足かせが重い
映画は漫画の実写化だとかいうものを見た。
木兎光太郎はその隣で広告を出していた恋愛映画を見たがったが、私が頑なに譲らなかったので渋々こちらの選んだものにしたといった様子だった。どっちにしても、彼は恋愛よりもアクションのほうが性に合っていると思う。
恋愛映画は少し苦手だ。
アクション映画は中々面白かった。木兎光太郎もお気に召したのか、「面白かったですか」という問いに元気よく「おう!」と答えた。でも少し残念そうだったのは、やはり流行りの恋愛映画を見たかったからなのかもしれない。
雑貨屋の後にのんびりと店を回っていたからか、映画が終わる頃には二十二時を過ぎていた。そろそろ帰らないとダメかな、と思いつつも、最後に行きたい場所が残っていたので電車で揺られる。
「最後に行きたいとこってどこ?」
「…」
「またスルー?」
「…言うべきか悩んでただけです」
「えっ、言ってよ!なんで隠すんだよー」
ぶすくれる木兎光太郎が面白くて、笑いがこらえられないまま「冗談です」と口にした。別に、隠すようなところでもないし、面白いところでもない。
「海ですよ。私、海で夜明けが見たいんです」
この時間からじゃ無理だけど。
木兎光太郎は私の言葉に頷いて、宿でも取るかと聞いてきた。首を横に振ってお断りする。私はいいのだが、彼は明日練習がある。午後から出るという彼に無茶はさせたくない。
海での夜明けなんて面白くもなんともない。ただ明るくなって次の朝を迎えるだけだ。それでも、少し見てみたいと感じたのはなぜだろう。映画みたいなシチュエーションに希望が生まれると思ったからだろうか。
今日は夜の海を堪能します、と一言追加すると、木兎光太郎は少しつまらなさそうな顔をした。
「ロマンチックな景色で告白したいのに」
その言葉は電車が揺れる音にかき消されていた。
―――
――――
駅から歩いて五分ほどのところに海があった。砂浜に足を踏み入れると、いくつか捨てられたゴミを見つける。不法投棄はやめといたほうがいいのになあとぼんやり考えた。
私と一緒に砂浜へ降りた木兎光太郎は、水族館と同じように目をキラキラさせて海の方へ走っていった。運動部とだけあって速い。
緩慢な動きで私も海に近づくと、木兎光太郎は近くにいた小さなカニをつついて遊んでいた。
「碧羽って、実は海好きだろ」
「なんですか急に」
「や、だって、水族館にも行ったのに海にも来たじゃん。こんなに寒いのに」
言葉に詰まる。もう秋の暮れで水は冷たいし、泳ぐ人間なんていない。夜中だから当然なんだろうが、夏だったら花火をする人だっていただろう。
それでも海に来たがったのだから、私がそれを好きだと思ってもおかしくなかった。事実私は海が、というより綺麗な水に触れることが好きだ。水族館のペンギンコーナーだってものすごく興奮していた。
でもまさか、そんなことを言われるとは思ってなかった。
だんまりを決め込む私に、彼はにっと笑う。
「好きなものがわかって嬉しい」
心臓が飛び跳ねた。その笑顔にその言葉はずるい。この人は天然の人たらしだ、誰かに勘違いされたっておかしくない言動を平気でやってのける。
顔が熱くなるのを感じながら「そうですか」と無愛想な返事をする。この人の言動をいちいち間に受けてたらいくら心臓があっても足りない。ちょっと期待してしまうのは事実だけど。
でも、その期待はどうせ裏切られるのだ。私は既に何度もそれを体験している。
波が打ち寄せては引いて、私と木兎光太郎の沈黙に入り込んでくる。ぎりぎりのところで届かない波が砂の色を変えて引っ込んだ。
彼がつついていたカニが慌てたように通り過ぎていった。気になって木兎光太郎のほうを向くと、彼は海のずっと遠くを見ているようだった。何を見ているんだろう、何を考えているんだろう。気になる。
びゅう、一際強い風が吹いて体温を掻っ攫う。思わず身震いした。
「帰りましょうか」
もう充分だ。今日の思い出があればまた幸せに生きていける。好きな人にここまで付き合ってもらえただけで、もう。
木兎光太郎は明日練習だ。私の趣味に付き合わせて体調を崩したら元も子もない。私は彼のバレーをする姿が好きなのだ。
「なあ、」
彼のその姿は、私の世界を変えてくれたから。
「好きだ」
「何、言ってんですか」
思わずこぼしてしまった言葉に、木兎光太郎は素早く反応を返した。
「だから、碧羽のことが好きなんだって」
「気のせいじゃないですか」
「そんな軽い気持ちで告白なんてしねーよ」
「…気のせいです」
「気のせいじゃねーって!」
「気のせいなんです」
気のせいだ、錯覚だ。木兎光太郎は友愛と恋愛を勘違いしている。血の気が引いていく。寒さに震えていた唇が、別の意味で震え始めた。ありえない、その感情はあなたに芽生えていない。
絶対に。
木兎光太郎はこちらの腕を掴んだ。もう片方の手が顔に伸びてくる。
「こっち向いて、碧羽」
「嫌です」
「お願いだから」
「嫌ったら嫌なんです。木兎さんの目なんて見たくない」
顔に伸びた手を強く振り払って拒絶を示した。好きだ、私だって彼のことが好きだ。でも彼の手を取ることはできない。告白だってしちゃいけない。
高校の時の告白を思い出す。先輩、私が大好きな先輩。彼は私に呪いをかけて消えてしまった。罰だ。ドロドロの感情を抑えきれなかった私に、先輩が与えた罰なのだ。だからこの告白は受けてはいけない。
振り払ったはずの手がまた頬に添えられる。思わず見てしまった彼の目が、とろりと蜂蜜をこぼしたように甘い色を宿す。
「やっと呼んでくれた」
「え、」
「俺の名前」
肌が粟立った。そう、そうだ、私は今まで心の中で彼のことを呼んできたけれど、実際に口にすることはなかった。言葉は呪いだと思って怖かったから。
木兎光太郎の声が甘かった。全身で喜びの感情を表していて、本当に幸せなことなのだと伝えてきていた。
それが何よりも怖かった。
「ね、返事。聞かせてくれよ」
「嫌です」
「聞かせてくんなきゃ眠れない」
「嘘つかないでください」
「なんで嘘ってわかるんだよ。俺だって悩むことあるんだけど」
「わかるんです、それくらい」
木兎光太郎は私のことなんて忘れて眠ってしまう。知っている。ほかの誰より私が知っていることだ。
「お願い。今、返事聞かせて」
赤葦の顔が思い浮かぶ。このデートは彼の策略によるものだ。彼はきっと私の背中を押したくてこんなことをしてくれたのだろうが、本当に余計な世話だった。
だって苦しい。私はこんなにも苦しい思いをしてしまっている。好きな人から告白されて嬉しくない人間なんていない。なのに私はこれを断らなきゃいけない。そんなの、ただ、ただつらいだけじゃないか。
木兎光太郎の目が私を見つめていた。太陽みたいに眩しいそれは夜の海の中でも光っていて、それが春爛漫のあの日を思い起こさせる。
ダメです。無理です。付き合えません。ぐるぐると言葉が頭の中で回る。
木兎光太郎、ぼくと、木兎さん。
…――木兎先輩。
「先輩、私のこと、忘れちゃうじゃないですか」
絞り出した声が、波風の音に浚われて消えた。