きみとぬい

しまったと思ったときには時すでに遅し。

「ぬ、」

組織での仕事が終わり、気を抜いたらこれだ。誰にも見られなかったのは幸いというべきか…なんにしても、任務完了の連絡をしておいてよかった。このあとは特にすることもない。
体に身につけていたものは服以外のものが巨大化している。路地裏でぬいの姿になったことなどない、どうするべきか悩むところだ。

荷物の全てが地面に落ちている。携帯以外に重要なものは入っていないからいいが、問題は誰にも見つからず家に帰る方法だ。
今日は普段怠惰でぬいぐるみになるのを抑えているせいか、普段と同じ方法で戻ることができない。面倒くさがるんじゃなかった、数分の休憩でもぬいになっていればまだ悩む時間が減ったものを!

夜に己よりもでかい携帯を引きずるぬいぐるみなんて目撃されたらたまったもんじゃない。まず通報、あるいはUMAと騒がれることだってなくはないのだから、下手に動くこともよしたほうがいいだろう。
溜まったバグを今ここで精算している気分だ。ノラえもんだかなんだかのどこでもドアがほしい。もしくは大きさを変えるライト。

とにかく状況を見ながらどう帰るか決めることにする。本当に服だけが縮んだらしく、自分の靴でさえ現場に置き去りになってしまうが仕方ない。気に入った靴だったのだが…。
こういうときは靴の手入れを怠らなくてよかったと思ってしまう。なんせこの体でもある程度五感が存在しているものだから、ゴミ箱なんかに入れられたらまず間違いなく吐く自信がある。

それにしたって便利なようで不便な仕様になっているな、ぬいぐるみ変化は。

携帯に手をかけた。筋力がぬいぐるみ程度にまで衰えているのか、重くてまともに持ち上げることができない。ぐうう、ぬいぐるみの体がますます恨めしくなる。
ぬい、ぬい、耳に届く自分の声がなんとも間抜けに聞こえて力が抜けるのも要因だが、どっちにしたってこれはまずぬいぐるみになる体がいけない。早く戻りたい。

音を立てつつ携帯を引きずっている(新しくできる傷はもう仕方ないと諦めた)と、じゃり、誰かが地面を踏む音が作り物の耳まで飛んでくる。

「ぬ゛っ!?」

やってしまった。
冷や汗が背中を伝う感覚がする。すでに体は硬直して転がるように地面に倒してあるが、想像以上に大きな声が出たもので、どう誤魔化せばいいのかさえわからない。というかこれ以上に最善な誤魔化し方はないと思う。

じゃり、もう一度砂が地面に擦れる音がしてやむ。暗い路地裏では相手がどの位置にいるのかわかりにくいし、ぬいぐるみの姿になった今ではそれに拍車がかかっている。
今は布やら綿やらに変貌していそうな心臓が嫌な音を立てた。どうか気づいてくれるなという祈りは非常に切羽詰まっていたが虚しい。

「なんだこれ、靴?」

随分と若い声だと思った。少なくとも自分より年上でもないだろう、随分とハキハキした明るいもので、ここに来たのが酸いも甘いも経験していないだろう若い男だということがわかる。
靴の隣に転がっていた俺は肝を冷やす。携帯を引きずった跡が地面についているだろう、靴と荷物だけがここにあるのも随分と不自然だ。記憶を消す道具を調達したい。

しゃがみこむように気配が動いて、暗闇の中から手が伸びる。ぎくりと体が跳ねそうになるのを根性で抑え、なんでもないぬいぐるみのふりを続行した。
お願いだからバレてくれるなよ、実験台なんて死んでもゴメンだからな。

「…バーボン?」
「!」
「ああいや、違うか。ぬいぐるみだもんな」

余計なことで驚かせるな。
違う、そうじゃない。そうじゃないぞ自分。

本当に、どんな偶然なのか。不幸中の幸いというべきか、それともさらに不幸のどん底に落とされたのか。神様のいたずらかわからないが、俺の胸中にはとにかく絶望しか湧いてこなかった。
俺の声を聞きつけて拾い上げたのは知り合いだった。それも組織の。

そいつ――アドヴォカートは、埃を払うためか俺を乱雑に叩いた。加減を知らない手のひらが体全体を叩いてもさほど痛覚はない、が、とにかく不快だ。
振り払いたい気持ちを必死に堪えてじっとしていれば、男がもう片方の手で俺の携帯を拾う。

「うわ、これバーボンの…ってことはこれもバーボンが縫ったやつ?ナルシストかよ」

余計なお世話だと声を大にして言いたい。携帯のカバーと機種だけで判別がつくお前も大概変態だって今度言ってやりたい。
それにしても、厄介なやつに見つかってしまった。よりにもよってアドヴォカート。いや、ほかのやつらに比べればはるかにマシではあるのだが。

身じろぎしないように細心の注意を払いながら様子を見守っていれば、やつは何を思ってか携帯を下に落ちた鞄の中に仕舞い込む。それを肩にさげ、空いた手でばらばらになった靴を拾い上げた。
何をやってるんだ、知り合いのものだから窃盗していいってもんじゃないぞ。

「よし、貸しにしてやろう」

はらはらと見守る俺とは裏腹に、男は何やら不穏なことをつぶやき、なんと俺と荷物を連れたまま歩き出したじゃないか。

ぺろっ、これは…誘拐フラグ!
そんなわけはない。先ほどのつぶやきと今の様子からすると、俺(と荷物)はどうやら男の家に持って帰られるようだ。
…冗談じゃない、文字通り持ち帰りなんてどこの悪夢だ!眠れもしないじゃないか!確かに路上より安全だが!

無言の圧力を出したって、俺がぬいぐるみになっているなんて思いもしないアドヴォカートは全く気づかない素振りで俺を鞄に突っ込んだ。むぎゅう。
いつか締めてやる。証拠品を集めて開示して脅してやる。そんなことを考えながら、俺は強い揺れに酔いを感じて小さく息を吐いた。

あれ、お前、なんか性格も喋り方も違うような。