音羽は裏表がなく、感情も表情も豊かである。だから、隠している一面というものがあまりない。つまり、音羽の隠れた一面がほとんどないのだ。それについてほんの少しだけ唇を尖らせて拗ねてみれば、音羽はきゃっきゃと嬉しそうに話す。
こういうところを素直に言えるところが音羽のすごいところである。そう、改めて思わされたナードは少し考える。そういう面で見せる顔、すなわち恋心が揺れることで浮かべる表情のこと。だが、数時間前に見た蛍子にナードのことを話している音羽の様子もまさに恋する女の子というものであった。じゃあ、音羽はどういう顔をナードしか知らないと言ったのだろうか。
他の人がしなくて、ナードだけがやること。1つだけ思い浮かぶものがある。周囲を見渡し、人影もないことを確認する。あまり外ですることは避けているのだけれど。数秒悩んでから繋いだ手を引っ張る。そして──。
「そういう顔のこと?」
「あ、う……」
そっと口づけをする。ここで唇ではなく、少し外して口角あたりというのがナードらしいのだが……音羽には効果抜群だ。耳まで赤くし、空いた口が塞がらない。音羽が不意打ちに弱いのもあるが、ナードが外でそのようなことをするなど思いもしなかった。言葉にならない文字を並べ、狼狽える。照れが勝り、顔を見るのも見られるのも限界となった音羽は隠すように蹲る。確かにこの顔は他の人には見せたくない。機嫌を良くし、同じようにしゃがんで頭を撫でる。
甘酸っぱい空気が広がる。音羽の緊張がナードに伝わったのか、こそばゆくなる。どちらが先に口を開こうかと躊躇っていると、どちらでもない第三者の咳払いが2匹の耳に届いた。
「おい、オマエら。いちゃつくなら家とかでやれ、うぜぇな」
「〜〜っ!」
「わあああ!!」
「うっせえ」
不愉快の三文字をでかでかと顔に書き、不機嫌丸出しに舌打ちをする希温が仁王立ちをして2匹を見下ろしていた。一拍二拍と間を開けて、1匹は声にならない悲鳴を1匹は2匹分の声量で悲鳴をあげる。
動揺に身を任せて勢いよく立ち上がり、文脈が成立しない言い訳を口にする。それに興味ない希温は「うぜえ」と。一蹴する。
「ききききはるん、なん、なんで!」
「定例会議の時間が変わったから心優しーオレが教えにきてやったんだろ、感謝しろ」
「そ、そうなの。何時からになったの?」
「今から」
「やったー! じゃあ、終わりも早いね!」
「安心しろ、オマエの終わりはいつも通りだ」
ナードからひったくるようにお茶請けの入っている紙袋を奪い、音羽の持っている物に目を向ける。舌打ちを1つしてから「ばかすか買いやがって。アイツがまたキレるぞ」と。綺麗にまとめ、ポニーテールを揺らす後頭部を容赦なく叩く。未だに動揺を落ち着けることのできなかった音羽は叩かれた勢いに舌を噛む。後頭部よりも舌の痛みに目を潤ませながら、「あっきーを丸め込む準備はできていますーっだ」と。ひりつく舌をべぇっと出す。ふんっと鼻を鳴らし、先へ行こうとする希温を追う前に、置いてけぼりとなりかけていたナードの方へ振り向く。
ちょいちょいと手招きする仕草につられるよう、ナードは屈んで耳を傾ける。それでもなお、まだ残る身長差に対して音羽は少し背伸びをし耳元でこっそりと、囁く。
「早く終わらせて戻るからさ。さっきの続き、あとでちゃんとしてね?」
「は……はあ!?」
さっきの続き。ちゃんとする。
その言葉でいろいろ深読みしてしまうのは仕方がない。ナードだって男の子であるのだから。ようやく落ち着きかけた顔の赤みは再度、首元まで真っ赤に染まる。コイキングのようにぱくぱくと唇の開閉を繰り返す姿に、隙ありと頬に口づけを落とす。そして、音羽は悪戯が成功した子どものようににひひと笑う。
「……ロビーあたりで待ってる」
「はぁい。いってきまーす!」
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