青い糸の先
とうとうこの日がやってきてしまった。これからのことを思うと大分気が重い。
先週、家に帰ったらドアノブ付近にメモが貼り付けられていた。バイト帰りに近くのゲーセンで遊ぶ癖がついているのだが、それをやめていたら未来は何か変わっていたかもしれない。
指定されたのは水曜日。授業は2限までしかなかったし、その日に限ってバイトも休みで、午後から丸っきりフリーの状態だった。誰かの策略に違いない。
たまたま向こうの予定が空いていただけなのかもしれない。けれどそうは思わせない原因があった。メモの字だ。
木兎光太郎の書く文字は豪快なもので、何度か見かけたことがあるけれど、空いているスペースを余すことなく使う。読めればいいと言わんばかりに形も崩れていて、悪筆と称しても問題ないくらいだ。
メモに書かれた文字はきちんと真ん中に集まっている。癖はあるが悪筆というわけでもなく、随分と読みやすい。確実に木兎光太郎の字ではない。
「赤葦…」
字の持ち主の名前を呟く。木兎光太郎と交流があり、かつ私の予定を知っている人物なんて彼しかいなかった。
おそらく彼なりの背中の押し方なんだろう。いつまでも吹っ切れない私の尻をひっぱたくのはいつも赤葦だ。その頑張りも、私の意気地なしの前では形無しになるのだが。
渋々待ち合わせ場所に向かうと、木兎光太郎は既にその場所にいた。
180を超える身長に合わせたガタイの良さ、さらに人とは違った髪や目の色で目立つ彼はわりと見つけやすい。そわそわと体を揺らしている彼に近づいて声をかけると、その巨体があからさまに飛び跳ねた。
「…碧羽っ!?」
「はい。こんにちは」
声がでかい。
木兎光太郎は私のことを確認すると、なぜか肩の力を抜いた。「良かった、来てくれないかと思った」…緊張していたんだろうか。私も木兎光太郎は約束を忘れてないかと思いながら来たのだけれど。
「何処に行きましょう。行きたい場所とかありますか?」
「ん、んんー、…なんも考えてない」
「…それじゃあ、私の趣味に付き合ってください。水族館、雑貨屋、あと映画ともう一つ」
「そんなんでいいの?」
「どんなのを考えてたんですか…あんまり面白くないかもしれませんけど」
私の言葉に彼は焦りを見せた。
「碧羽となら絶対!どこでも面白いから!」
鼻息荒くそんなことを言わなくても。っていうか、そんなに焦らなくても帰らないんだけど。
色々言いたいことはあったが、口にすることでもないと思って、愛想のない返事をしてしまった。デートってこんな始まり方で良かったんだろうか…。
―――
――――
時間を考えて、まずは水族館に行くことにした。
博物館や美術館より水族館や動物園が好きだ。植物園もベンチに座って気を抜くことができる。何より広くて歩き回れるのがいい。美術館や歴史系の博物館は…見ているとたまに頭が痛くなってくる。
多分好みによるんだろう、同じ学科の友達は歴史系の展示を見に行くことが好きと言っていた。私は多分、あまり歴史に興味がないから頭が痛くなるのだ。
赤葦はどうだったか。静かな空間を好みそうな人種だし、美術館や図書館なんかを好んで通いそうではある。木兎光太郎はどっちだか知らない。ただ、水族館に来てからは目を輝かせていた。
「この魚うまそう」
「水族館の魚は食べれませんよ」
「知ってます!」
幻想的な雰囲気だけを味わいに来た身として、魚の説明をじっくり読むつもりはない。写真をいくつかスマホに保存しつつ歩いていると、一つのコーナーに当たった。
人ごみの中で立ち止まる。コーナーがコーナーだけあって、見ている人は他のコーナーより少ないけれど、後ろから恨めしい視線が飛んで来た。気がつかないふりをしてじっと見つめる。
「好きなの?」
「中学の頃の名残で、好きといえば好きですかね」
「へー…誕生日に」
「いりません」
「えっ」
信じられないみたいな顔をされても。いきなりこのコーナーにあるもの…カエルを渡されても嬉しくない。どっかの割引券のほうが遥かにマシである。
そういえば魔法の学校が出てくる小説であったチョコ、カエルの形だったな。あれなら欲しいなあと思いながら木兎光太郎の背中を押した。誕生日には相応のものをねだるからしょぼくれないでほしい。
外に出ると、ガラス張りの天井をペンギンが泳いでいた。水はそんなに入ってないのだろう、透明なままの水槽はそのまま空の色を映し出していて、ペンギンが空を飛んでいるようにすら見える。
「面白いな!」
「そうですね。写真撮ります」
「あっ、俺!俺も撮って!」
携帯のカメラを向けると、木兎光太郎が走ってペンギンのそばに行く。人物の写真なんて撮ったことがない。上手くできるだろうかと手が震えた。
「碧羽!撮れた!?」
「…」
「なー碧羽!」
「さ、雑貨店に行きましょうか」
「スルーはやめてください!」
ぶれぶれの写真なんて見せられるもんか。
結局、ぶれた写真は私のスマホにしか保存されなかった。ミュージアムショップで魚の標本を売っていたので、来年の誕生日にはこれをねだろうと思う。
水族館の程近くに、私の気に入っている雑貨屋がある。こだわりもないタイプだが、雑貨屋は見るだけでも楽しい。
今日は新しいマニキュアでも買おうと思って敷居を跨いだ。連れの彼はこういう店には行かないようで、物珍しそうに辺りを見渡している。甘い匂いのハンドクリームを手渡すと鼻の近くに持って行って顔をしかめていた。
「バニラキャラメルの匂いって何」
「すごい甘い感じの匂いです」
「めちゃくちゃ甘い匂いだよな」
「めっちゃ甘い匂いですね」
薬用でないので効果はさほど期待できないと見ている。
ハンドクリームを元の場所に戻し、男をおいて奥まった場所にあるマニキュアを見に行く。京都に本店を構えているらしい、他店から仕入れているマニキュアは、他のものより幾分か落ちるのが早いので重宝している。
今回は何色を買うべきか。緑はこの前買ったばかりだし、薄ピンクも今日の気分ではない。そうだ、普段つけている青が少なくなってきていた。今日は青系統を買おう。
そう思いながら青を取ろうとすると、横から伸びてきた手が一つの小瓶を手にとった。その中に入っているのは、鮮やかな赤。
「これすぐ落ちんの?もったいねーなー」
木兎光太郎だった。ハンドクリームのところで分かれたと思っていたのだが、どうやらきっちりついてきていたらしい。
「飲食店で働いてるので、すぐに落ちる方が便利なんです」
「そんなもんなのか」
「私としては、ですけどね。…それ、お試し用ですよ」
色々不満そうな彼に忠告も兼ねて言ってやると、水色のマニキュアに触れていた手を取られた。薬指に試用の赤色が塗りたくられる。
ぽかんとしている間に、彼は自分の手の薬指も赤色を乗せた。
「運命の赤い糸!なんちゃって」
私が理解をした数秒後に彼は地面に沈み、その後買ったマニキュアはもちろん青色だった。