初夏の空気に溶ける

 春についた柔らかな新緑の色は濃くなり、朝に撒いた水を纏い、初夏の日差しをきらきらと反射させている。時折吹く風は風鈴を揺らしながら草木の匂いを運んでくる。アローラは四季の概念は他の地方と比べて薄いけれど、暦の上ではもうじき夏になるのだろう。ここ最近の気温は凶暴だ。
 外に飛び出した子どもたちに麦茶を注いだ水筒を渡しているが、水分補給をしっかりしているだろうか。日頃はお世話焼きなお姉さんの甘宮も水島や鳴神と並ぶと無邪気な子どもに返ってしまうので少し不安が残る。体力が尽きるまで駆け回りそうな3匹を思い浮かべ、スズメは溜め息を吐く。

「畳、新しいのにした?」
「一部ですがね?」
「匂いが新しくなってる」
「イワンコの嗅覚ですか」

 空になったグラスに麦茶を注げばカランと氷が沈む。そういえば先日トラヒコがお土産だと言ってお饅頭をくれたことをスズメは思い出す。「食べる?」ヒトトセに聞けば、ポケモンたちの前でよく喋る口からは気の抜けた返事が返ってくる。

「……もしかして、疲れ切ってます?」
「冷房のない家で夏を過ごせることが信じられない」
「え、暑いですか?」
「むしろ涼しくて驚いてる」

 ローテーブルに突っ伏す様子をしげしげと見た後、スズメは何を考えたのか饅頭をヒトトセの頭に乗せた。1つで終わるかと思いきや、2つ3つと積み始める。しかも無表情のままで。

「朝に打ち水をしたり蔓性の植物を育ててカーテンにしたりと工夫次第でいくらでも涼しくできるんですよ」
「あ、うん。このまま説明されると思ってなかった」
「大きな電化製品は維持費もかかりますからね。うちにそのような余裕は無いので」
「今、何個目積んだ?」
「6つめです」
「器用だなあ」

 淡々と積み上げてる合間に「アローラ男子らしく暑さ問わず元気な印象があるので意外ですね」突然話題を変えられる。そういうのは今更なので特に指摘することもなく、頭の上に乗せられた饅頭を1つ手に取り、袋を剥いて一口齧る。口の中で厚い皮がほろりと解け、白餡の甘味が広がっていく。

「ここに来る前に元気な子たちの鬼ごっこに付き合っていたから」
「私の記憶が正しければ、昼食前に甘宮と水島に連行されるよう我が家に来ましたよね」
「つまりそういうこと」
「断ってもよかったんですよ。あの子たち、見た目のわりに体力無尽蔵なので」
「お宅のお嬢さん、頭回るよなあ」
「……鳴神くんに悪知恵を仕込みそうですよね」

 朝から元気に外へ飛び出し、昼食前にヒトトセと鳴神を連れて満足気に帰ってきた甘宮と水島を思い出す。そういえば汗だくであった。この暑い中外を出歩けば当然かと風邪をひく前にシャワーを浴びさせたわけだけれど。なるほど、この炎天下の中鬼ごっこをしていたわけかと納得をする。恐らくだが甘宮が鳴神におねだりを仕込んだのだろう。それはもううんと可愛らしいやり方で。日頃の溺愛っぷりを考えれば一言返事で頷いたに違いない。それは申し訳ないことをしたと思うと同時に。この男、化け物かとスズメは頬を引きつらせる。

「突然のセクハラはやめてくれませんかね」
「貴方の職業柄鍛えているのは存じていますが、意外と筋肉もついているのですね」
「俺の体重が軽いんじゃなくて、そっちが怪力なだけだと思う」
「よく私の考えていることが分かりましたね」
「全然分からない。今の会話の流れでどうしてこうなっているのか全然分からないから」

 黙り込んで何かを考え始めたと思えば突然背後に忍び寄り、背中を触りだす。意味は分からないが様子を見るために放置をしていたら、あろうことか手を腹部に回してぺたぺたと触り始めたのだ。
 さすがに困惑したヒトトセはその手を掴んで止める。そして思う。薄々気づいてはいたが、スズメはパーソナルスペースが広いようで意外と狭い。というか、人との距離感がバグっていると。

「あの子たちとこんな暑い中鬼ごっこしていたとかどんな身体してるのかしらと思いまして」
「最近ちょいちょい思うけど、相当な自由人だな?」
「私の交友関係を考えれば分かることでしょう」

 心当たりあるでしょう? とでも言いたげな目で首を傾げる。ヒトトセは強烈な印象を残していった出来事を脳裏に浮かべる。あれはいつだったか、暇なら買い物に付き合ってほしいと言われて出かけた日のこと。そういうことももう珍しくない頃、道中にスズメの友人2人に遭遇した。そして、ならば祭りだとか意味の分からないノリで居酒屋に連行され、誰にも何も言わずに来てしまったから心配もしているだろうしそろそろ帰ろうとしたらなんやかんやと言いくるめられ、朝帰りをすることになったという。なお、この話にはその現場を目撃した誰かが今日は帰ってこれないだろうという話をして残された手持ちたちで集まって宴会を開いていたという落ちがある。

「……うん」
「エンとトラとつるんでいたらこうなるんですよ」
「あのとき、なんか途中から人が増えてた気がするんだけど」
「増えていましたよ。アローラあるあるでしょう」

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