水道管と隣人

 
ぽた、ぽた、そんな生易しいものではない音に、部屋で一人頭を抱えることになった。

なんてことだ。水道管が破裂した。
とにかく早急に修理しなくてはならない。そのためには一番近い休日…スケジュール帳を確認しなくてもわかる、明日だ…の予定をすべてキャンセルして、専門の業者を呼ばなくてはいけない。

前々から嫌な予感はしていたのだ。ぎいぎいとやけにうるさく軋んでいるな、とは。自分の気のせいかと思って放置していたのが悪かったらしい。
しかしまさか、いきなり破裂するなんて思ってもみなかった。おかげで全身びしょびしょで、不幸中の幸いだったのはまだ残暑で寒くないことくらいだった。

とにかくこのまま放置すれば水道代がバカにならない。服を変える暇を惜しみつつ部屋を飛び出し、外にある元栓を回す。確かな手応え。
おそるおそる部屋を覗いてみると、勢いよく辺りに飛び散っていた水はなりを潜め、静かな空間が戻ってきていた。しかし板張りの廊下は無残にも水浸しになっている。
床を拭くのも面倒な限りだが、さすがにこのままで普段の生活をするのは嫌だ。

確か前に使っていた雑巾はボロボロで捨ててしまった。新しいものはあっただろうか、なければもったいないがティッシュで代用するか、そんなことを考えていると、隣の部屋のドアが開いた。

「あ」
「…え」

蜂蜜を凝縮したような綺麗な色の目がこちらを向いた。
沈黙。

「…こ、」
「え」
「コイじゃないです!!」
「は!?」

コイって、鯉?
間抜けな疑問が頭を満たす程度には、私もその人の登場に混乱しているようだった。


―――
――――
コイは鯉ではなく(もちろん恋でもなく)故意だった。
顔を真っ赤にして走り去っていったその人の後ろ姿を呆然と見送った後、「そうか故意ではなかったか」と遅ればせながらに理解をした。吹いた風は涼しかった。

下を見ると、なるほど、びしょ濡れのまま放置した服が目に入る。それはみっともなく肌に張り付いて、さらに生地が薄く下に着ているものを透かしていた。
――下に着ている、つまりは下着である。
部屋着で外には出ないからと油断していた。そもそもイレギュラーな事態が起きたからすっぽ抜けていた事項だった。見事なラッキースケベを食らってしまったのだ、あの人は。
…本当にラッキーなのかは当人のみぞ知る。

なんにしても、痴女として認識されてないといいなあと願うばかりである。

のろのろと床を掃除してから着替えをして、ついでにとスーパーに出かける準備をする。確か今日はイカの天ぷらが売られているはずだから、それは絶対手に入れよう。
そういえば今日の風呂はどうしよう、銭湯ってこの辺にあったっけな。それとも漫画喫茶でシャワーだけ借りるか?ぼんやり考えを浮かべては打ち消していく。

ダメだ、何も考えたくない。明日水道直してもらったら入ろう。トイレは、うーん、…いっそホテルに泊まりたくなってきた。ぐうたらしたい。
最終手段はコンビニのトイレとウェットティッシュかな。そんな適当なことを考えてアパートの階段を下りていると、先程勢いよく走っていったその人と鉢合わせしてしまった。

「…」
「…」
「「……」」

沈黙が痛い。
向こうは私の下着を見てしまったという罪悪感が、私は向こうにみっともない(嘘だ。そんなにみっともないものでもないと思っている)下着を見せてしまった気まずさがあるから、立ち止まって何も話せなくなってしまった。
不自然だが会釈だけして外に出よう、そう思って足を上げたとき、向こうが「あのっ」と声を出した。声はひっくり返っている。

「いきなりドア開けてごめんなさい!」

と、気が逸れた瞬間、胸元に何かを押し付けられる。
近場にあるドンキとかいうところの袋だ。
反射で受け取ってしまった私を放って、男性は勢いよく階段を登っていった。…この袋はなんだろう、お詫びだろうか。中には色とりどりのお菓子やおもちゃらしきものが入っている。

「こんなにもらっていいのかな…」

中身を軽く確認したが、こんなにお詫びとして受け取るほどの価値があったとは、…うん、自分でも思わない。むしろこちらがお詫びを渡すほうだ。
安っぽくなるが、何も買わないよりはマシ。
スーパーで何か気に入りそうなものがあれば買ってこようと、心の中にメモをして、持っていたエコバッグにドンキの袋を入れた。