その日、珍しく食堂に蛍子がいた。普段は可愛らしくリボンのような形にまとめた長い尾を上機嫌に揺らし、みずみずしい果物とふんわりと柔らかなホイップクリームをみっちりと詰め込んだフルーツサンドを頬張る彼女は、朝ご飯を食べに来た音羽の姿を視認すると片手をぶんぶん振って「おとちゃん、ここ空いてるよー!」と、向かいの席を指さしていた。
はて、今日は何かあっただろうか? と、首を傾げる。昨日の夜に無性に食べたくなって頼んでおいた親子丼を受け取り、席へ向かう間に「あ。今日は定例会議があるんだあ」と、納得の声をあげた。
「ほたちゃんが定例会議の朝から本部にいるって珍しいねー」
「気まぐれだよぉ」
「もっと気が向いてくれていいんだよ?」
両手を合わせて、ぽつりと食前の挨拶を零す。それから丁寧な手つきで箸をもち、親子丼を突き始める。とろとろとした卵は鶏肉に絡まり、照明の反射できらきらと輝く。それを一口で頬張り、ひと噛み、ふた噛みをすれば肉汁がじゅわりと口腔内に広がる。朝一から味わえる幸せに頬を緩め、食事を進めていると「そういえばさあ」と、蛍子が声をあげる。
「おとちゃんの彼氏さ」
「ん?」
「男前というか、紳士に育ったよねぇ」
「そうだけど……急にどうしたの?」
思わぬ話題に箸を止め、視線を蛍子に向ける。それに気にすることなく、フルーツサンドを頬張りながら蛍子は話を続ける。
「この間、お散歩してたらおとちゃんの彼氏をみかけて、近付いて観察してたんだぁ」
「昔と比べたら人と関わるようになったとはいえ、突然奇妙なことされたら怖がっちゃいそうだからやめてあげてほしいなあ」
「逃げ腰で怯えられちゃった」
「うん、目に浮かぶ」
「だというのにだよ! 彼氏くん、階段だとわたしの後ろ立つとかそういうことを当たり前のようにしていて、紳士だなあって」
ホイップクリームを頬に付けたままきゃっきゃと黄色い声をあげてナードのことを褒める蛍子の服装を上から下へ観察する。下乳もおへそもでている上着。尻尾を出すために尾骶骨からお尻の割れ目がちらつくくらいの穴が開いたパンツ。なったんのことだから目のやり場に困りながら庇ったんだろうなあと、そのときの様子を目に浮かべて小さく笑う。
それから、ナードが音羽の彼氏であることを蛍子に話したことはあるが、蛍子が音羽の親友であることをナードに話したことはあっただろうか。と、首を傾げる。そして数秒後に、知っても知らなくても彼は同じ行動をとっただろうという考えに落ち着いた。
「あれは相当モテるだろうねぇ」
「やっぱりそう思うよね! なったん、優しいしどんどん格好良くなるからさ。おともそう思ってるんだあ!」
かつて、引き籠りであったナードは自ら外に機会が増えた。出会った当初、音羽が強引にでも連れ出さないと太陽光すら浴びなかった姿もあまり見なくなった。そうすれば当然音羽以外の人と関わる機会も増えていったナードは経験不足から、音羽との交流をベースに人と関わっている節がある。
つまり、女性に対して優しいのだ。特に無防備に対する露出を自分が壁になって隠すところは女心をくすぐるというものだろう。
「ほら。おとって背中から翼を生やすためにお洋服の背中ががっつりと開いているじゃん。それが普通だから気にしていなかったのだけれど、なったんはそうじゃなかったみたいでね。そういうところを度々隠しているうちに癖づいちゃったみたいで」
「きゃーっ。見られても気にならないから出してるんだけど、改めて意識しながらも守ってくれている初々しい感じがかーわーいーいー!」
「でしょでしょ! だけどね。身長も手や足もおっきくなってね、育つのが早いところが男の子だなあとか。ふとしたときの真剣な顔つきがすっごくかっこよかったりね!」
「べた惚れだねぇ」
真剣な顔を浮かべるのは主にゲームのときなのだけれど。涼しい顔立ちをしたイケメンと密やかに言われているナードが実は真剣な顔でゲームをして、口悪く罵る。そのような姿を知っている人は一握りだろう。そういう一面もナードの良いところなので知ってほしい反面、独り占めしたい気持ちもあるため黙っておく。
それからね、それからねー。と、ほんのりと赤らんだ頬に両手をあてて楽し気に惚気話を口にする。ピュアな恋愛から縁遠い蛍子は興味深げに耳を傾ける。途中から視線を感じて目を向ければ、話題の人が困った顔して足を止めていた。
「おとちゃん。愛しの彼がお迎えに来てるよぉ」
「あ、なったん! どうしたの? あ、ちょっと待ってね。すぐ食べ終わるから!」
「……慌てなくていいよ。おとは飲み込むの下手ですぐむせるから」
「んっ。ちょっと待ってね」
ごろごろと入っている鶏肉と白米を一口で頬張る。もきゅもきゅと咀嚼している音羽に近寄る。蛍子にちらっと目を向け、少しだけ頭を下げれば「立ってると目立つよぉ。座って座って」と。音羽の隣に座るように勧められる。言われるがままに隣に座ると、音羽はにへらと笑う。緩んだ口元に米粒がついており、ナードは呆れながらひとつまみする。
「落ち着いて食べてって」
「はぁい」
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