あの日はいつも夢の中

視界が白く染まっていく。
しんしんと降り積もる小さな結晶の塊は、誰を贔屓に見るわけでもなく平等に熱を奪っていく。このままだと凍えて死んでしまいそうだ。

ああ、いや。"死んでしまいそう"なんじゃない。"死ぬ"のか。

脇腹に咲いた紅い花が広がっていく。花の中心に刺さった鉄棒の辺りは痛みどころか熱ささえ鈍くなっているのがわかった。意識は着実に白に追い詰められている。
白は嫌いだ。何にも染まっていないそれがひどく腹立たしかった。いつまでも、人間は無垢でいられない。周りからはたとえ白く見えていても、本当にすべてが白いのかはわからない。

あの人だってそうだ。自分たちに関わるまでは世界の一面しか見ていなかった。見えていなかった。何も知らない軍人のままだったのに。
自分たちが、あの人をほかの色に…そう、黒、孤独に似ても似つかない色に染めてしまったのだろうか。それを思うと、えも知れぬ感情が胸中に沸き起こる。
ダメだ。自分はスパイだ。スパイは何かを遺すようなヘマをしてはならない。

引継ぎは、なんとかなる。データのほとんどはもう渡してある。足がつくようなことはしていない。きっとあの人なら、自分を使った、あの魔王なら何とかしてくれる。
襟にも気づくよう、目印もつけた。あとは魔王の手腕に任せるだけだ。思い残すことはない。

思い残すことは、ない。
…、

「…―――、」

――佐久間さん

「さくま、さん」

あなたは、僕たちを覚えているでしょうか。出自も性格も偽った僕たちのことを。あなたに色を残してしまった、僕たちを。
できることなら、僕は、


思考は白く染まり、降り積もる雪のように静かに溶けて消えていく。

――ああ、だから雪は嫌いなんだ。


―――
――――
三好が死んだと伝えると、佐久間さんは至極不思議そうな顔で言った。

「三好ならそこにいるじゃないか」

しんと静まり返った課内。佐久間さんの指が指し示す方向を見ても、そこにはD課専用のシュレッダー(2台。片方はこの時代になんと手動である)があるばかりで、どう見たって人影らしいものはない。
もう一度佐久間さんを振り返る。難しそうな顔をしている彼にもう一度聞く。

「誰が、そこにいる、って?」
「…三好が、シュレッダーの前で座っている。机の上に」

振り返る。いない。

「佐久間さん、病院行きましょっか!」

珍しく青ざめている神永が言って、小田切もそっと自分の携帯を机に置いた。課の電話に手をかけたところで、佐久間さんが慌てたように待ったをかけた。
怪しすぎる。とうとうD課で精神をやられたか。様々な不安を胸に抱きつつも受話器を押さえ付ける。日々D課の面々にからかわれ続けている彼のことだ、ストレスで何かしらの幻覚を見ていても何ら不思議ではない。

佐久間さんはしどろもどろに言った。「自分の見間違いだったみたいだ」と、何度も。
実井がそっと佐久間さんの肩を叩いて、波多野が机の上に胃薬を置いた。全く信用されていないぞ、佐久間さん。俺も信用していないけれど。
複雑そうな男の顔からそっと目を逸らし、書類を手渡す。

「死んだ理由を辿れ、とのことです」
「ああ、…?」
「…何か見えるんですか?」
「いや!何でもない!」
「…」

本当に大丈夫なんだろうか。早々に不安しか湧いてこない。

三好が(正確に言えば三好のカバーが)死んでから三日。
情報は鮮度が命という中、俺は一抹の不安を覚えながら佐久間さんのサポートにつくことになったのだった。