初めてのことで落ち着かなかった。今では塩谷の膝に座り、せもたれ代わりにと体重を預けるまでには遠慮も恥ずかしさも薄れていた。
 いつぞやか、そんな2匹を見た那須はついこの間まで追い回し逃げ回りを繰り返していたのによく分からない奴らだと首を傾げていた。リリカはザングースとハブネークだって恋に落ちることもあるし、そういうものだよね。と言いかけたが、トレーナーが言うのは無粋なものだと言葉を呑み込んでいた。

「冒険物ならしおも楽しく読めるんじゃないかな。これとか」
「んー」
「……同じ作品を読んで感想言い合うの楽しそうだな思ったんだけど」
「ぐっ」

 読んでいた本を閉じ、手作り感溢れる本棚に手を伸ばす。1人の少年がモクローとアシマリを抱っこした絵が表紙に描かれた絵本。水彩画でふんわりと仕上げられて優しい内容が想像されるが、そるにしては厚みがある。読むのが大変そうだとあまり乗り気でない返事をすると、白恋は手に取った絵本で口元を隠し、しゅんとした表情で塩谷を見上げる。
 それはずるい。天井を仰いであーっと言葉に悩んだ塩谷は「……だめじゃない」と。本を受け取る。ぱっと目を輝かせて嬉しそうにする白恋の顔を見たら小さな文字が羅列していると眠たくなるとか読書よりも外で駆け回りたいとか、そんなことは言えなくなる。鼻歌交じりで読書を再開する珍しい姿を見た塩谷は観念して絵本を開いた。

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