全身が空木の体温に覆われたからか。それとも視界が遮られたからか。しんっと静まったことで花華夢は我に返る。そして、大分取り乱してしまったと反省し、おずおずと様子を窺うように空木の顔を見る。

「少しは落ち着いたな?」
「同じお風呂に入ったのに匂いが全然違う」
「そりゃあ、使ってるもの違うもんな」
「シャンプーもボディソープも私のものを置かせてくれるから……」
「だって見た目が商売道具だろ? じゃあどこでもいつも通りできるようにしておかないと」
「そういうことをするから居心地の良い場所になってるじゃんかあ」

 それはいいことじゃないのか? 言いかけた言葉を飲み込む。言ったら花華夢がまた意味の分からない怒り方をするのだろうと予想しての行動であった。が、こういうところで目敏い花華夢は頬を膨らませていた。
 きっと花華夢の中で言葉の整理をしているところだろう。待っている間手持無沙汰なので、膨らんだ頬を指で押してみた。ふにっ、と。抵抗なく、柔らかく白い頬に指が沈み込む。

「居心地が良すぎるとさ、離れがたいじゃん」
「え、何。別れる前提で付き合ってるの?」
「そんな前提作れる程度の気持ちで私が男と恋人になると思わないで」
「だろうなあ」

 頬に添えられた手に擦り寄る。それでも引っ付き足りないのか、「もっとちょーだい」と。ねだりながら空木を押し倒す。されるがままにソファーに横たわり、花華夢を抱き直す。ぴっとりと密着し、足を絡めれる。
 無言が続く。花華夢の耳に入るのは空木の心音のみ。そんな時間が数秒数分と経ち、ようやく決心したのか花華夢は口を開く。

「……お泊りした日の帰り道とか、ふと寂しくなる」
「うん」
「家に帰ったとき、1人だけの生活音しかしないとか。お布団の中で足を伸ばしても絡められないとか。そういうのが物足りなくなる」
「ふうん」

 ぽつりぽつりと語る。時折、不安げに空木の様子を窺っているときの仕草は無自覚なのか上目遣いとなっている。加え、かつては男を嫌い、猫をかぶることをやめてからはやたらと喧嘩腰で威嚇していた花華夢がこのようなことを言うようになったというのは、とてもいじらしく男心をくすぐられる。
 重ねられた小さな手をチラ見し、指を絡めてみる。不安げであった表情が少し和らいだ。

「でもさあ。四六時中一緒にいるのはなんか違うじゃん。多分、零距離密着な付き合い方は長続きしないタイプなんだよ、私たち」
「まあ、否定はしきれないけど」
「けど、こうやって誰かの内側にいれてもらえることが幸せだと思うようになってるというか。欲が出るというか」

 花華夢は意外と甘えたがりである。自分に厳しく他人を甘やかす傾向にあるのだが、空木と2人きりでいるときは懐いた野良ニャビーのごとく擦り寄ってくることが多い。少し前に、なんとなくそれについて聞いてみれば「誰かさんが甘やかし上手のせいだから! 今までの恋人にはこんな風に甘えなかった!」と。真っ赤にした顔で怒られた。確かに、空木がさり気なく花華夢を甘やしていることは否定できないであろう。
 が、だからと言って四六時中傍にいるような付き合い方ができるかと聞かれたら花華夢は即答で首を横に振るし、空木も首を捻ることだろう。何せこの2人、おいそれと口外できないような家庭環境を含め過去を抱えているのだ。どこかしら拗れている部分があり、親しい間柄だとしても一定の距離を置きたがる節がある。かと思えば、蓮実相手のようによく分からない距離感でべたべたに愛でることもするのだが。
 などということを言いたいのだろうと、空木は考える。こればかりは仕方がない話だと納得もする。さて、どう返せば良いかと頭を悩ませていると、花華夢は「まあ、この場合。誰かと言うより好きな人の、なんだけど」と。

「何笑ってるの。私、結構真剣に悩んでるんだよ」
「感慨深いなって」
「はあ?」
「あと、そういうの。男心としては満更でもないぞ」

 付け加えられた言葉に空木は小さく笑う。今の会話に笑いどころがあっただろうかと花華夢は眉間に皺を寄せた。そんな花華夢に「可愛い顔に皺がつくぞ」と言いながら、皺を伸ばすように眉間を押せば、可愛いという言葉に気を良くしたのかすぐに表情が緩んだ。

「まあ、面倒臭い一面を知ってから好きになってるわけだし」
「好きなんだ」
「俺が好きじゃない女の子と恋人になると思うか?」
「私と同じくらい拗れてるところあるから無理でしょ」

 そういうわけだ。そういうことかあ。
 お互いに納得したように頷き、目を合わせる。そして、なんだかおかしくなって2人して吹き出す。ひとしきり笑い合ったあと、花華夢はどうしてこういう話題になったのだろうかと首を傾げる。これには呆れるしかない空木はやれやれと肩を竦め、で? と脱線しかけた話を元に戻した。

「これまでのことを要約すると?」
「要約すると……そう! 甘やかされすぎるともっとそらくんといちゃいちゃしたくなって距離感保てなくなるから困ります、と言いたかったの」

 徹頭徹尾、花華夢は真剣に話している。至って真面目に、ボーダーラインを越えられるのは恋人相手でも嫌でしょう。守るためにもこれ以上好きになるようなことはしないで。と言っているのだ。
 まあ、つまり。聞く側からすれば熱烈な告白だ。

「とりあえず、今日は甘やかしすぎた罰でいっぱいちゅーすることを求めます」
「今までの流れをぶった切るような発言したな」
「それとこれは別で、その流れでしっかりそういう気になったから」
「ああ、なるほど」

 さては、最初からそういうつもりだったのに素直に言うのも恥ずかしくて途中からこの流れを作ったな。
 最初の方は本当に甘やかされすぎていっぱいいっぱいになっていたのだろう。だが、この開き直り方。途中から言動行動とは裏腹に思考は極めて冷静だったようだ。それにようやく気付いた空木。ぱちっと目が合えば花華夢はちろっと舌を出し、悪戯っぽく笑ってみせるのであった。

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