赤い花は日常に溶け込む

 紅葉は他者との交流を酷く嫌っている。記憶に留めず、心の内に招かず。その日その場限りの存在として印象を残さない。だが、1匹で生き残れるほど器用でもなければ強いわけでもないので、仕方がなしにマフィアとして組織に属している。そこで関わる相手はさすがに個人として存在を認識し、それなりの付き合いはする。が、やはり踏み込ませはしなかった。
 紅葉は自覚しているのである。自分が身内に対してどれだけ心が弱く、揺さぶられるのかを。そして、大切な人の喪失を乗り越えられるほど強くないことも。現にもう何年も経っているのに最愛の片割れを失ったことに心が強く痛み、思い出した日の夜は声が枯れるまで涙を流す。
故に、2度と大切な人を作らないと決めていた。

「…………」
「読み聞かせしながら寝落ちするとか器用」

 だから、紅葉はみのりとの出会いをよく覚えていなかった。青天の霹靂のようなものでもなかったのだろう。もしかしたら、みのりからするとそうだったのかもしれない。けれど、間違いなく紅葉の中で初対面のみのりは第一印象すら抱くことのない通行人A程度の存在であった。もしも、誰かにいつから知り合ったのか、いつからそれほど親しくなったのかと聞かれても紅葉は答えられないだろう。そもそも、親しいとは思っていないのだから。

「んっ……っと」

 寝落ちをしゆっくりと倒れかかる身体を頭で押して姿勢を整える。それから手放さなかった絵本を咥え、リクライニングボタンを押す。ジジジッッと音をたてて頭が下がる際、その音や浮遊感で起きるかとも思ったが、どうやらリハビリでとっぷりと疲れていたようでその気配はない。それから枕元に絵本を置く。
 それにしても他人がいる空間でここまで眠れるとは平和ボケしている。呆れて寝顔を見ていると、身震いをして声を小さく零していた。もしかして寒いのだろうかと、足元に折りたたんでいた布団を咥える。しっかりかけると熱がこもって体温があがるらしいので繊細すぎて面倒臭いと思いつつ、とりあえず胸下までにしておく。
 翼を使えばもう少し楽にできるのだが、みのりの呼吸器官のことを思うとできず。故に口を使い、全身で行う動作は重労働であった。寝姿を整えることができたら、どっと疲れてみのりの隣に横たわる。

「こんなのおやゆび姫に見られたら何言われるか」
「んむ……」
「……野生に放たれたらすぐ食べられちゃいそう」

 それほどまでに弱々しいからか。見るからに無害そうだからか。さて、どうしてこの男は僕の意識に根強く残るのだろうか。存在感の主張が強いわけではない。印象深いエピソードを提供するわけでもない。奇想天外な行動をとるわけでもない。病弱な身体と同様に吹けば薄れそうなくらい脆いのに。
 寝息で酸素マスクを曇らせながら。胸を浅く上下させながら。本当に生きているのか不安になって耳を澄ませたくなるような形で眠るみのりをまじまじと観察し、理解できないと頭を振る。

「そもそも、なんで僕はお見舞いに来るようになったんだっけ」

 記憶を遡る。当然覚えていない。もしかしたらみのりならば覚えているのかもしれないが、直接本人に聞くのは躊躇う。いつもの紅葉ならばそれで相手が傷つこうが気にしないのだが……なんとなく。なんとなく、彼は傷つけてはいけない気がしていた。なぜ? と、問われれば首を傾げるしかできないのだが。
 目を瞑り、僅かに聞こえる寝息を聞きながら思考する。結局、答えは見つからず。ここに来るたびに同じことを考えている気がする。らしくない自分にうんざりした紅葉は小さく唸る。そして。

「帰ろ」

 思考を放棄した。

 ごろりとベッドから落ちるように身体を転がす。そのまま床に落下、などという間抜けな失敗を紅葉はすることなく、器用に足をつく。立ち上がった際にバランスが上手くとれず、よろけてしまうが壁にもたれて体勢を直す。くるりと身体を半回転させ、もう一度だけみのりの寝顔を確認する。こんなに隣で動いているのに起きない様子が自分では考えられないため呆れる。

「こういうところかなあ」

 が、悪意からかけ離れた様子だからこそ日常に溶け込んできたのだろうと納得してしまう。納得してしまえば、身体の力が抜ける気がした。そんなつもりはなかったというのにと、飾られた赤い菊に目を向ける。
 一歩、近付く。屈み、顔を近づける。に広がるそばかすが綺麗だと思った。それに伸ばす手がないので、代わりにと唇で触れる。

「おやすみ」

 帰ります。その意味を込めてナースコールを押す。できるだけ寝姿を整えたとはいえ、本職に任せた方が呼吸が楽な姿勢にしてもらえるだろうから。病室に近寄ってくる気配を確認してから窓枠に足をかけ、ぶわりと赤い翼を広げる。

「気が向いたらまたくるね」

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